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話を聞いて、へぇ、と相槌を打ったのは童子姿の鳳佳だった。
淵を囲む大岩のうちの一つに腰掛けて足をパタパタと動かしながら話を聞いていて、蒼龍と蛟のやり取りについては初耳だったらしい反応だ。
隣では岩の足元に広がる草原に獣姿のまま寝転がった紅麟がいて、機嫌良さそうに尻尾を振っていた。蛟は相変わらず長大なその身体を丸めた姿勢で定位置に陣取っている。
「俺の予知もなぁ、事象を見ることはできてもそれを遡れないから犯人を事前に見つけるには至らないんだよね。こういうの、片手落ちっていう感じ?」
「予知ができるのじゃ、十分であろ。後のことは蒼龍に任せておくが良い。これぞ、適材適所じゃな」
相変わらずの姫言葉で答えた紅麟に蛟も同意を示して頷いた。そっかなぁ、と鳳佳が少し得意げな表情になって照れてみせる。
「なれど、この精霊界に火事とはいかなる天変地異の前触れかのぅ」
「兄貴が長様と話してるのを小耳に挟んだんだけどな。この精霊界、縮んでるらしいぞ。端からだんだん消えていくんだって」
「むぅ。それは寂しいことよのぅ」
ペトリと耳と尻尾を伏せて落胆を示す紅麟に、確かになぁと鳳佳も同意してため息をついた。蛟からは何の反応もないが、何も感じていないわけでもないようで子供たちの反応を穏やかに見守っている。
そもそも、精霊界という存在そのものが人間たちの心が育てた幻想世界だ。人々の夢や空想の大きさによって精霊界も広がったり狭まったりする。
近頃の人間は幻想世界を育てる空想力が衰えてきているのだろう。それは、精霊界に住まう生き物自身にはどうすることもできないことなのだ。だから、受け入れるしかない。
「けれど、東の崩壊は落ち着いているのですよ。ここに蛟がいてくれるおかげでしょうね」
突然声が振ってきて、次いで蒼い衣をまとった蒼い人が空間を割って現れた。蒼龍ほどの実力者になれば、精霊界の中を移動するのに空を飛んだり地を歩いたりする必要もないわけだ。
普段からそんな現れ方をする人だから、三人の誰も驚いたりはしない。代わりに、鳳佳が不思議そうに首を傾げて返した。
「どうして蛟のおかげなんだ?」
「この東の果てに位置する淵に神格級の神獣が棲んでいるおかげで、東は地場がしっかりしているのですよ。その代わりに、反対側の西のはずれでは崩壊が一段と激しいのですが、こればかりは仕方がない。減っていく量は変わらないのですから、一方が踏みとどまればもう一方の崩壊は止められません」
それにしてもここ数十年は崩壊の速度がいや増している。このまま精霊界ごと失われてしまうのではないかと、管理人たちも心を痛めているのだ。だからといって、彼ら自身にもどうしようもないのだが。
それはそうと、と話題を変えたのは蒼龍だった。
「紅麟、炎麒が探していましたよ」
「むぅ。教育係は近頃五月蝿い」
「早く成長して欲しいのでしょう」
「知らぬうちに成獣に進化しておれば志之助がとまどうであろ?」
「むしろ子供のままでは心配するのではありませんか?」
年長者に諭されては反論もできかねるようで、紅麟はますます拗ねて蹲ってしまった。不機嫌に尻尾をぱたりと動かす。
会話を聞いていて、蛟は楽しそうに笑うだけだ。
「鳳佳もじゃの。むしろ出会った頃より幼くなったのではないか?」
「良いんだよ。大人になる気ないんだから」
「まったくじゃ。大人になぞなっても煩わしいだけよ。志之助にも甘えられのぅなってしまう」
「うわ、それはヤダ」
子供同士意見が一致してしまったようだ。確かに無理して成獣に進化したところで大した利益も見出せず、蒼龍も困ったように笑うしかない。
探していたと言われても動くつもりのない紅麟に、彼女を追い立てるだけの責任も義理もない蒼龍はそのまま放っておくことにしたようだ。
いずれにしても立ったままでは疲れるだけなので、横たわる紅麟の背に寄りかかるように腰をおろす。
志之助が介在していなければ互いに何の接点もない四人は、志之助亡き後もそのまま友人関係を継続していて、こうして無駄話をしながらのんびりと時を過ごすのもよくあることだった。
今まではここに烏天狗たちも加わっていたのだが、生まれ変わって人間の世界に生れ落ちた志之助を追って精霊界を留守にしている。
これまで何度も実感してきたこの不思議をまたも噛みしめているところに、大慌てでやってきた黒い影があった。この場所で黒い影と言えば彼らしかないと言えるくらいに自然な姿になったそれは、烏天狗の頭領である額に向こう傷を持つその一匹。志之助に付けられた名を、一つという。
「丁度良かった。お方々に助けを求めに来た」
偶然この場所に集まっていたことに対しての、丁度良かった、だろう。本当に大急ぎで来たらしく、珍しく息を切らした一つがそう言って面々の顔を見回した。
「助け、ですか?」
「志之武を助けて欲しい」
「しのぶ……? 志之助のことかえ?」
知らない名前ではあるが、志之助と似た名で一つが今志之助の傍にいるはずという前提条件があれば、他に選択肢はない。確かめるように問い返しながら、紅麟が腰を上げる。その背に寄りかかっていた蒼龍も立ち上がって一つを見返した。
「事情を簡単に聞かせてください」
「人に攫われた。その相手に志之武は逆らう意思がないのだ。放置すれば心を病む。征士を助け、主を取り戻したい。助けてもらえぬか」
逆らう意思を持てない相手ということは、遠慮するべきと判断される相手でもあり、それは心の近しい相手と言うことができる。その相手に攫われたというのは実に不自然な表現で、なんとも複雑な事情を喚起させる説明だった。
「……蒼龍」
「来るべき時が来たと、言うべきでしょうね。できることであれば、平時において志之助の意思で呼んでいただくのを待ちたかったというのが本音ですが、事は急を要すようです。参りましょう。一つ、案内を頼みます」
蒼龍の判断に、待ってましたと言うように鳳佳がその翼を広げて羽ばたき、淵に浸かっていた蛟もその姿を宙に浮かべる。空中に階段があるかのように空に駆け上がっていく紅麟を追って、蒼龍もその本来の姿を取り戻した。最後に一つが空へ飛び上がり、彼らを先導するように上空へ舞い上がっていく。
志之助が寿命で命を落としてから、主不在のまま式神としての鎖を自分の手で掴み続けた彼らにとって、その主の魂を受け継ぐ相手の窮地を救うことは至極当然の行為だ。まさにその場面が来たとなれば、彼らの士気も奮い立つというもので。
丁度紅麟を探しに淵までやってきた成獣の紅麒麟が、一足違いで飛び立っていった彼らを見上げて悔しそうに地団駄を踏む姿だけが、地上に残されていた。
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