招き猫ミケの生活事情 1
西暦二千年という節目の年を越え、この店の招き猫になってから数えても三百年は経とうというこの頃。
不思議な縁で厄介になった見返りにと収まった招き猫の地位が自分の立場として定着して、店が移転する時もその度に店主に頼まれて共に移動し、店の繁栄に貢献してきた。その甲斐あってか、すでに経営者は中村の血筋ではないけれど、今でもしっかりした経営基盤を確立している優良小間物店である。
中村屋の名前は、今もまだ脈々と受け継がれている。店舗の位置こそ明神下から離れて銀座に移ったが、今風の横文字名にすることもなく、多数の店子を受け入れる百貨店ながら、中村屋の暖簾を背負った陳列棚も健在だ。
高級の名を恣にする大店と肩を並べながら、中村屋の商品は手ごろで日用雑貨が主になるのも、創業以来の理念を受け継いでいるからに他ならない。
もともとが下町の庶民相手に日用雑貨を売る店だ。敷居を高くして昔からの大切な顧客を手放すことは、創業当初の理念に反する、というわけだ。
といっても、それは創業当初の店主の考えではなく、二代目店主の考え方だった。
武家の中でも身分の高い旗本の家柄に生まれ、次男坊である気軽さから叔父の連れ合いが開いた店の跡継ぎとして収まった異色ながら、商才は創業者以上で、初代は人柄で二代目は才能で店を大きくした、と言われているほどだった。
この店に居ついた当初から、すでに唯一を誓った主人に先立たれて野良生活をしていた私は、どうせ寿命もない永い人生をこの店で過ごすことに決めていた。将軍家もなくなって世の中が加速度的に移り変わっていく中で、私のような妖怪が生きていくのは大変だという理由もある。
まぁ、二代目信介を気に入った時から、この子の信念を引き継いでいくうちは、と期限を決めていたところ、そんな日が結局来なかった、というのが正直なところだ。
異国風の経営手法がこの国に浸透し始めて以来、中村屋の経営体系も随分変わった。以前は、どれだけ店が大きくなろうとも、主人がいて番頭がいてその下に手代だの丁稚だのとつく上下関係は変わらなかったけれど、大きな戦があって街が焼け野原になった後くらいから、株式会社とかいう体制に変わったのだ。
はっきりいって、古い時代の手法が身についている私は、いまだにその仕組みについていけないのだけれど。
今のところ、頻繁に入れ替わる主人の誰もが、食事と飲み物のお供えを忘れないでいてくれるので、私はそのままここに座っている。
といっても、物理的に座っているわけではなくて。一日一度の食事を摂りに来る以外は、店内を自由気ままに散歩している。私の姿はよほど力の強い能力者でない限りは、私の好きなように見せたり隠したりできるから、店内の見回りに誰かの注意を引いたことは今のところない。
現在の主人、中村屋代表取締役社長皆本正路は、小太りで鬘頭の小心者の小男だ。
そもそも私の存在を認めないことこそ現実主義だと思い込んでいるふしがあり、食事は自分で持って来ないし、私としゃべったこともない。最近ころころと代わる主人連中の中では唯一、一度も会話をしたことのない相手だ。
まだ若い副社長は中村の血筋の人間で、気持ちのいい性格をしていて私とも馬が合うから、我慢しているけどね。
そもそも、ここにいるという事実から目をそらして、何が現実主義だ、って声を大にして言いたいものだ。早く代替わりしてくれないものだろうか、とつくづく思う。
そんな小男が、今日は珍しく私の食事を持って現れたから、ちょっとびっくりしたのだけれど。それには続きがあった。
最初にここに大きなビルを建てたときに、最上階の外が良く見渡せる社長室の隣に、私の部屋が作られていて、私もこの場所は大のお気に入りだ。まぁ、猫一匹の部屋だから他に比べれば小さいけれど、それでも六畳くらいはある。私にはこれで十分だ。
その部屋に、食事を持ってきた小男は客を引き連れてきたわけだ。普段は副社長が持ってきてくれるから待ち構えていたのだけれど、現れたのは見たくもない脂ぎった顔で、思わず警戒した。
客人は、猫一匹いる以外に家具も何もない部屋に足を踏み入れて、驚いた表情を浮かべていた。背後にいる頭半分高い男も、似たような表情だった。
「え? ミケ?」
客人の第一声がそれで。いや、っていうか。
『おぬし、志之助か?』
顔立ちは変わっているものの、その存在が持つ雰囲気といい霊体の色合いといい、まさしく中村屋初代店主のそのものだった。ということは、後ろに控えていて驚いているその男は、初代店主の旦那にして二代目の叔父に当たる、征士郎だろう。
能力こそ特殊だが、一応は普通の人間の二人だ。生まれ変わっても記憶をなくさず引き継いだらしい。でなければ、志之助がつけた私の名をわかるはずがない。
