参の1




 志之助は、庭に面した縁側に腰を下ろして、頭を抱えてうずくまっていた。啜り泣く声は虫の声と庭を巡回する侍たちの防具の音にさえぎられて誰にも聞こえない。

 志之助の元に報告に戻ってきた天狗の前が、気づいてもらえなくて困った顔をしていた。奥座敷から出てきた征士郎が、その前の姿を見て苦笑する。霊視力に乏しい征士郎でも、天狗ほどの存在感があれば見ることができた。

「ああ、お帰り、前」

 志之助の背後から征士郎の声が聞こえて、はっと志之助が振り返る。征士郎に助けてもらえた前は、改めて志之助の目の高さまで降りてきた。声なき声で志之助に呼びかける。

 征士郎には天狗の声は聞こえない。霊力があるのは志之助が太鼓判を押すところだが、征士郎の霊に関する五感は一般人とまったく同じだった。前の報告を聞く志之助の背に抱きついて、征士郎は志之助の反応をじっと待つ。

「そう。まだ気づいてないのか。東叡山も先は長くないな。……ありがとう、前。戻って監視を続けて」

 頷いて、天狗はまた空へ飛び立っていく。それを見送って、征士郎は志之助を抱く手に力をこめた。

「聞いても良いか?」

「……うん」

 抱き締めてくる征士郎の腕に手を添えて、志之助は軽く頷いた。ここにいることに怒らないということは、ここにいてもいいということだと解釈して、征士郎は紅麟の言葉に勇気づけられる。志之助は征士郎の手を待っているのだという、あの言葉だ。

「竹中とやらとは、どういう関係だ?」

「……どうして?」

 質問の理由次第で、答え方が変わってくる。志之助は軽く征士郎を振り返った。征士郎はというと、志之助を抱き締めたまま、視線をあらぬ方へ向けた。

「……嫉妬しているのだ、俺は。あの男は、俺の知らないしのさんを知っている。それが悔しい。しのさんのことを一番知っているのは自分でありたい。そもそも、俺のことを俺以上に一番知っているのはしのさんなのだぞ。俺だって、知りたいではないか」

 だから教えろ、とまるで子供のようなことを言う征士郎に、一瞬黙り込んだ志之助は、それからぷっと吹き出した。一度笑いだしたらそう簡単にはとまらない。かなり苦しそうにしながらも、ずっと笑っている志之助を見ていて、征士郎はむすっとした顔をした。

「……なんだ」

「だって、せいさんってば。子供だよ、その発言は」

 ひーひーいいながらもまだ笑っている志之助の頭を、征士郎は軽く叩く。その手がじゃれているだけなのがわかって、志之助はなぜか嬉しそうに叩かれたところを撫でた。

「一回だけだよ。あの人、比叡山に傷だらけで迷いこんできてね。俺の隠れ家に匿ってやったんだ。その時、口封じのつもりでね、一回だけ。匿ってたところが隠れ家だったから、匿った事実も山の人には知られたくなかったんだよ。見つかったら隠れ家じゃなくなるだろ?」

「その頃は、しょっちゅうやっていたのだな」

 時には口封じとして、時には相手のご機嫌をとるために。やはりすべては自由に生きるためだったのだ。山を下りた今でこそ自由奔放に生きているが、山にいた頃はその隠れ家にいる間だけが志之助に許された自由な時間だったわけだ。それを壊されたくないとなれば、そりゃあ、身体も投げ出すだろう。その当時は倫理感などもう残ってはいなかったのだから。

「今は人生最大の汚点だと思ってる。我ながら、最低なことしてたよね。嫌ではあったけど、悪いことだなんて思ってなかった。せいさんに会って、はじめて悪いことだったんだってわかったんだ。だから、せいさんには知られたくないって、過去の汚点は全部、知られないでおきたいって、そう思ってた。もう、とっくに手遅れだけどさ」

「俺は、知りたい。しのさんが、俺に会うまでどうやって生きてきたのか、知りたい。俺が自由に諸国漫遊の旅をしていたとき、俺が江戸の道場でお遊び剣道なんてものをやってたとき、俺が川崎で何不自由なく暮らしていたとき、しのさんはどうやって生きていたのか。俺は、知りたい。でなければ、相棒だなどと胸を張れない」

 だから、もう隠さなくていいから、と。志之助を優しく包み込んで、征士郎はそうささやいた。まだ、志之助が自分に正直になれないという紅麟の言葉の真意はわからないが、それは紅麟が太鼓判を押す鈍感のせいだ。一方志之助は、征士郎の鈍感にかなり救われていた。征士郎に正直な気持ちが悟られていないから、安心してその身を征士郎に預けていられる。そういう安定もあるのだ、この二人には。紅麟には焦れったかろうが。もう長い付き合いになる天狗たちにも焦れったかろうが。

 いつのまにか、二人の間にあった二枚の壁は消えてなくなっていた。話せば自然に溶けてしまう、ちょっとした刺のようなものだったらしい。さっきまであったギクシャク感が、もう何もなくなっている。

