参の5




 背後に立つ征士郎と紅寿を見上げて、志之助はそこに座ってくれと床を指差した。紅寿は膝をつき、征士郎は胡坐をかく。

「二人にやってもらいたいことは、呪咀をめった切りにすること」

「呪咀なんか、切れるんですか?」

 不思議そうに紅寿が言葉をさえぎる。そもそも呪咀というものは、形がないもので目にも見えないものだ。どんなに力のある陰陽師でも僧侶でも、呪咀は目で見ることはできない。それを切れというのは、かなり無茶な話だ。

 が、志之助はそれを真面目な顔で言っていて、征士郎も真面目な顔で頷いている。征士郎の場合、心霊や呪術の世界で志之助が言うことは、根本的に信用しているのだ。

「もちろん、普通に切れるものじゃない。から、俺が見えて切れるようにします。そのための陰陽師だからね。二人は絶対に疑わないで、目に見えたものを切って。疑ったら最後、何もできなくなるから。信じるものは救われる、ってね」

 ちらっと水面鏡を見やって、志之助はその水を庭に捨てる。そうして、口の前に手を合わせた。

「蒼龍、鳳佳、蛟。戻ってきて」

 高杯をそこに置いたまま、庭に背を向けて立ち上がる。

「式神使うのはここまで。これからは、人間対人間の戦いだよ。蒼龍。仕事のないときはどうしてる?」

 背を向けたまま、そこに蒼龍が立っているのに気づいたらしい。軽く振り返ってそう尋ねる。蒼龍はにっこりと笑った。

『蛟は呪符で持っていらっしゃるのでしょう? 同じ扱いでよろしいですよ』

「仕事のないときは、自由でいたいでしょ? 蛟にも聞いたことなんだ。どうしたいかは自分で決めて」

『では、精霊界におりますので、いつでも御呼びください』

「鳳佳も精霊界だろうね。つれていってやってくれる?」

『はい』

 では、と頭を下げて、蒼龍はそこから姿を消した。蛟はいつのまにか志之助の懐に呪符になって入っている。神獣を三匹も支配から解いたことで、法力には余裕ができた。天狗を支配するのに今では法力はほとんど使っていないし、今一番使っている相手は紅麟だ。このくらいなら、呪咀の実体化も十分できそうである。

 というより、呪咀の実体化をするために三匹の神獣を戻したのだが。蒼龍の支配を離れても、江戸市中ではまだ百鬼夜行が跋扈している。

「行こう。呪咀が来る前に準備しなくちゃ」

 頷いて、征士郎と紅寿は志之助を追って走りだした。志之助は、どうやら体重を感じさせずに、しかもかなり速く走るらしい。あっという間に家斉のもとに辿り着き、後の二人はしばらく遅れて追いついた。

 しばらく放っておかれていた紅麟は、その間に家斉と仲良くなっていた。共通の話題などなかろうに、二人ともとても楽しそうだ。戻ってきた志之助を見上げて、紅麟は幼いその顔に似合わず、にまっと変な笑い方をした。

『両思いというのは、いいものであろ? 志之助』

 え? 驚いたのは志之助で、征士郎はただ顔を赤らめる。その反応を見て苦々しい顔をした紅寿は、征士郎を物凄い形相でにらみつけた。おやおや、と肩をすくめたのは傍観者の紅麟と家斉である。どうやら志之助と征士郎の両片思いだけでなく、紅寿も志之助に横恋慕していたらしい。ならば、これは紅寿の作戦負けだ。

 一瞬驚いた志之助は、この結果がどうやら紅麟の助言によるものだったらしいと気づいて、顔を真っ赤にした。それから、うれしくて自然にゆるむ目元を無理遣り強ばらせて、紅麟を軽くにらむ。

「紅麟。あんまりからかわないで。仕事ができないでしょ」

『おお、それは困るな』

 遠慮せず仕事に励め、と誰のせいで仕事ができないのかつっこみたくなるようなことを言って、紅麟は家斉にしがみつく。家斉は家斉で、まるで自分の子を抱くように紅麟を膝の上で甘やかしていた。

