さすがに歳には勝てなかったようで、気を遣って寝かせておいてくれた将門に起こされて目を覚ましたのは夜の明ける直前だった。
 志之助は江戸城の往復で、征士郎は出稽古で、共に普段より体力を消耗したままでいたのだから無理もない。

 だいぶ昔に歩いた街道を同じように並んで歩きながら、志之助と征士郎は将門の言葉を振り返る。

「確かに人為的ではあったけど、本当に人の仕業とはね」

「うむ。呪術者が下手人と言っておられたな」

「凄いよねぇ。それも一人だって話じゃない。ひと夏雨を降らせ続けるなんて並みの精神力じゃないよ。しかも豪雨」

「……ん? しのさんはできないのか?」

「いや、まぁ、やろうと思えばできるだろうけどね」

 普通はそんなことをする必要性がそもそもないし、志之助もどうやらその方法には見当がついているようなのだが、ひと夏続けるほどの集中力はなかなか持てるものではない。
 それ以前にやろうとも思わないから断言ができないのだ。

「方法はわかるのだな?」

「色々予想できるよ。だから、どの方法を取っているのかは行ってみないとわからない。まず、豪雨に使っている水の出処を探さなくちゃね」

「出処?」

 不思議そうに征士郎は首を傾げた。

 雨は空から降る。その空には雲が必要だ。
 ならば、雲の発生源を求めるのが本来必要なことではないのか。

 それが征士郎の判断だ。
 しかし、その論法に志之助は首を振った。

「この世にある物質は総量が増えたり減ったりはしないんだ。ただ、形を変えて循環する。
 雲から雨が降るのはその通りなんだけど、実は海や山からできる湿気が温まって空に上がって、空の上の方は寒いものだからそれが冷やされて氷になって漂って、寄り集まってできたものが雲でね。
 その元をたどるとやっぱり雨なんだよ。だから、どこか遠くで雲を作り出す大量の水が消費されているはずなんだ。何もないところから雲は作れないからね。
 その元になった水の出処をまず見つけないとね」

 つまり、征士郎の論のさらに上をいったわけだ。
 説明されて、征士郎はなるほどと腕を組んだ。

「相変わらず、しのさんは博識だ」

「こういうことだけはね。字も書けないけど」

「構わんさ。字は俺が書ける」

 できることを分担すれば良い、と征士郎はこともなげに言ってのける。
 実際、そうやって十年間を共に生きてきたのだから、自負のようなものもあるのだろう。

 粕壁までの道のりは遠いといっても日本半周した二人にとっては大したことではない。
 その健脚をもってすればあっという間の距離だ。半日も歩けば着いてしまう。

 粕壁の上空が目に見えるほどに近づいて、志之助は突然立ち止まった。
 征士郎には立ち止まった理由がわからなかったらしく、数歩先に行ってしまって振り返る。

「しのさん。どうした?」

「ん。どおりで今まで大した騒ぎにならなかったわけだ、と思って。せいさん、今前方に雲、見える?」

「こんなにすっきり晴れていてか? ……ふむ、なるほど。常人には外から雨雲が見えない、というわけか」

「はい、ご明察」

 しかし、ということは何らかの結界か何かで宿場町周辺がすっぽりと覆われているということになるのだが。
 目に見えない雲と局地的な異常気象は、むしろ大騒ぎになりそうなものである。
 が、ここに至るまでの日光街道沿いで噂の一つも耳にしていない。

 常人には見えなくとも志之助には当然見えているようで、再び歩き出した志之助は征士郎を背後に従えて宿場に近づいていく。

「何か人を惑わす作用でもあるのかもしれないね。じゃなくちゃ、手前の宿場で注意喚起の一つもあるでしょ」

「ふむ、そこもしのさんの解析待ちだな」

「こんな結界張る相手、俺でも手に負えないかもしれないけど?」

「しのさん最強説は明神様お墨付きだがな」

 何しろ、江戸市中を守る大結界を即日作り直しなどという荒業をやってのけた実績がある志之助だ。
 何を言っているのかと本人ではなく伴侶の方が笑い飛ばしている。

 そう言っている間にも歩き続けていた志之助だったが、突然隣の征士郎を制止するように手を出して自分も立ち止まった。

「結界内に入るよ。何が起こるか全然見えないから気を付けてね。あと、傘下しておこう」

 一歩踏み込んだ途端に豪雨に当たる可能性もある。
 足元を見れば乾いた地面がその先にも続いているように見えるのだが、志之助がこの場所を結界の境と断言するのだからその先に見えているものは幻なのだろう。

 征士郎も不可思議現象は志之助の判断を全面的に信用しているため目に見えているこの景色を当てにせずに頷いて、狐の御神刀と一緒に括り付けて背負ってきたそれを一緒に下ろし、紐を解いた。
 御神刀だけにしてもう一度紐で結い直し背負う。その作業を、傘を背から下ろすだけで済んだ志之助も手伝った。

 ほとんど切れ味はないとはいえ、それでも未知の金属でできたそれはずっしりと重く、十分に凶器として通用する。うまく固定しないと自分自身が傷ついてしまう危険のあるものだ。
 そのため、志之助の手助けはどうしても必要だった。

 固定されたことを確かめて傘を片手に立ち上がり、大街道のわりに人通りのない道のその先へ足を踏み入れる。

 草履が、ぺちゃり、と音を立てた。

 奇妙な感覚だった。
 片足はカンカン照りに熱せられた土埃の舞う乾いた土の上に、もう片足は長い雨に湿ったぐちょぐちょの泥濘の上にある。
 気温もだいぶ違うようで、先に出した足が冷たいほどだ。

 さらに、前に出した足に体重をかける。
 じりじりと焼かれていた肌がしっとりと濡れた。

 どうやら雨は降っていないらしい。
 着物がしっとりとするのはおそらく空気中の湿気のせいだろう。

 最後に日に晒されたままだった足を引き寄せれば、全身が結界内に入り込めた。

 見回しても人の姿はない。
 振り返ってみればその背後は目の前の景色に違和感なく湿った世界が広がっている。
 これも幻なのだろうか。

 街道の先は変わりなく前方に続き、先ほどまで強い日差しの中で見えていた白壁の目立つ宿場の集落が変わらず見えている。

「まずは宿を探そう」

 二人で旅をしていた頃と同じく志之助が方針を決め、征士郎はそれを当たり前のように受け止めて歩き出した。


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