参の8




 最近新調したらしい濃藍の着流しに紫紺の羽織をすらりと着こなして、志之助は江戸の町を歩く。その隣を歩くのは、浅黄色の小袖に薄灰色の袴をはいた征士郎である。とりあえず結ぶことはできてもまだまだ短い髪を首のあたりで邪魔そうに結って、のっしのっしと歩く姿はまるで痩せた熊だ。

 ちょうど、日本橋に新装開店した両替商、近江屋にお祝いにいってきたところであった。顔を出すと、まるで上得意客を扱うかのような待遇で出迎えられてしまった二人である。

 あの事件がきっかけとなって、近江屋の大旦那も自分にもしもの事があったらと考えたらしく、この度若女房を迎える運びとなっていた。

 近江屋は大旦那とはいえまだ若い。三十才にはなっていない年ごろだ。とはいえ、さすがに一回り以上も年の離れた幼妻を迎えることには、まわりも色々と騒いだようである。それも、相手が店の奉公娘ともなれば、さらにうるさく騒ぎ立てられる。そんな反対を押し切って結婚した相手は、お菊であった。

 あの事件によってその気になったというわけではなく、近江屋の方はそれ以前からずっと思っていたようで、決意はまったく揺るぐ様子を見せなかった。

「この度は、お助けいただきまして、誠になんとお礼を申し上げて良いか。本当に、ありがとうございました」

 そう言って、夫婦揃って頭を下げる。開店早々賑わう店内でも、それは特殊な光景であった。頭を下げられた相手が、どう見ても下町の人間がめいっぱいお洒落をしてきました、という格好をしていたためだ。

「こうして店を再開できますのも、お二人のおかげと感謝いたしております」

「いえいえ。当然のことをしたまでですよ。この度は、ご結婚と新装開店とおめでた続きで、おめでとうございます」

 これ、つまらないものですが、と風呂敷をといて差し出したのは茶碗が二つ。夫婦茶碗のようだ。お菊がびっくりして旦那を見やり、近江屋は志之助と征士郎の二人を見つめる。

「店のもので申し訳ないが、心ばかりの品と受け取っていただきたい」

「末長く、お幸せに」

 半ば押しつける形で戻ってきた二人は、新婚夫婦の仲睦まじい姿を振り返って、笑いつつ歩いていた。向こうの方に借家の大家である呉服問屋の松駒屋ののれんが見えてきた。もうすぐ二人の家だ。

「今日は、これからこのまま寺子屋に?」

「ああ、そうだな。和尚さんは今日一日休んでもいいと言ってくれているのだが、四日も休んでまだ一月たたんし、そう言葉に甘えているわけにもいくまい」

「そうだねえ。子供たちも待ってるだろうし」

 くすくすと笑う志之助に、征士郎は軽く笑みをこぼす。松駒屋の前で店の前に箒をかけていた丁稚にあいさつし、角を曲がっていく。すると、小間物屋の前に人だかりができているのを見つけた。何しろ自分の家の前だ。何事かと志之助と征士郎は顔を見合わせた。

「何事だ?」

「今日は何も用事ないはずだしねえ。何だろう」

 顔を見合わせる間にも店の前に辿り着く。近所のおばさんたちのまわりを野次馬が囲んでいて、中で何が起きているのか外からでは確認できない。まあ、どうせくだらないことだろうと思った志之助は、肩をすくめて征士郎を見上げる。

「ここは俺に任せといて。子供たち、あんまり待たせたら悪いし」

「ああ、ならば頼む。早めに帰る」

「ゆっくり遊び相手しておいでよ」

 行ってらっしゃい、と手を振る志之助に見送られて、征士郎は飄々と道のその先へ歩いていき、すぐの角を曲がっていった。

 征士郎の姿が見えなくなったと同時に、横から聞き慣れた声がかかる。

「ごめんなさい、志之助さん。しゃべっちゃった」

「……おつねさん。仕事は?」

「今日のご予約様はおしまい。この騒ぎじゃ、放っておいて仕事に出掛けるなんてできないわよ」

 お帰りなさいという言葉もなく、おつねは志之助を引っ張って店の方へ野次馬を掻き分け入っていく。野次馬の壁がなくなって、店の中に留守を頼んだ加助とおはると、見知らぬ武士の姿を見た。横のおつねが申し訳なさそうに言う。

