龍神様の棲む河1
大都市大江戸の北にあって、みちのくへと続く大街道の宿場町のひとつ、粕壁。
騒ぎはこの町で起きていた。
黒い雲が空を覆い、雷鳴が唸りを上げる。
町中に雨粒が零れ始めれば、人々は我先にと近くの軒下に避難した。
それは、殺人的とも言える集中豪雨だった。
「今日もまた、龍神様がお怒りなのかねぇ」
「一昨日は松井屋さんの母屋の屋根瓦が流されたとか」
「そいつは気の毒に。うちも屋根を直しておかないといけないねぇ。今日は大丈夫かいな」
人々はただ近隣の被害状況を情報交換しつつただただ雨が止むまで立ち尽くすしか術がない。
夏も真っ盛りのこの時季、例年であれば連日カンカン照りの日射しに焼かれ夕立が待ち遠しいほどなのだが、今年は様子が違っていた。
梅雨が明けても日の射さない曇り空に集中豪雨、地面はすっかりぬかるんで人々の足を滑らせ、段差のあるところでは土が流されて地形すら変える。山の方では土砂崩れが連続して発生しているらしい。
ただ不思議なことに、通りかかる旅人の話ではこれらの異常気象は粕壁宿一帯の局地的なものであるらしかった。
日照時間の不足と過剰な水分は野菜の生育にも影響を与えており、今年の満足な収穫は望めそうにない。
それどころか、米の収穫もほぼ無理そうで、今年の年貢はどうなるのか、と頭を抱える事態だった。
このままでは町と付近の農村部が全滅してしまう。
酷い干魃による飢饉は過去にもあった話だが、酷い雨による飢饉は前代未聞だろう。
とはいえ、すべては空の神様の仕業であって人にはこれに抗う術もない。
ため息ひとつ吐き今後を憂うくらいが関の山だった。
「いつになったら龍神様はお怒りを静めてくださるのか」
「村の方じゃ龍神様をお慰めするために生け贄を出すとか」
「せいぜい猪やそこらだろう?」
「いやぁ、若い娘っ子だって聞いたねぇ」
「可哀想になぁ」
轟音を立てて流れ落ちる滝のような雨を見つめ、何もできることのない人々はただ噂話に明け暮れる。
いつ梅雨が明けたのかも定かでない連日の雨天は太陽の光を遮り、夜になれば底冷えのする寒さで綿入れが手放せない。一刻も早く本来の夏が訪れるように、ただ神や仏にすがるしかないのだった。
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