雨に降られると嫌なので、というズボラな理由により、志之助は宿の部屋にこもり瞑想を始めた。

 背中合わせに座って、征士郎も座禅を組む。自分自身の精神鍛錬と志之助に霊力を補助するためだ。

 宿は他にも足止めされている旅人がいるようで、昼間にしては賑やかだった。
 ただ、この部屋は宿の中でも奥まった場所にあるおかげでその賑やかな話し声もかすかに聞こえてくる程度。
 室内が二人の呼吸以外に音がないため聞こえてくるに過ぎない。

 そのまま半刻も過ぎただろうか。

 志之助は不意に顔をあげた。
 相棒が身動きしたことに気づいて征士郎も背後を振り返る。

「どうした?」

「雨が降るよ」

 まだ雨音はしていない。
 征士郎は志之助の予言を確かめるため、窓を開けてみた。まだ雨粒は見当たらない。

「まだのようだ」

 手を軒先に差し出して確かめ、征士郎は再び志之助を振り返る。

 と、その直後。

 一粒二粒の前兆もなく、突然タライを引っくり返したような土砂降りになった。

 町のあちこちで、久しぶりに開けていた雨戸を閉める音が聞こえてくる。

「これは酷い豪雨だ。噂以上ではないか」

 雨戸を閉めるため、征士郎は手を戸箱に伸ばす。
 その背後に近寄って、志之助はその手を止めた。

「閉めないで良いよ」

「だが、雨が入るぞ」

「壁作るから大丈夫」

 すいっと窓に沿って手を滑らせる。
 その途端、少し吹き込んでいた雨が空中に壁があるようにそこに叩きつけられて滑り落ちていくようになった。

 法力漬けの時の志之助は、少し神がかっている。
 征士郎に寄り添っている時ですら、しっとりと神々しい雰囲気をまとっていて近寄りがたい。
 そんな志之助を頼もしいと思えるのは、この世では征士郎くらいだろう。

 庭に面した部屋なので窓の外に見えるのは他家の屋根とぐちゃぐちゃに崩れた中庭くらい。
 大して広いわけでもない庭は、2階のこの部屋から全て見回せる。

 強い雨に打たれて庭木も痛み、中には立木のまま腐った木もあった。
 いくら植物に水が必要だといっても、過ぎたるは及ばざるが如しだ。

 くんくん、と鼻を鳴らして臭いを嗅いでいた志之助は、それから軽く首を傾げた。

「蛟。わかる?」

 ちらりと背後を振り返り、何もない空間に問いかける。
 つられて振り返った征士郎の目に、初めて見る顔の青年が胡坐をかいた状態で姿を現すのを見た。
 志之助が蛟と呼んだのだから、それが蛟の人の姿に擬態した姿なのだろう。

 普段から空中を泳ぐ龍に似た神獣の姿でしか見ていない分、初対面の感覚だ。

 彼の姿は、蒼龍たちのような高位神獣と比べれば大分地味だった。
 袴姿で薄い袢纏を肩にかけ、隠居老人くらいでならよくいそうな格好をしている。
 ただし、見た目の年齢は実に若々しく、志之助や征士郎よりも年下に見えた。
 髪もきちんと髷を結って月代を作っているあたり、むしろ主人夫婦よりも一般市民的感覚があるらしい。

 ただし、他の高位神獣と違って言葉を声にすることができないのかなんなのか、烏天狗たちと同じように口を閉じたままだ。

「なるほど。海に近い湖か。だったら潮の香りもあり得るね」

「海に近い? ならば、この辺りでは霞ケ浦か?」

 蛟の報告を復唱した志之助の言葉に、征士郎も腕を組む。
 そちらを振り返って、志之助は首を傾げた。

「霞ヶ浦ってだいぶ内陸じゃない?」

「あれは広いからな。浦というだけあって、東の方はすぐ近くに海が迫っている」

 へぇ〜と何故か感心して旦那を見つめる志之助に、征士郎は軽く肩をすくめて見せる。

「しかし、いくら海に見紛う広さの霞ヶ浦でも、この調子で梅雨明けからずっと雨を降らせ続けていればそろそろ枯渇しそうなものだがな」

「行って確かめてみる?」

「水の減り具合を、か? 少し遠いぞ?」

 わざわざ行ったところでそこでできることがあるのか、と訝しげな反応の征士郎に、志之助は首を傾げるだけだったが。

「考えられることは色々あるからね。できることから調べて行って選択肢を減らそうかな、なんて思惑がなくもない」

「考えられること、だと?」

「うん。水の出処は本当にそこなのか、とか。この場所がとばっちりを受けているだけで目標は水の出処の方かもしれないし。そもそも術者自身もそっちにいるのかも。考えたらキリがないよ」

 教えられて、へぇ、と頷いた征士郎は、さらにもう一つ頷く。

「ならば行ってみよう。じっとしていては埒が明かん」

 征士郎の了承を受けて、志之助は嬉しそうににこりと笑った。

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