志之助と征士郎が蛟に出会ったのは、二人がまだ気心の知れた旅の道連れであった頃のことだ。

 そもそも江戸へ向かう東海道中で出会った二人は、目的地が同じ江戸で双方共に一人旅だったこともあっての偶然の道連れだった。
 道中行き会った数々の事件に巻き込まれるにつれ、互いに互いを認め合い離れ難い無二の友となっていて、江戸に着いた後もそれぞれに事情があって江戸を離れ自由の身になったため、再び今度は最初から二人連れとして陸奥へと旅に出た。
 その最初の宿を取った宿場町が粕壁だったのだ。

 当時、粕壁宿のすぐ近くで運河を通す計画が持ち上がっており、建設作業の真っ最中だった。
 粕壁宿すぐ近くに流れる大落川へ近隣の農業排水を集めて流す支流としての長い運河は、粕壁までもう少しというところまで流れてきていた。

 季節は初秋。まだまだ残暑厳しく、西の方では台風に悩まされる季節だ。
 とはいえ、台風というものが関東に影響を与えることは実はあまり多いことではない。
 年にいくつか端をかすめる程度のものと高を括っていたのは否めなかった。

 その台風は、平均的な台風の進路とは少し趣が異なり、日本列島の南をかすめて強い勢力を保ったまま、関東地方に直撃した。
 台風に慣れていない関東に多大な被害をもたらして常陸沖に抜けて行ったそれが、すべての原因だった。

 台風に伴う大雨で作りかけていた堤防が決壊。川は増水して氾濫し、平野部が水浸しになる事態だった。

 肝心の建設中だった運河は、当然まだまだ強度が弱く、長いその距離のほとんどが流された土砂で埋め戻されてしまったのだ。

 何しろ多大な人足と長い時間をかけて築いてきた運河である。
 それが元の木阿弥にされたとあって、計画自体の考え直しを迫られることになり。

 結果、建設途中だった運河は放棄して踏み固められ、荷馬車の通れる大街道として生まれ変わることとなった。
 運河も規模を縮小した水路として別の用地に改めて建設計画が立てられた。

 関東の広い平野はそのほとんどを畑や水田として利用されている。
 これが水浸しとなったおかげで高低差のない街道もぬかるんで歩けず、粕壁に足止めを余儀なくされた二人は、そこでダメになってしまった田畑の片づけや修繕、補修、治安維持の手伝いなどで宿代や路銀を稼いでいた。
 そんな折、埋戻しが決まった運河で蛇の化け物が暴れているとの情報が飛び込んできたのだ。

 化け物退治といえば志之助の出番である。力仕事で汗を流していたものの、ようやく本領発揮の舞台で志之助は意気揚々と解決に向けて出かけて行った。
 その問題の地で見た『蛇』と呼ばれた姿は、その存在を知らない一般大衆から見たら蛇の化け物なのかもしれないが、立派な神獣として専門家の間では知られているそのもので。志之助も唖然と立ち尽くしたものだった。

 それこそが、今や志之助の足として大活躍している式神、蛟だった。

 暴れまくっていた蛟に根気よく話しかけ、ようやく落ち着いたところで事情を聞いた志之助はさらに驚いた。

 造成されていた長い運河はその延長距離ゆえに工期も数年単位の長きに渡っており、上流の方ではすでに農業用水、排水路として機能していた。
 その上、治水祈願として春祭りも盛大に行われていたのだ。

 祭りがあるということは当然その舞台である神社が存在する。
 神社の御神体となったのは、まだ造成中だった運河そのものだった。

 人々はおそらく安易な気持ちで祭りを始めたのだろう。
 しかし実際のところ、太古の神々を除けば、神がいて神社があるから祭りがおこなわれる、という正常な経緯を辿るケースは極めて稀で、大抵は祈願したい何かがあってそのために祭りがおこなわれ、その舞台として神社や祠が作られて人々の念から神が生まれるものなのだ。

 この蛟もまた、建設された運河に対して人々の治水祈願の念から生まれた水神だった。
 ところが、今回の氾濫でせっかく作った運河が埋め戻されることになり、生まれたばかりだった蛟はそのよりどころを失うことになったわけだ。

 せっかく生まれた命だ。それが奪われるとなれば、それは暴れるのも当然だろう。

 納得はした志之助だったが、これには手の出しようがない。
 作り直すよりは埋め戻す方が手っ取り早い運河を計画通り作り直してくれるよう地元民衆を説得するのは、ただの旅人である志之助には無理なことだ。
 かといって、運河がなくなってしまえば本体がその運河であった蛟は死を待つしかない。

 結局、何か対策を考えるからと蛟に約束をして大人しく待っていてくれるよう頼んだ志之助は、宿にこもって考え込んだ。
 三日三晩飲まず食わずでただ座禅を組んで固まっていた。そうして出した結論が、志之助の式神として一緒に旅をし、志之助が生きている間に他の生き残る方法をゆっくり探そう、ということだった。

 つまり、生まれた運河を捨てて憑代を持たない水神の卵となって、志之助が持つ紙切れに宿るという方法だった。
 一度は神と祭り上げられた存在の蛟には受け入れがたい屈辱であっただろうことは容易に想像がつく。

 それでも、蛟はその提案に乗った。何もせずただ死を待つよりは有意義な余生の過ごし方だった。

「そんなわけで、蛟には名前がないんですよ。まだ完成していない運河に名前がついていなかったので」

 台風の凄まじさも含めて長々と語った締めの言葉がそれだった。
 それにしても不憫な話だ。せっかく人に望まれて生まれた神様が結果的に人に捨てられてしまったのだから。

『なるほど。川の神として生まれたから水の力を持っていたのだな。納得だ』

 他の三柱の神獣については、将軍を守るために志之助がその意志で呼び出し契約したという事情を将門も知っていた。
 しかし、それより前に水を操る神獣を持っていたことについてはそのきっかけが分からなかったのだ。

『しかし、名がないのは不便だのう。名こそ最も簡単な霊の拠り所なのだが』

「俺が付けてやれれば良いんだけど、そういうわけにもいかないですしね」

 そもそも、神の名は自然発生的に付けられるものだ。一人の人間が名付け親になれるほど安易なものではない。

 なるほど、と納得した将門は、空を見上げ、軽く肩をすくめる。

『粕壁となると同じ関八州内でもここからだいぶ遠い。事前に預言でもしてやれれば良かったが、役に立てず済まんのぅ。少しくらいの予備知識は必要であろう? できる限りで探ってやる故、少しここで休んでおれ』

 江戸市中なら目の届く将門も、見守ることのできる範囲は限られている。品川、新宿でも少々遠い距離だ。粕壁ではもってのほかだった。

 目を閉じて瞑想する将門のそばで、休んでいろと指示を受けた志之助は隣に座る征士郎の肩を借りて目を閉じた。
 すでに志之助が昔話を語っているうちに仮眠をとっていた征士郎が突然の重みに驚いて目を覚ましたが、それが志之助だと確認すると再び目を閉じる。

 瞑想から戻った将門は、二人が仲良く肩を寄せ合って眠る姿に微笑ましく目を細め、少し眠らせてやろう、と声をかけずに見守った。
 まだ日が昇るには早い時間、道が見えなければ彼らも出発できないだろう。

 それから、遠い空を眺めやり、不機嫌に眉を寄せた。

『どこの阿呆か知らぬが、愚かなことよ。志之助にせいぜい後悔させてもらうと良いわ』

 どうやらその正体を見つけたようだった。


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