参の3




 またしばらくうーんと唸って考え込んでいた志之助は、やがて作戦を練りなおしたらしく、顔をあげると、パンと音を立てて手を合わせた。それを口元に持っていき、ぼそぼそ呟く。

「藤香、橙、戻っておいで」

 藤香は寛永寺の元呪法が行なわれた場所を監視していた式神で、橙は中村家の留守番を任された式神だ。そんな遠くにいる式神を、それだけで呼び寄せられるのは、ひとえに志之助の法力の強さによるものだ。それから、あわせた手を離して空中に命じる。

「橘。台所に忍び込んで、高杯取ってきて。できるだけ大きいやつ」

 葵の時もそうだったが、どこかに呼ばれた式神が現われた形跡がない。逆に言うと、姿を現す必要がないのである。命じられた言葉を聞いて仕事をこなし、戻ってきて報告するときに姿を見せれば良いというわけだ。命じた志之助は式神が現われないことに何の違和感も感じていないらしいことからも、それはうかがえる。

 そこへ、平安武者の姿をした霊と天狗が二匹、戻ってきた。平安武者の霊は、葵の精でその名も葵。天狗は葵が呼びにいった右翼と左翼だ。

「おかえり。右翼、左翼。そちらの旦那さんをね、神田の店まで運んで。近江屋さん、ついたら戸を叩いて、おつねさん、加助さんって呼びかけてくれます? まだ起きているはずですから」

 頼んだよ、と志之助に言われて二匹の天狗は頷くと、近江屋の大旦那を両脇から抱え上げ、空中に飛び上がった。近江屋は、宙に持ち上げられる不安定さに、ひぃ、と短く悲鳴を上げたが、誰も意に介しない。天狗たちが落とすはずがないことを、信用しているからだろう。

 葵の姿はいつのまにか消えている。役目が終わって呪符に戻されたのだ。同じように、戻ってこいといわれた藤香と橙もその時すでに呪符に戻っていた。つまり、志之助の式神は、志之助さえ場所を限定できればどこにでも現われることができ、どこからでも呪符に戻ることができるわけである。

 天狗を見送った志之助は、一息つく間もなく後ろを振り返った。事の成り行きを見守っている蒼龍の背後に、高杯を掲げた狩衣姿の美青年の姿があった。これが橘が人に身をやつした姿だ。

「ごくろうさま。ここに置いて」

 指差したのは志之助の右隣だ。高杯をおろして橘の姿も消える。さて、とやっと一息つき、志之助は懐から呪符を一枚取り出した。あちこちで使っている式神を小間物屋の守護に残している分だけ残してすべて呼び戻すことで法力に余裕を作り、それから呼び出す相手。水を操る神獣。

「おいで、蛟」

 竜の下位に位置する神獣で、三本指の竜とも言われるものである。五本指は竜族の長のみで、一般に竜と呼ばれる形をしているのは四本指、その下に位置した竜族に連なるものの一つに、この蛟がいた。竜に似た形をしてはいるが、どこか物足りない。蒼龍は四本指だから、同列には置けないが、それでも神獣の中では麒麟や鳳凰にならび高位に位置している。

「この高杯に水を張って、水面鏡にして」

 頷いて、蛟は口から水を吐き、器用に高杯に水を張る。張られた水に、志之助が手近にあった木から葉を一枚ちぎり取って浮かべる。すると、水面に志之助の顔が映った。蛟の見ているものが、そのまま水面に映るという仕組みだ。

「鳳佳。蛟をつれてさっき行ってきた所に行って、納屋か倉か、適当に一棟焼いてきて。大火事にならないようにね」

『わかった。俺たちの姿を見られないように、奴らを起こせばいいんだな?』

「そう。それと蒼龍。百鬼夜行、頼むね」

『もう、起こしてよろしいのですね?』

「うん。できれば長い時間やっててほしいんだけど、できる?」

『はい、もちろん』

 お任せください、と蒼龍が笑ってみせ、鳳佳は身軽に宙返った。空高く飛んだ鳳佳はそのまま腕をばたつかせて鳥の姿に変身し、飛び去っていく。急いで蛟が後を追いかけた。蒼龍もいつのまにそばを離れたのか、いなくなっている。

 いよいよ正念場か、と意気込む征士郎を、志之助はのんびりした様子で見上げ、そばに座れと促す。志之助がまずはじめに天狗たちを呼び出してから、ようやく半刻が経とうとしていた。

「まだか?」

「まだまだ。この時刻じゃ、曲者さんたちもぐっすり夢の中だもの。相手がいなくちゃ、戦争はできないんだよ」

 憎まれ口を叩きながら、先程のように後ろから抱きついて座った征士郎に身を預ける。征士郎は支えているというよりも、寄りかかってきた志之助に逆に寄りかかっていた。志之助と付き合っていて、何が起きても動じない精神力を持ってしまった征士郎である。緊張感溢れるこの状況で、だらんと身体の力を抜いていた。

