参の4




 おそらく、江戸市中を縦横無尽に行進する大規模な百鬼夜行を実際に目にした人間は、八百八町探しても、提灯片手にふらふら歩いている酔っ払いか、神田中村屋にいた四人だけだっただろう。もう子の刻を回っている。髪結いのおつねはその時、裏口の戸を叩く音を聞きつけたところだった。

「どちらさんです?」

「おつねさん、加助さん、近江屋です。入れてくださいますか」

 想像より若い声に、おつねと加助は顔を見合わせた。だが、志之助や征士郎に聞いてきたのでないかぎり、ここにおつねや加助がいるとは知らないはずである。ということは、本物なのだろう。まだ起きていたお菊が、声を聞きつけて裏口に走り寄る。

「大旦那さまっ」

 間違いないね、と聞かれて、お菊は自信を持って頷いた。それなら、とおつねはつっかえ棒をはずし、戸を開ける。

 戸の向こうにいたのは、若い商人風の男と二匹の烏天狗だった。天狗といえば神の使いだ。一目見て、お菊は短く悲鳴をあげ、階段の下まで逃げ出してしまった。一方、志之助の非常識さはとりあえずこの中で一番知っているおつねは、一瞬びっくりして腰をひきかけたが、やがて志之助の使いだと気づいた。

『おつねさん』

 天狗の口から、志之助の言葉が聞こえてくる。ということは、間違いないらしい。

『おもしろいものが見られるよ。二階に行って、通り側の窓を開いて待っていてごらん』

 言い終えると、二匹の天狗は翼を広げた。艶のある黒い翼を大きく広げて、飛び上がる。

 すぐに見えなくなった天狗を見送って、おつねは近江屋を中に促した。

「お菊ちゃん、加助さん。志之助さんが、二階の窓から外をのぞいていてご覧なさいって」

 行ってみましょう、と二人を促して、おつねは階段を上っていく。近江屋は顔見知りであるお菊のそばに寄り、お菊は大旦那と加助を見やって首を傾げた。自分の役目を終えて眠そうにしていた加助は、近江屋も帰ってきて安心したのか、すでにうつらうつらしている。

「あの、加助さん?」

「あっしは寝ますよ。年寄りに夜更かしは厳しい」

 おやすみなさい、と言ってそのまま寝てしまう加助に、近江屋は売り物の麻布をかけて布団の代わりにした。これでとりあえず風邪だけはひかずにすむはずだ。本当は布団をひいて寝ろと言いたい所だが、押入が見当らないし布団もここにはないようだった。

 完全に二階に上ってしまったおつねが、二階から三人を呼ぶ。何やら興奮しているらしい。近江屋はお菊の手を引いて二階に上がっていった。二階では、おつねが表通り側の障子を大きく開けて、興奮した面持ちで外を見ている。

 長屋の二階には部屋が二つあった。六畳と四畳半で、六畳の部屋の中に階段の下り口がある。箪笥も何もない部屋で、四畳半の部屋には押入を開けて人が通れるスペースのみを残して店に出す品物が積まれている。襖があったはずだが、取り外されて壁に立て掛けてあった。

「お菊ちゃん、ここに来て外を見てご覧なさいな」

 おつねにそう言われて、お菊は窓に近づいていく。自然に通りが見えるところまで近づいて、お菊はまた悲鳴を上げて部屋の隅に走って逃げてしまった。近江屋は自分の見たものが信じられない様子で立ち尽くす。

 外の通りに見えたのは、まさに妖怪大行進、つまり百鬼夜行だった。一つ目小僧にろくろ首、火車、牛鬼、のっぺらぼうなどなど。有名どころから見たことも聞いたこともない妖怪まで、ありとあらゆる妖怪たちが表通りを練り歩いている。ここで見ている人間がいることには気づいていないようで、危害を加えてこようとする妖怪はいない。だからこそ、おつねは何やら楽しそうにそれを見ていた。その度胸があると見ていたからこそ、志之助もおつねに見てご覧と言ったのだろう。

「これは、いったい……」

「志之助さんがやってるんでしょう。こんな非常識なことができる人なんて、そういやしませんよ」

 なかなか、行進する妖怪たちも楽しそうだ。おどろおどろしい様子がまったく感じられなくて、おつねもくすくすと笑っている。

「でも、何やってるんでしょうねえ、志之助さん。人に見られでもしたら大変でしょうに」

 しばらく楽しんでいてふいに不安になったのか、そうおつねが呟く。近江屋はどうやら自分を助けてくれた人らしい長髪の僧を思い出し、眉をひそめた。





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