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 勝太郎はカウンターへ戻っていき、中村夫婦がそれぞれに一服している、5分後のこと。

 カランカラン、と心地よいベルの音が鳴った。その音とともに、子供ほどのサイズの二足歩行生物が駆け込んでくる、微笑ましい音がする。

『ただいまっ』

『ケーキじゃケーキじゃ♪』

 少女の声と少年の声が、はしゃいで弾んでいる。それは、人間、特に母親の経験のある人物には、自然と笑みを誘う、そんな情景だった。ただし、その子供が人間だったら、の話だが。

 振り返って、びっくりした。少なくとも、いまどきの子供ではない。格好が、まるで古代中国王朝の王家の子供が見に纏うような、豪華絢爛な民族衣装姿なのである。だが、それを見事に着こなして、はしゃいで走り回っている。
 それを見かねて、カウンターにいた青年が、表に出てくると、二人の首根っこをつかんで持ち上げた。

『静かにせよ、二人とも。客人の前じゃ』

『あー。お客さんだぁ』

『ごめんなさぁい』

 持ち上げられて、二人はしゅんと俯いた。反省したのを見届けて、二人を下ろし、彼は少女の両手に掲げられていたケーキの箱を取り上げる。後から入ってきた長髪の青年が、くすくす、と笑っていた。

 おそらく、青年である。一瞬、女性かと思ったのだが、それにしては肩幅が広い。体格が男性のものなのである。
 それでも、おそらく背丈と髪形を見れば女性と見間違ってしまう。三つ編みのシニヨンをさも当然のように結い上げて、余って落ちた髪が色気を誘う。それは、女である征士の母が目を見張るほどの、妙な艶かしさだ。

 笑っていた彼は、それから、ふとこちらを見やった。

「蛟、それ、冷蔵庫に入れておいて。それと、僕のエプロン、そこにかかってるでしょ?」

 それは、命令しなれた人間の、自然な物言いだった。命令口調であるのに、気分を害することがない。それがさも当然のように受け入れられてしまう。

 彼は、指示した相手からエプロンを受け取ると、夫婦の元へやってきて、深く頭を下げた。そのころには、一緒にいたらしい自分たちの息子が、こちらに気づかずにカウンターの中の人と楽しそうに話をし始めるのが見える。

「およびたてしておいて留守にして、申し訳ありませんでした。迷われませんでしたか?」

 立地的には、どうすれば迷えるのだ、と反対に聞きたくなるくらいのわかりやすい場所で、だか、別に喧嘩腰になる必要もないので、ただ頷く。
 その返答に、彼はこの世のものとも思えない微笑を見せた。まるで天使か菩薩様か。それから、カウンターのほうに一瞬目をやる。

「今日は、どのくらいお時間いただけますか? ここで、これからクリスマスのお祝いをする予定なんですが、よろしければご一緒に」

 それは、もちろん誘った時点でその予定だったのだろう日程で、二人は顔を見合わせて、また頷いた。その返答に概ね満足したらしく、彼も頷いた。そして、今度こそ本当にカウンターの方を振り返る。

「ちょっと、せいさん。いつまで無視決め込んでるの?」

 ということは、どうやら気づいていたらしい。向こうから反応がないどころか、顔を向けさえしない息子は、ただ、ひらひらと手を振った。もう、とため息をつき、おそらくここに呼んでくれた同居人らしい彼も、立ち去っていく。

 征士のそばに立った彼は、それから、驚くべき行動に出た。なんと、少し背の高い息子の背中に、まったく何の躊躇もなく、抱きついたのだ。それから、顔を寄せて何事か話をしている。息子の肩がため息をついたように落ち、ようやくこちらを振り返った。そして、またカウンターの方に向き直り、首を振るのだ。

 いったいどんな関係なのか。いったいどんな話をしているのか。まったく伝わってこない。

 ずっとそちらを見つめている二人の、袖を引っ張る手があった。誰も立っている気配はないのだが、まるで子供のようなその行動に、二人は同時に視線を向ける。

 そこにいたのは、先ほど勢い良く店内に入ってきた、少女であった。髪も服も目も真っ赤に染まった、生物学的に極めて珍しい人間だ。人間であるなら、だが。

『そなたらが、征士の両親であるか?』

 少女の年に似合わず、とにかく横柄な口の利き方をする。それに、機嫌を損なったというよりも、驚いて言葉を失った。それが、彼女には肯定に見えたのだろう。ぺこり、と頭を下げる。

『初めてお目にかかる。わらわは紅麟。志之武の式に当たるものじゃ。征士には日々遊んでもろうておる。何、あれはただ照れておるだけじゃ。そのうち自分からよって来るじゃろうよし』