しかし、驚いた。まさか、三百年の時を経て再び二人と顔を合わせるなど、想像もしないのだから当然だ。
向こうもしばらく驚いていた様子だったが、やがて二人顔を見合わせ、改めて感慨深そうな表情に変化した。
「ってことは、ここってあの中村屋なんだ」
「創業三百年か。現代まで生き残るとは、招き猫の力も馬鹿にならないもんだな」
『信介の血筋も残っているぞ。会ったか?』
「誰? 皆本社長?」
『ふん。そんな小男を中村に並べるな。当主は名誉会長の身分でここにはもう来ないが、十代目が副社長を務めてるよ。信介に良く似た良い男だ』
多少自慢もあってそう言えば、志之助は「あぁ」という顔になった。どうやら、会ったことは会っているらしい。気づいていなかったようだが。
「どこかで見たことのある目鼻立ちだと思ったら、中村の顔か。確かにそんな感じ」
「そうか? ずいぶん違うだろ」
「いや、でも、目元とかは似てたよ。中村の顔は目に特徴あるからね。勝太郎さんもせいさんもそっくりだった」
なるほど、さすが志之助だ。特徴を掴むのは上手いようだ。そうだったか、と征士郎は首を傾げているが、こいつは元々鈍感だからな。生まれ変わって多少変わったようだが、過去の記憶が相手では反応も変わりあるまい。
しかし、ところでだ。
『それで、志之助。何をしに来たのだ? ここがアレであると知らなかったようだが』
まぁ、本人たちもそれが本題であろうし、あの頃に比べたら少しは気を利かせるようになった私だ。話を振ってやれば、そうそう、と思い出したように志之助は皆本を振り返った。
「化け猫退治とご依頼を受けたはずですが、どういうことでしょう? あれは招き猫です。これだけ立派な居室を与えているのですから、代々自覚を持って扱ってきたはずですが?」
何しろ私を招き猫に据えた本人だ。志之助は迷いなく私を招き猫と断言した。最初のきっかけはどうあれ、三百年も続けていればそれなりの能力と風格は備わるものだ。今は立派にその立場なのだから、志之助の断言はだいぶ嬉しい。
「そ、そんなことはどうでも良い! 頼んだことをやってくれれば良いんだよ! その気味の悪い猫をどこかに放り出してくれ!!」
「中村屋を潰したい、という意味でしょうか?」
「な、何だそれは。化け猫を放り出せと言ったんだ、店を潰せとは言っていない。それとこれとどんな関係があるというんだ」
まったくどうしようもないこの小男は、どうやら自分の言がもたらす結果に未だ気付いていないらしい。
なにしろ、三百年だ。その長い時間を、一時の曇りもなく商売繁盛に導いた招き猫は、今や退けた災厄から店を守る守護の役目をも背負う。それを何の前準備もなく放り出せばどうなるか、想像に難くなかろうに。
呆れたのは志之助も同様だったらしい。あからさまなため息をつき、仕方ないですね、と答えた。
「ミケ。お前が思う主家は、中村屋と中村家、どっちだ?」
それは、いままで別物であった意識がない。突然の問いに、問いの意味すらも迷った。が、まぁ、良く考えればわかることだ。中村の血筋が中村屋の長でなくなって久しい。別物と考える良い機会なのだろう。
『それが別のものであった過去がないから断言はできないけれどね、やっぱり、信介の血筋であることが一番だろうね』
「なら、配置換えに乗ってくれるね?」
『店を捨てるのかい? いずれは中村の血筋に戻るだろうに』
「大丈夫。傾いた店を建て直すことができるのは、結局創家の血筋だってことくらい、株主たちが良くわかってるさ。少し苦労をかけるけど、それはお前が助けてくれるだろう? ミケ」
しゃがんで、おいでと手を広げる志之助に、私も小さな肩をすくめて従う。随分と高い位置にある見晴らしの良いこの部屋は、気に入っていたのだけれどね。ここにいても無能な小男の迫害に遭うだけとなれば、本来私が守護するべき血筋の元へ移動するのも必要なのだろうさ。
軽々と私を抱き上げた志之助は、小男に向き直り、軽く頭を下げた。こんな男に礼を尽くす必要などないと思うが、現代に生きる者のしがらみは私のような獣の範疇外だ。
「では、この猫は創始者一族にお返ししておきます。御用は御済ですね?」
「な、何を言う。それでは名誉会長の耳に入るではないか。放り出してくれれば良いんだ。余計なことを……」
「それはできません。この猫は元々店の所有ではなく、中村家からの借り物のはず。持ち主がわかっているのですから、きちんと返却しなければ罪に問われます。私が術師として責任を持ってお返ししておきます」
さすがに有無を言わせぬ口調で断言して、志之助は私を抱き上げたまま旦那を引き連れて颯爽と部屋を後にした。
まぁ、いずれ戻ってくるだろう。それまで、私の部屋が荒らされないことを願うのみだ。
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