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強い雨に打たれて傘も破れてしまうため人々は外に出てこない無人の街道沿いを、二人は傘も差さないのに濡れることなく走り抜け、結界の外に出る。
出入りは自由であるらしい。
結界内の寒さが嘘のように容赦なく照りつける日差しは、冷えた身体にはむしろちょうど良い。
日本晴れの江戸で生活をする二人にとって、あの異質な空間は地味に身に堪えたようだ。
結界の外に出た途端、蛟がそこに姿を現した。地に伏せる身体は、そこに乗れという意味だろう。
まだ志之助の指示はなかったので、それはどうやら蛟の意思のようだ。
「水の出処に連れてってくれるの?」
「そんなこともわかるのか?」
驚いた様子の征士郎に、蛟は目を細める。どうやらそれは笑った表情らしい。
主人とその旦那が背に乗るのを待って、蛟はゆっくりと宙へ舞い上がる。
振り返って見たその結界は、やはり中で豪雨が降り注いでいるようにはとても思えなかった。
からりと晴れた炎天下、蛟は関東平野を横断していく。
起伏の緩やかな丘陵地帯を抜け、北に筑波山を眺めながらまっすぐ東へ。
のどかな田園風景を見下ろしているうちに、あっという間に前方に広い水たまりが見えてきた。
土地が低いのと、元は海の下だったような湿地帯で水たまりや川があちこちに見られる。
霞ヶ浦の向こうは海なのだろう、ずっと果てまで陸地が見えない。
確かに海にとても近かった。
蛟は長い身体をくねらせて高度を下げ、霞ケ浦の湖畔に降りた。
川辺に生える葦が延々続く泥炭地が数里続いた先の、広大な湖。
だが、日本で有数の広さを誇るらしいはずの湖は意外と近くに向こう岸が見えている。
『本来この位置は湖の中心に近い』
どこからか聞こえてくる年寄のようにしわがれた声が助言してくるのに、蛟から降りて周りを見渡していた志之助が背後を振り返った。
そこには蛟が寝そべっているはずだったが、いつのまに人型に変わっていたのか、そこに立つ人間の3人目としている。
それにしても。
「今の声、蛟?」
『うむ。麒麟の娘にも驚かれたが、そんなにおかしいか』
ふっと自嘲するような笑みだ。
それから、葦の続く草原の向こうを見張るかすように視線を促す。
『かすかに小屋が見えるが、分かるか? あれが本来の湖畔だ』
示す指先のさらに先を目で追って、かろうじて見えた点のような小屋に唖然とする。
素直に驚くばかりの征士郎の横で、志之助は自らの式神に視線を戻した。
「その本来を知ってる理由は、この湖から蛟の気配が強く感じられるのと関係ある?」
それもまた、征士郎には謎の言葉だ。
確かめるように蛟に視線を向ければ、こちらも珍しい渋面だった。
『此度の雨、我が力が使われておるようだ。しかして我には手を貸した覚えはない』
「なら、そのからくりを調べる必要があるね。前祀られてた神社に行ってみようか」
『この地はもう良いのか』
「今のところは水源がこれだって特定できただけで十分だよ。せいさん、行こう」
促されて頷いて、再び本来の姿に戻った蛟に志之助と共に跨がる。
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