 まだ何もすることがなくて、暇そうに高杯の水を眺めていた征士郎が、やがて呟くように言う。

「鳳佳も蛟も、空を飛ぶ速さには驚かされるな」

「空を飛んでなんぼだからね。今どの辺りだろう。けっこう山奥」

 志之助も答えながら高杯の水を見ていた。征士郎が眺めているだけなのに対して、志之助はしっかり見つめている。一応役目は果たしているらしい。

「高尾山の辺りだろう。あの一本杉には見覚えがある」

「かなり西の方だね。このまま行くと、甲斐に行っちゃう」

「いや、降りたぞ」

 蛟の目に映るものがそのまま映っているその景色が、大きく旋回しながら高度を下げた。かなり暗い夜中なのだが、水にはなかなかはっきりと映っている。蛟は夜目がいいようだ。

「……薬王院だ」

「高尾山か?」

 うん、と志之助ははっきり頷いた。よほど自信があるようだ。どんどん山に近づいていって、征士郎もなるほどと頷いた。高尾山にこんなに大きな寺は、薬王院しかない。

 高尾山薬王院とは、成田山新勝寺、川崎平間寺と並び、関東三山に数えられている真言宗の寺である。高野山を本山とする真言宗は、弘法大師が開いた真言密教であり、志之助が以前いた比叡山とはライバル関係にある宗派だ。

 しかし、不思議である。寛永寺でまず呪咀を行なっていた彼らが、敵対宗派の寺院である薬王院で呪咀を続けているというのは、どうも腑に落ちない。仏様は宗派に関係なく同じなので、問題がないといえばないのだが、気分的に嫌なのではないだろうか。薬王院の方でも、天台宗の僧侶ならば、まず受け入れないはずである。

「ってことは、天台の僧侶じゃないってことか?」

「とも考えられるね。もっとも、俺って事例がここにあるわけだし、天台僧で真言密教僧ってこともないわけじゃない」

「わけじゃないも何も、ない。そんな特殊な奴はしのさんくらいだ。まだ陰陽師で寺に居候してただけって方が納得がいく」

「……案外、それかもしれない」

 ま、推測の域は出ないさ。そう言って志之助は余裕で笑った。相手がどんな身分のどんな力を持ったものであろうと、この件の解決法は将軍にかかる呪咀を叩き返すことだけだ。呪咀はどんな人間が行なっても原理は同じなので、相手の力の種類など然したる問題ではない。

「せいさん。竹中殿、呼んできてくれない? せいさんの力を信用してないわけじゃないけどさ、念には念を入れたいから、二段構えでいきたいんだ」

「わかった」

 志之助は、水面鏡を見ていなければならないからこの場を離れられない。高杯いっぱいの水を運んで奥に入るのは、かなりとんでもない勇気がいった。こぼしたら洒落にならない。ということは、話をしたい相手に来てもらうしかないのだ。そのくらい言わなくてもわかるところが、さすが相棒である。紅寿とは話しもしたくないだろうに、征士郎は嫌な顔一つせずに立ち上がった。

 鳳佳はぐるりと山内上空を一周し、本殿脇の納屋に火を放ったらしい。蛟の目を通して、燃えだした藁葺き屋根が水に映っている。火が屋根全体に回った頃、寺の人々が起きだしてきたらしい。高尾山ともなれば僧侶も寺男も数が多い。したがって、群衆を見ているだけではどの人間が呪咀を狙っているのか判断がつかない。

 ふと、志之助は顔をあげて空を見上げた。そして、くすくすと笑いだす。江戸市中の住民たちを起こさないように、音はないがド派手な百鬼夜行が始まったのだ。それに気づいたようで、水面では火を消そうと右往左往している群衆から一人抜け出して、奥の院の方へ走っていく人物が映し出された。その人が怪しいと蛟も思ったようで、その人のみを映像が追っていく。

「何一人で笑ってんですか」

「下手人でも見つけたか?」

 紅寿と征士郎が志之助の笑い顔に別々の反応をする。その二人を見上げて、志之助は困ったような満足そうな不可思議な笑みを見せた。

「せいさん、ご名答」

「あ? 下手人か?」

「の、正体だよ。居候の陰陽師」

 ほう、と自分に感心したらしい反応をする征士郎の隣で、紅寿は何が何だかわからず首を傾げている。水面鏡には、黒髪のフサフサした狩衣姿の青年が、烏帽子片手に山を登っていくまさにその場面が映し出されていた。





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