 いつも人をひっぱり回している志之助にも、ひっぱられてしまう相手というものはいるらしい。紅麟に何を言うこともできず、志之助は大きく一つ、溜息をついた。勝太郎が用意していた煎り豆を一粒摘んで、征士郎に志之助が手渡しで渡す。

「せいさん。食べて」

「……節分か? これは」

 くすっと笑ったのは、おかしくて笑ったというよりも、気持ちを落ち着けていつものテンションに持っていくための笑いだったのだろう。志之助は、征士郎に対して素直に答えることは滅多にない。もちろん、それで伝わるとわかるからだ。

「鬼退治だからね」

「ふん。よく言う」

 真実の答えは、征士郎に正確に伝わったらしく、征士郎はからかうように答えた。この豆は鬼を払うための豆ではなく、守りのための呪なのだということ。節分の豆も、年の数食べることでその年一年の無病息災を祈るのだから。意味は同じだ。

「竹中殿も」

 渡された豆は二つ。征士郎は一つだったのに、と首を傾げる。それは、征士郎も同じ疑問だった。にっこりと志之助は笑うだけだ。

『愛する人とただの知己では、守護の呪のかかる威が違うということよ。のう、志之助』

「紅麟は黙ってらっしゃい」

 怒られてもまったくこたえていないらしく、紅麟ははーいとわかったんだかわからないんだかという返事を返すばかり。その返事で、志之助にはわかったと聞こえたらしい。

「じゃ、はじめますよ。竹中殿は左に、せいさんは右に、お願いします」

「右は私でしょう、祥春殿」

「志之助です」

 文句は聞かない、とはねのけ、志之助は自分で作った魔法陣の前に胡坐をかいた。いや、それは胡坐というより、結跏趺坐という正式の座り方らしい。

 紅寿の意見は、剣客よりも隠密稼業の人間が斬りにくい位置にいるべきだという、しごくまっとうな話だった。力を信じるとかそういう以前に、もともとある力に対して位置を定めるべきなのだ。紅寿の声には非難も交じっている。征士郎に無理をさせて殺す気か、という。

 そもそも、刀を持つ手は右手である。したがって、右前方の敵は斬りやすいが、左前方の敵は斬りにくいという性質がある。剣の道を少しでも学んだものなら、当たり前に知っている常識である。この問題を克服するべく教育を受けているのが、隠密稼業に携わる、忍者の類の人間だった。だから、紅寿は自分が右に立つべきだと主張したのだ。嫉妬や何かが入り込む余地などもとからない。

 だが、征士郎は大きく開け放たれた通り道の向かって右側に、仁王立ちする。

「しのさんに食ってかかる前に、自分の仕事をしたらどうだ、竹中とやら」

「おぬし、死にたいかっ」

 あっさりという征士郎に、かっと頭に血が上ったか、紅寿が声を荒げる。くっと征士郎が苦笑いを浮かべた。

「しのさんは、戦略戦術とあやかしに対する勘は絶対にはずさんよ。あんたが自分の実力を八割も出せるような状況だったら、しのさんは間違いなく俺を左に置いたさ」

 この世ならざるものを相手にしたのは初めてだろう、と言われて、その意味に気づいたらしい。紅寿がいざというときパニックに陥って実力の半分も出せなかったとしても、それでも左に立っていればなんとか少しは戦力として役に立つ。そういう判断だったのだ。

 そこへ、紅麟が叫ぶ。

『来やるっ』

「姿を見せろ、曲者っ」

 紅麟の声に弾かれたように顔をあげて、志之助ははっきりと告げた。呪文でもなんでもない、普通の言葉を。それでも、志之助の顔は真剣そのもので、庭の方では悲鳴がいくつか上がり、どかっ、と屋敷そのものを力強く押されているような、猛烈な圧迫感が襲う。へ?と耳を疑って志之助を振り返ったのは紅寿だけで、征士郎は今までと打って変わって志之助より真剣に庭の方を見つめている。

『わらわの結界が、破れる……っ!』

「来るよ、二人ともっ!」

 かすかな音もなく、征士郎は愛刀を抜く。一瞬遅れて、紅寿もまた鞘走らせた。二人揃って左下段に構える。振る方向は違うのに、まるで同じ形に。

「来いっ」





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