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「で?」

 何かお礼を、と引き止めるのを断って、被害者の少年のものである服を借りて、三歳児になってしまった志之武の手を引いて早々に自宅に戻った征士は、志之武を膝に抱いたままソファに沈むと、その小さなつむじを見下ろした。声をかけられて、志之武が上を向く。

「なぁに?」

「だからなぁ、しのさん。そういうことは、やる前に言えって、いつも言ってるだろうが」

「……やぁ。せぇさん、怒っちゃやだぁ」

 三歳児な姿の志之武は、反応まで三歳児のもので、征士は途端に毒気を抜かれてしまった。はぁ、と大きくため息をつく。

 何しろ、丸一日苦労をかける、と事前に頼まれてしまったのだ。何をするかはわからなくとも、それを引き受けてしまったのは事実である。ため息一つで諦めるしかない。もともと、自分が惚れた相手はこういう奴なのだ。

 いい子いい子、と頭を撫でられて、俯いていた志之武が再び顔を上げた。頬に涙が流れた跡があって、泣いていたことがわかる。目も涙で潤んでいた。

 しかし、この子はこの年頃ですでに声を出さないで泣いていたのか。

 少し、胸が痛くなる征士である。

「せぇさん。もう怒ってない?」

「怒っても仕方がないさ。お前はこういう奴だもんな」

 う。そんな風に諦められて、志之武はまた悲しそうに眉をひそめ、黙り込んだ。今度は泣き出す代わりに、征士の胸にペタンと抱きつく。

「ごめんなさぁい」

「お。今日は素直だな」

「いつも素直だもん」

 口答えの早さが、やはり志之武らしい。征士はそんな反応に一瞬目を見開き、それから笑い出した。ちびっ子の志之武を抱き上げ、ぷくぷくの頬に頬擦りをする。

「たまには、こういうのも良いかもな」

「やだぁ。このカッコじゃ、せぇさんとエッチできないもん」

 ぷっと頬を膨らませて、普段の志之武なら恥ずかしがって言わないことを平気で口にする。それから、征士の首にぎゅっと抱きついた。

 征士はといえば、そんな股間直撃な熱烈な台詞に、驚いて声も出ない。これを普段の志之武の姿で言われたら、絶対に今頃ソファに押し倒している。

 さすがに、こんな小さい子にイケナイことはできないので、理性が自制をかけるのだが。

「ちびっ子しのさんとここにいても、特にやることもないしな。これじゃ喫茶店も開けないし、ちょうどいいや。しのさん、買い物に行こう」

「おかいもの? ……ぼくもいっしょでいいの?」

 え? 問い返されて、思わず征士はさらに聞き返してしまった。

 何しろ相手は三歳児である。まさか、その相手に遠慮して見せられるとは。わーい、と喜んで走り回ってもおかしくない年頃なのに。

 いったいどういう三歳児だったのか。想像ができてしまうだけに、再び胸が痛んで、志之武を哀れみをこめた目で見つめてしまった。

「良いんだよ。一緒に行こう。何でも、好きなもの、買ってあげるよ?」

「うぅん。いらなぁい。せぇさんといっしょなら、それだけで良いもん」

 抱きついた征士に、うりうりとおでこをこすり付けて、志之武は幸せそうに笑った。

 そんな健気な台詞を、例えばいつもの志之武に言われるのなら、いじらしくて可愛い、となるのだが、この三歳児に言われると、なんとも苦しくなってしまう。嘘のつけない年頃だ。その子が言う言葉は、つまり、遠慮などではなく、本気でそう思っているのだから。

 借り物の服に身を包む志之武は、しがみついた首からソファの上に降ろされて、自分でソファから飛び降りると、ぱたぱたっと走って南側の部屋へ入っていった。そちらの部屋は、雨の日は洗濯干し場になるくらいで、特に何も置いていない部屋なのだが。

 ガラ、とサッシを開ける音がしたのに、征士は慌てて志之武を追いかけていった。

 志之武は、何と、こちらの部屋に置いてあるパソコンデスクの椅子を引っ張り出して上り、洗濯物を取り込んでいたのだ。追いかけてきた征士に気づいて、両手いっぱいに抱えた洗濯物を差し出す。

「これから出かけたら、帰り夜になっちゃうでしょ?」

「おま……。危ないぞ。落ちたらどうするんだ。ほら、代わるから、降りろ」

 発想と行動は大人なまま、頑張ればできることは頑張ってしまう志之武に、征士は呆れるしかなかった。両脇に手を差し込んで抱き上げ、床に降ろす。
 はぁい、と大人しく返事をして、洗濯物の山の前にペタン、と座った。小さな手でもたもたと洗濯物をたたみだす。手がうまく動かないことにもどかしそうだったが、それでも頑張る志之武に、征士は仕方がなさそうに肩をすくめる。
 それから、外に出してあった洗濯物を全て部屋に入れて、片づけを手伝い始めた。

「よし、終わった。まだ、やることはあるか?」

「ん? ……んー。ないっ」

「じゃ、行くか」

「うんっ」

 大きく頷くと、首筋あたりで結った尻尾のような髪が、ふわんと宙を泳いだ。





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