 それは、おそらく、彼女の話し方がそうなのだろう。横柄なのではなく、昔の貴族に当たる人間の話し方だと、話の途中で気が付いた。それにしても、志之武の式、とは、どういう意味なのか。

 なにしろ、この両親は、陰陽道の世界には全く縁も所縁もない生活を送っている。そもそも、そんな世界があること自体を知らない。そして、知らないという事実は、息子が自分のことを全く話さないからだ、ということだけは、把握していた。

 とにかく息子は秘密主義である。それはもう、小学生のころからずっとだ。いろいろと自分の中で抱え込み、大人の立場でなければ解決できないような事態以外に、両親の助けを求めたことがない。全て自分で片付けてしまうため、よく言えば手のかからない、悪く言えば面白みのない子供だった。

 彼がわがままを言ったのは、後にも先にもあれだけである。一生を左右する大事件、進路問題だ。

 そもそも、両親ともに、征士を剣道の世界で生きていくような人間にするつもりは毛頭なかった。普通に大学に入学し、普通に就職して、普通に家庭を持って、そんな生活を望んでいたのだ。
 しかし、息子は違ったらしい。高校卒業目前で、彼に大学受験する気がない事にやっと気づき、家族会議にまでなった。その結果、結局息子の強い意志に折れ、好きなようにしろ、と突き放した。それから、仲直りもしないまま、今に至る。

 どうやら、彼は彼なりに、自分の仕事を見つけたらしい。同居人の叔父と名乗る人が、仕事、と口走ったのだから、そういう事だろう。
 だが、いったい何を生業としているのか。全く判断が付かない。普通のサラリーマンでないことだけは確かだ。

 それに、この少女。いったい何者なのか。

「紅麟。戻ってらっしゃい」

 カウンターの方から、長髪の青年が彼女を呼びつける。それに反応して、はっと振り返った彼女は、それからまた夫婦を見やった。そして、苦笑する。

『征士を怒ってはならぬぞよ。あれはあれで、気を使ったつもりなのじゃ。昔から、不器用者じゃて、時にはその心遣いが空回りすることもあるが、元は心根の優しいやつじゃ』

 それは、きっと彼女なりに気を使ったつもりなのだろう。それだけを言って、彼女は呼びつけた主人の元へ帰っていった。しかも、無邪気を装ってその胸の飛び込む。彼が苦笑しているのが見えた。

 やがて、最後の客がやってきた。こちらも年嵩の男女だ。ちょうど、征士たちと勝太郎夫婦の間くらいの年齢だろう。女性の仕草が淑やかなので、高貴な家の人だとわかる。そんな女性が、下町の喫茶店に現れる違和感に、少し苛まれる。

 征士の両親だ、と紹介されて、女性の方がすぐそばへやってきた。

「征士君にはいつもお世話になっております。彼の雇い主に当たります、土御門麟子と申します。ご両親様にはご挨拶にも伺いませんで、申し訳ありません」

 雇い主と言えば、社長と言う意味だろう。その人に、丁寧な挨拶を受けて、二人は恐縮して頭を下げ返した。

 それにしても、美人な社長である。いったいどんな会社を経営しているのかはわからないが、この若さで緊急の呼び出しを掛ける仕事をしていると言うことは、かなりのやり手なのだろう。サラリーマンの父親だからこそ、それがわかる。

 しかし、ということは、この店は息子の経営ではないのか? また、疑問浮上である。

 やがて、先ほど入ってきた二人を待っていたらしく、カウンター付近に集まっていた面々が、夫婦の待つ店内中央へやってきた。それぞれに手分けして、料理を運んでくる。その中に、征士の姿がなかった。カウンターの中で何かしている。

 料理は、どうやらカウンターの中にいた女性が、腕によりを掛けたようで、家庭的なパーティー料理の数々が並んだ。シチューにフライドチキン、フライドポテト、サラダ、トースト。そして、最後に運ばれてきたのが、征士が盆に載せて持ってきた、ワイングラス。

 征士は、仲間内にまず配り終え、最後に、両親の元へやってきた。

「ご無沙汰、してました」

 始終俯いて、二つ残ったグラスを差し出す。その重みがなくなって、ようやく顔を上げた。息子の隣には、当然のように長髪の彼氏が立っていて、どうやら征士の分らしいグラスを持っていた。

「後で、全部話すから。10分だけ、時間ください」

 それだけ言って、征士はまた、仲間内の輪の中に戻っていく。きっと、彼氏が「いいの?」と尋ねたのだろう。苦笑する息子の顔が見える。

「それでは、キリストさん生誕を記念して。かんぱーい」

「メリークリスマース」

 ワイングラスが、そこここでかかげられた。その音頭を取ったのが、どう見ても一番年少の息子であることに、改めて両親は驚いていた。





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