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電車は、あっという間に南千住に到着する。
古いビルが立ち並ぶ、昭和の面影が色濃く残るこの下町の町並みが、俺が慣れ親しんだ故郷の風景だ。
まぁ、何しろ電車で30分。懐かしい風景とはちょっと言えない。この辺も、仕事で時々通り過ぎるようなご近所さんだ。
ここからは、ここに住んでいたときは自転車で10分ほど走る距離なのだけれど、今日はタクシーと相成った。ワンメーターではさすがに行けないけど、千円にお釣りがくる距離ではある。歩いたら遠い。
「中村ネジ、わかります?」
「はい、わかりますよ」
愛想よく答えたタクシーの運転手は、後から乗ってくるしのさんに声をかけてドアを閉め、ゆっくり走り出した。
それは、伯父が経営している小さな町工場の名前だ。職人を何人か抱えていて、ちょっと経営は苦しくても、若い職人を育てて技術力を伝授していくことに積極的な、ちゃんと未来を考えている良い親父さんの工場だった。
うちの父は、数年前会社をリストラされ、今ではそのネジ工場で経理兼営業として働いていた。企業に勤めていたころから、面白みも無い十把一絡げにされるような平凡なサラリーマンで、いまだにその頃の癖が抜けないらしい。
剣道家として腕を磨いていた、自分を磨くことに情熱を注ぐことを知っている甥っ子、つまりは俺に、伯父はよく飲みの席で愚痴ったものだ。両親とはめったに会わない俺だけれど、伯父とは連絡を取ってたんだよね。あの人とはなかなかウマが合う。
恋人が同性だという話は、その伯父にはしてあった。別にするつもりだったわけじゃないんだけど、この間愚痴の相手に呼び出されて二人で飲んでいるときに、ぽろっと思わず口が滑って。
驚いてはいたけれど。お前は男として俺が認める相手だ、そのお前が決めたことなら仕方が無い。っていうのが、伯父の反応だった。その程度には、おおらかさも持ち合わせている伯父だ。まぁ、工場では頑固親父で通っているけれどね。
あの伯父がいなかったら、俺は高校卒業まであの家では頑張らなかったと思う。
義務教育を終えた時点で、実は、将来有望な少年剣道家を集めて英才教育を施す、しかも奨学金制度を使えば生活費まで保証、っていう割の良い誘いを受けていたんだ。
今は、知っている。それが、土御門の系列の、霊剣術師を育てるためのカリキュラムだってこと。
その時、誘いを断った理由は、伯父の一言だった。未成年のうちは親孝行してやれ、って。結局、二年早く逃げ出しちゃったけどな。
我が家は、その伯父が経営するネジ工場の隣にある。元々、中村家はこのあたりの土地を所有していた地主で、祖父が生前分与で分け与えた土地に親父は今の家を建てた。だから、本家の隣、というわけだ。
祖父は結局、俺が中学生の頃に亡くなった。生前分与したときにはすでに死を覚悟していたそうだから、それを考えれば長く生きたほうなんだろう。
祖母は、今も伯父の家で元気に暮らしている。曾孫の世話をするのが楽しみ、なんだそうだけれど。
俺には子供は望めないし、後は従兄弟に期待するしかない。まぁ、期待薄かな。
女好きだけれど、結婚には興味が無いらしく、一度は結婚を迫られて断って振られたんだそうだ。ちなみに、現在30歳、婚約者はいない。伯父情報だから偽りなし、だ。
ネジ工場の前に下りて、俺は実家よりも先に工場の隣に立つ伯父の家を訪ねた。工場をはさんで向こうが俺の実家。こっちが本家だ。
チャイムを鳴らして名乗ると、家の中からどたどたと音がして、玄関が勢い良く開いた。出てきたのは、従兄弟の孝太。
「征士。ちょうど良かった、助かった。助けてくれ」
「……はぁ?」
開口一番、もう5年も会っていない従兄弟に、助けてくれ、は無いと思うんだが。
すがるように俺を見て、それから、俺の隣に立つ人物に気付いたらしい。あ、というびっくりの表情に変わった。
「お客さん連れか? ……あぁ、もしかして、お前の嫁さん?」
「はいぃ!?」
今度こそ、本気で驚いたぞ、俺は。なんだ、その、嫁さん、って。しのさんは、男だろう、どう見ても。そりゃ、美人だけど。
ん?
まさか、伯父さん。家族に言いふらしてるのか?
「まぁ。とにかくあがれよ。っていうか、助けてくれ。親父と叔父さんが大変なんだ」
ほら、早く早く、と手招きして、孝太はさっさと家の中へ入っていってしまった。仕方が無いから、追いかけることにする。
しのさんは、困惑するというよりはただただ驚いて、閉まってしまった玄関を見つめていた。
「しのさん。行こう」
「え? え、あ、うん」
戸惑いが戸惑いだとわかる返事をして、勝手に玄関を開ける俺について来る。それを背後に確認して、俺は肩をすくめる以外に手段を見出せなかった。
まったく、伯父さんはおしゃべりなんだから。頑固で寡黙な工場長が聞いて呆れるよ。
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