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 同日、午後5時。

 神田明神下のマンションの1階、最近近所で評判のお茶系専門喫茶店『江戸茶房』に、一組の熟年夫婦が姿を現した。店の入り口には、店の都合により17時30分閉店予定、との張り紙がある。

 店の看板キャラとも言うべきオーナーの二人は、今日は留守だ。代わりに、彼らの父親ほどの年齢の男が、その奥さんとともにカウンターに入っている。
 もう一人、夕方に姿を見せる青年が一緒で、おそらく彼がいなければ茶の銘柄がわからない。専門店だけあって品揃えも豊富で、知っている人が見なければ、見分けが付かないのだ。

 しかし、そんな裏事情など露とも知らないその夫婦は、店内を見回して目的の人物がいないことに首をかしげ、少し待つことにしたらしい、窓側のあいている席に腰を下ろした。

 店の入り口には、小さなクリスマスツリーが飾られている。開けるとベルが鳴るドアにはリースが掛けられ、クリスマス色をその部分だけに見せていた。

 最近アップルティーがこの店の流行であるらしい。リンゴの香りが店に染み付いている。それは、不快な匂いではない、むしろ、心の休まる幸せの香りだ。

 すぐに、中年男性店員が水とお絞りを持ってやってくる。

「いらっしゃいませ。恐れ入ります、店主は本日急用で外出しておりまして、お出しできるお茶が限られてしまいますが」

「私は煎茶で。あなたは?」

「コーヒー」

 男の台詞で、メニューで悩むのを諦めたらしい。パタン、とメニューを閉じると、その中で最も安いものを頼む。旦那は、どうやらサラリーマンらしい、一つ覚えのメニューだ。かしこまりました、と下がっていく男を見送って、夫婦は顔を見合わせた。

 男の言うことが正しければ、今日はどうやら、目的の人物は急用で出かけているらしい。となれば、一息ついたら帰ったほうがいいのかもしれないが。いや、伝言くらいは置いていくべきか。

 ゆっくり時間を掛けて、基本に忠実にお茶を入れる手つきを、手元は見えないながらもじっと見ていて、やがて奥さんが嬉しそうに笑った。

「このお店、おいしいお茶が飲めそうだわね」

「それは恐れ入ります。実は、毎日手伝っているのは、今お茶を淹れている彼だけでしてね。私たちは、経営にはまったく関わりないんですよ」

 そんな声が、そばから突然降ってきて、二人は驚いて振り返った。確かに立ち去っていった男なのだ。いつのまにここまでやってきていたのか。

 それにしても、客の姿が見えない店である。

「今日は、お客さんが少ないんですよ。もうすぐ店じまいさせていただきますし」

 まるで相手の感想がわかったかのような、絶妙なタイミングで、彼がそう言った。そう。あと30分で閉店の時間だ。この閑散とした状況も、驚くほどでもない。

「お客さんたちは、今日はどんな御用で? いえ、誰か人を探していたようですから」

「息子に、会いに来たんです。今日、ここに来れば会えるから、と、同居人とおっしゃる方から連絡があって」

「あぁ、じゃあ、征士君のご両親ですか。道理で雰囲気が似てらっしゃる」

 どうやら、その文脈だけで、正体をつかんでしまったらしい。なんだか、狐にでもつままれたかのような、不思議な感覚であった。なぜこんなにスムーズに、会話が成り立っているのか、不思議で仕方がない。相手は初対面のはずなのだが。

「すみませんね。二人とも、急な仕事が入って出かけてまして。パーティーまでにはケーキを買って絶対帰ってくるから、と言っていったんですが、まぁ、あの二人に回される緊急の仕事と言えば、大体厄介ごとなんで、怪しいですね。待たれますか? 一応、18時目標で帰れるように頑張っているはずですよ」

 あの二人、仕事、厄介ごと。どれをとっても、征士の両親にはピンと来ない話であるらしく、二人は顔を見合わせる。その表情に、男も怪訝に思ったらしい、首を傾げた。

「申し遅れました。私、その同居人の叔父で、真壁勝太郎と申します」

「あ、ご丁寧にどうも。征士の父です」

「母です。あの、仕事、って?」

 この喫茶店が仕事ではないのか? それは、確かに率直な疑問だっただろう。もし、征士が霊剣術師として命を掛けた仕事をしていることを知らなければ。そう、尋ねられて、把握した。どうやら、おそらく心配を掛けまいと考えたのだろうが、この両親には何も言っていないのだ。道理で、征士ではなく、志之武から連絡しているわけである。

 ということは、詳しい話は本人からさせるべきであろう。そう、勝太郎は判断するに至った。それを、そのまま告げる。ちょうど、この世のものとも思えない整った顔立ちの青年が、注文の品を持ってやってきた。その彼に、声を掛ける。

「ミズチ殿。志之武君は、まだ帰って来そうにないかね?」

『そろそろお帰りになりますよ。今、御茶ノ水駅を降りたところです』

 それは、青年の姿には似つかわしくない、まるで老齢のしわがれ声で、しかもまるで見ているかのような言い方なのに引っかかった。思わず青年を見つめる夫婦である。そんな視線はもろともせず、彼はカウンターへ戻っていく。

 どこからか、シチューのいい匂いがした。どうやら、カウンターで女性が作っているらしい。





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