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『それを、この夜も更けた時分に頼みに来たということは、明日は早いうちに発つつもりなのだな?』
目の前に立つ二人にそう確認し、白い狩衣姿の彼は髭もないのに髭をしごくような仕草をしてみせた。
神田明神の名で知られる元大怨霊、平将門。それが彼の名だ。
今や京の都でもごく一部でしか見られなくなった狩衣をざっくりと着こなす彼は、すでにこの世の存在ではないため歳を取らず、出会った頃と全く変わらない姿をしていた。
この二人をことのほか可愛がる将門は、留守を頼みたいと申し出るのにも快く引き受けてくれた。
考える様子すら見られないのは、この二人の頼みごとを断るという選択肢自体が眼中にないせいだろう。
心配そうに確認する将門に、志之助は首を振った。
「このまま発つつもりです」
『寝て行かぬのか?』
「今真夏ですよ、将門様。昼間出歩いたら、それこそ体力を奪われてしまいます。聞くところによれば、向こうは綿入れが必要なほど寒いそうですし、涼しいところで休みますよ」
ね、と確認して見やった先で、征士郎も深く頷いた。
普段から腰に刀を1本差す以外は何も持たない彼だが、今日は背にもう一本の剥き身の剣と唐傘を背負っている。志之助の背にも傘が背負われていた。
『それは、狐の御神刀か?』
「えぇ、念のため」
いつから存在する刀なのか、ずいぶんと古風な両刃の刀であるそれは、鞘もなくそのままで紐に吊り下げるようにして背負っていた。
実際、今ある片刃刀のように斬って使うものではなく、その重量で叩き斬るものだ。切れ味はないに等しい。
斬りたいものだけ斬ることができる狐神自慢の御神刀は、もう幾度となく二人を救ってくれていた。
『それが必要な事態か。事の次第を話して聞かせよ』
二人でしばらく江戸を留守にするからその間の店を頼みたい、と言われて二つ返事で引き受けてくれた将門だったが、今更ながらに心配になったようだ。
命じられて、隠しておくことに利点もなく、志之助は将軍家斉に聞かされた話を繰り返した。
事情を理解し、将門は腕を組む。
『作為的なものを感じるのぅ』
「そうなんです。何だか嫌な感じで。それに、粕壁は知らないでもない土地なんですよね」
『む? そなたは京の出であろう? 征士郎は川崎だな?』
「えぇ、俺たちではなく。蛟を拾ったのが実は粕壁なんです」
それは将門も知らなかった事実だ。
そもそも、双方が初めて顔を合わせた10年前の事件時、志之助が持っている四大元素の力を持つ式神たちはまだいずれも契約しておらず、最強でもまだ出会ったばかりだった烏天狗たちがせいぜい。
それが、2年後再会した時には、烏天狗を完全に手懐け、蛟、龍、鳳凰、麒麟といった上位の神獣たちを操っていた。
そのそれぞれの馴れ初めについては将門はまったく知らないのだ。
「蛟に初めて会ったのは、将門様に初めてお会いしたあの件のすぐ後なんですよ」
そんな前置きをして語りだしたのは、蛟を式神とするに至った馴れ初めの物語だ。
長くなりそうだ、と悟って征士郎は荷物を背から下ろし、石段に座って志之助を隣に手招いた。すっかり長居をする体勢だった。
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