「あのお侍のご用事の話から発展して、ほら、こないだの騒ぎ、あれに発展しちゃって。本当に、ごめんなさいね」

「志之助さん、もとはすごく偉いお坊さまだったんですって?」

「聞いたわよお。その偉いお坊さまが、どうしてこんなところにいるの?」

「ほんと、びっくりしたわよ。ねえ」

 長屋とそのまわりに住むおばさんたちが口々にそう言う。見事に十割好奇心だ。そのおばさんたちはどうせ自分たちの想像で話を進めてしまうのは分かり切っているので愛想笑いだけで無視し、志之助は店に入っていく。店番をしていた加助が、志之助に近づいていった。

「加賀藩の藩邸にお勤めの方だそうです。折り入って志之助様にお話があるとか」

 加賀? 志之助は表情を険しくして首を傾げる。店の奥でおはると武士が睨み合っているのが見える。

 加賀といえば、加賀百万石と知られる前田家の所領だ。米所としても知られており、日本海に面した蟹の美味しい所である。その藩の藩士が何の用なのか。だいたい、江戸の下町の小間物屋に用がある身分ではない。

「お待たせいたしました。当中村屋主人の志之助と申します。こたびはどのようなご用向きで」

「加賀藩の名代として参った。人払い願いたいのだが」

 なかなか由緒正しい家柄と見える。同じ武士で言葉は同じでも他の田舎武士やその辺に潜んでいる浪人者とでは、仕草が違う。きっちり礼儀作法はたたき込まれている征士郎でも、意識してかなり無理をしないと、ここまでの物腰はできない。

 何やらまた大変なことに巻き込まれそうだと小さく溜息をつき、志之助はおはるに目を向ける。

「すみません、おはるさん。表の方々を、お願いできますか? あのままではお店に支障を来しますから」

「はいよ。……志之助さん。余計なお世話かもしれないけどねえ、あんまりお侍には関わり合いにならない方がいいよ」

「ええ。ありがとうございます」

 余計なお世話だと言いたげな口調で言いながら、目では本気でありがたい思いを告げる。これでおはるがわかってくれることを、志之助としては祈るしかない。

「それから、加助さん。上にいますので、店番の方、もうしばらくお願いします」

「お早くお願いしますよ」

 別に加助は何も忙しくないはずだが、まるで人手が足りないとでも言うかのようなことを言う。どうやら、おはるやおつねだけでなく加助もこの武士を良く思っていないらしい。志之助がいない間に何かあったんだろうかと思わせる状況で、志之助はまた首を傾げる。その間にもおはるとおつねで野次馬の相手を始めていた。

 感謝を込めて店の方に手を合わせ、志之助は二階に来客を促す。干しっぱなしにしてあった布団を取り込む間に、客は適当な所に座り姿勢を正した。

「この度お伺い致したのは他でもない。上様をお救いなされたという陰陽師にお会いしたい。貴方に言えばわかると聞いた。是非とも、わが加賀藩のために」

 なるほど、と志之助は思う。おつねや加助が不機嫌なわけだ。おはるもおつねに聞いて機嫌を損ねたのだろう。

 この侍は、この小間物屋の主人が陰陽師だとは聞いても、信じられずに曲解したようだ。もし勝太郎や紅寿、もしくは将軍家斉を通じて志之助のことを知ったのなら、正しく伝わっているはずだから。確かに、こんなあばら屋で小間物屋をしているのが、将軍の命を救った陰陽師だなどと、誰も信じはしないだろう。まあ、失礼ではある。

 布団を押入にしまって、客のもとへ行く間に、動きながら答える。礼を欠いているのは、少しは機嫌を損ねていることの意思表示だ。

「その陰陽師は、俺のことですよ。そう聞きませんでした?」

 胡坐で座ることが常であっても、正座をするのは慣れたもの。膝を軽く払って座り、背をのばす。

「よほどのことがないかぎり、俺は動くつもりはありませんから、そのおつもりで。それと、慈善事業はしない主義です。俺の身に災いが降りかかってくるなら別ですが。事によっては報酬も弾んでいただきますよ。それで、何のご用です?」

 とかなんとか言いながら、きっと仕事を受けるはめになるんだろうな、と思い、志之助は自嘲するように苦笑した。やっぱり、厄介ごとに首を突っ込む癖は直りそうにない。

 こうして、店の常連からどんどんまわりに広がり、いつのまにか中村屋の名は小間物屋としての品物の良さと共にあやかし問題の仕事人として有名になっていった。そして、いつのまにやら周りの人は、この小間物屋のことをこう呼ぶようになるのである。

 大江戸妖怪屋本舗、と。





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