 向こうの空から天狗が飛来してくるのを見つけて、志之助が迎えて立ち上がった。今度も一匹のみでやってくる。特徴があるとすれば、額に残る一筋の傷跡くらいだ。

「お帰り、一つ。返事は?」

 ばさっと背中の羽をばたつかせて、地面に降り立った子供大の背丈の一つは、志之助をじっと見上げる。きりっととじられたくちばしがなかなか凛々しい天狗だ。一つの報告は征士郎には志之助の力を借りても聞こえないので、報告が終わるまでぼうっと待っていることにした。やがて、にこっと志之助が笑う。

「ありがとう、一つ。そろそろ他の子たちも結界壊し終えた頃だろうから、みんなにお堀から中にあやかしを入れないように伝えてくれる?」

 頷いて、一つはまた飛び立っていった。昔は法力を駆使して五十八匹の天狗たちを力ずくで支配していたものだが、付き合いはじめて二年経った今では、絆として少々の法力を使う程度で、両者の間にきっちりとした信頼関係が成り立っていた。だから、直接命じずに頭を通して伝えても、言うことを聞いてくれる。出会った当初は少しでも手綱をゆるめると暴れだしかねなかった彼らも、今では何の前触れもなく絆が切れたりなどしたら、心配して集まってくれるだろうほどだ。仕えている相手の志之助だけでなく、征士郎の頼みも聞いてくれる。

「何と?」

「近江屋の旦那、見つかったって。鳳佳が迎えに行った。それと、将門が、たまには遊びに来いってさ」

 これが済んだら挨拶にいかなくちゃね、と言って志之助は優しく微笑んだ。そういえば、せっかく近くに引っ越したのに、忙しさに追い立てられて引っ越しの挨拶にも行っていないのだ。短気で甘えん坊な将門のことだ。拗ねていることだろう。

 神田明神平将門。神格であるこの元怨霊と彼らの関係は、なかなか珍しい。神である将門の方が、志之助に借りがあったのだ。今回の件で貸し借りなしになったはずだが、どうやら将門は志之助のことが気に入ったらしい。でなければ、遊びに来いなどという言葉は出ないはずだった。

 そうか、と答えて、征士郎は将門と関わることになった事件を思い出す。あの時は、日本有数の大怨霊と対峙するのに、神獣を使うこともなく、志之助の身体一つで解決してしまったのだ。志之助の守護神でもある荼吉尼天を志之助の身体に降ろすことによって。そう考えると、志之助が神獣を式神にできたのも納得がいくのだ。それだけの力があることは、その頃からわかっていたはずである。それを、今の今まで征士郎は忘れていたらしい。わかっていたら、神獣を式神にすると言いだしたときに、そんなには驚かなかったはずだ。

 今回志之助が荼吉尼天に協力を仰がなかった理由を、征士郎は自分なりに考えてみる。思いついたのは、荼吉尼天に協力してもらうということは、志之助の身体を提供するということだから、ということだった。この場にいてはできないことも色々ある。百鬼夜行を起こすのは志之助にでもいきなりはできないし、荼吉尼天ができるかはわからない。近江屋を助けだすのも、志之助の手持ちの式神たちにはできなかったのだろう。荼吉尼天は志之助の身体に降りるということで論外だ。となれば、荼吉尼天に出る幕はない。なるほど、よく考えれば納得の理由だ。

 考え込んでしまった征士郎のそばで、志之助は何かを待っているらしく、ぼんやりと空の星を見上げていた。まだ何か行動を起こすに必要なものが足りないらしい。胡坐をかく征士郎の隣に腰を下ろす。しばらくして志之助が隣にいるのに気がついた征士郎は、ずるずると身体を移動して、また志之助の背中に抱きついた。先程はかなり動揺していて気にも留めなかったが、落ちついた今は征士郎の行動に首を傾げる余裕もある。

「何甘えちゃってるの、せいさん」

「嫌か?」

 嫌ならやめるぞ、と言いながら、征士郎の手は志之助の着物の合わせ目から忍び込んでいく。素肌に直に触れて、胸をまさぐる征士郎の手を見下ろし、志之助は軽く頬を染めた。

「竹中殿に、対抗意識?」

「そういうつもりはないが。……いや、そうかもしれん。聞いてふっきれたのは事実だ。だがな、しのさん。今までだって、こうして触れてみたいとは思っていたんだぞ」

「……知らなかった」

 それは本当だ。志之助はそう鈍感な方ではないが、征士郎の思いにだけはまったく気がつかなかった。二人の間には友情はあっても恋愛感情などないと思っていた。ましてや肉欲なんて想像もしたことがなかった。いつもそばにいて寝食を共にしていて、征士郎はそんな素振りを一度も見せたことがない。見せていたら気がついたはずだ。征士郎はまだまだ若く性欲が暴走しがちな年令である。その征士郎がまったくそんな素振りを見せないのだから、想像できなくて当たり前なのである。





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