SWEET CHRISTMAS 1




 その日。志之武は珍しく一人で、渋谷にいた。

 街のあちこちから、クリスマスソングが聞こえてくる。12月中旬。もうすぐキリストの聖誕祭だ。

 志之武は別に、買い物に来た訳でも、遊びに来た訳でもない。人を訪ねてきていた。

 彼氏と二人で開いている喫茶店の、常連客の友人だという女性。彼女に会いに来たのだ。

 志之武の占いは、とにかく良く当たる。怖いくらい良く当たるので、店ではいつのまにか人気イベントになっていた。それで金を取る気はないし、お客が楽しんでくれればそれで良い、というスタンスなので、嫌味がなくて受けているらしいのだが。

 その、占いを頼まれたのである。場所は、渋谷駅から徒歩5分のデザイナーズビルに入っている、ネイルアートの店だ。

 最初、征士も一緒に来る予定だった。だが、別に除霊の仕事でもないし、二人で出かけてしまっては店を閉めなければならない。それで、しぶしぶ別行動をすることになったのだ。志之武としても、そばに彼がいないのは最近では珍しいことなので、なんだか妙にそわそわしてしまう。

 繁華街から一歩中に入ると、突然周囲が静かになった。閑静なオフィス街、というところか。そもそも渋谷は人が多すぎる、という話もある。

 人通りが少なくなって、志之武の足元に猫が従っているのが分かるようになった。いや、角を曲がって人が少なくなってから現れた、というべきだ。

 生物学を無視した色の猫である。全身が深紅の毛で覆われた。

 さすが、今流行りのネイルアートを扱う店だけあって、こざっぱりとして品が良く、現代的な精錬された佇まいをした店だった。そこは、志之武にはどうでもいいことなのだが。

 入ってきた客を見やって、この店の店員は全員女性なのだが、相手が男なのか女なのか、区別できなかった。ふんわりとしたシニヨンにまとめて櫛で留めた髪は、それだけ見れば女性のそれなのだが、それにしては身長があるし、細身の割に肩が広い。体型は男性のものだ。

「こんにちは。瀬戸オーナーはおいでですか?」

 張りのあるテノールボイスで、穏やかにその名を告げる。受付でそれに応じた店員が、思わず我を忘れ、熱っぽい目で彼を見つめた。見蕩れてしまったらしい。

 受付に声をかけたそれを聞きつけて、店の奥から一段年上の女性が歩み寄って来た。

「ようこそおいでくださいました。私が店主の瀬戸でございますが」

「はじめまして。江戸茶房の土屋と申します。少し早かったですか?」

 約束の時間の15分前。名乗りを聞いて、あぁ、と納得した瀬戸が、待合ソファを勧めた。

「もう少しで終わりますので、お掛けになってお待ちいただけますか」

 丁寧に挨拶して、店主は元いた場所に戻っていった。処置中の客を待たせているのだから、仕方がない。頷いて、志之武はそこに腰をおろす。

 やがて、受付に立った女性が、スタッフルームから浅い皿を持って戻ってきた。どうやら、志之武の足元の猫にミルクを持ってきてくれたらしい。猫の足元に置いてくれたので、にゃあん、と礼を言った。なかなかに礼儀正しい猫だ。

「珍しいですね。真っ赤な猫」

 ぴちゃぴちゃと音を立てて、おいしそうにミルクを舐める猫を、彼女はそこにしゃがんで見つめる。どうやら彼女は客を持っていないらしい。もうすぐ閉店の時間なので、今いる客の会計以外に彼女の仕事はないのだ。

「猫、好きですか?」

「えぇ。とっても」

 飽きもせず、ミルクを舐めつづける猫を見続けて、ほう、と幸せそうなため息までつく。本当に猫好きなようだ。

 やがて、処理の終わった客が受付にやってきて、彼女は仕事に戻っていった。




 丁度約束の時間に、瀬戸女史は仕事を終えたらしい。待合所のソファの方へやってきた。担当していた客を、深いお辞儀をして送り出し、志之武に向き直る。

「お待たせいたしました。奥へ、ご案内いたします」

 頷いて、志之武は彼女に従って立ち上がると、スタッフルームへ進んでいった。すでに空にしていたミルク皿を、ミルクをくれた人の方へ押しやって、ありがとう、というように鳴いて見せた猫が、志之武を追いかけていく。

 スタッフルームには、ロッカーと社長用らしいワーキングデスクと、休憩用のテーブルセットがあるだけで、実にシンプルである。部屋の片隅にある観葉植物は、誰かの趣味であるらしい。

 テーブルセットに促されて、そこに腰をおろす。その志之武の膝に赤い猫が飛び上がり、丸くなる。気まぐれな猫には珍しいほどの懐きようで、その忠誠心はどちらかというと犬並だ。

 コーヒーを淹れてくれた彼女が、向かい合って座った。

「すみません。こんなところで」

「いえ。ところで、どんなことを占いますか?」

 多分、店のことだろうとは想像がつく。わざわざ閉店後の店に招待されるのだから、そういうことだろう。尋ねて、志之武は周りを見回した。軽く、肩をすくめる。

「まずは、地霊を何とかしましょうか。それから、自縛霊の除霊と、風水学に基づいた店内のレイアウト変更。占いは、もし別の件なのでしたら、それからにしましょう。お客様がお帰りになるのは、あとどのくらいですか?」

 それは、女性をびっくりさせるのにこの上ない、衝撃の言葉の連続で。思わず頷いてしまうような、そんな力強さも持ち合わせていた。それから、なぜかくすりと笑う。

「大丈夫ですよ。別に怖いことはありませんから。ちょっと土地的に悪いものが重なってしまっているだけです。うまく調整すれば、問題も解決します」

 それは、何を占いに来たのか、まったく聞いていないはずなのに、自信たっぷりだ。

 余りにも自信たっぷりに断言されるので、瀬戸はそれで少し安心してしまったらしい。こくり、と頷く。

「最近、頭痛が酷いんです。お店のほうも、前店舗からのリピーターの方もどんどん足が遠のいていて、何かあるのかな、と思ってたんですけど。おばけ、ですか?」

「まぁ、そう考えるのが一般的でしょうね。片方は、床舐め、という妖怪です。ここは1階ですから、直接影響を受けてしまうんです。科学的に見ると、地下の湿気ですね。それと、自縛霊のほうですが、実際にここで亡くなった方ではありません。病死のようですね。このテナントの、前のオーナーさんで、どうやら店に余程の執着があったらしい。説得して成仏してもらえば、霊障はもう起きなくなりますよ」

 平気な顔をして、俗にいうオカルトの分野の単語を並べる。それが、この美貌の青年の口から出ていなければ、胡散臭さ爆発なのだが、何故か彼には、その不思議な説明を信じさせる何かがあるらしい。余りにもあっさりした説明なせいだろうか。やはり、思わず頷いてしまうのだ。

 頷いた彼女に、志之武は優しい笑みを見せる。

「そろそろお客様もお帰りになった頃ですか?」

「えぇ、そうですね。見てきます」

 答えて、すっと立ち上がり、スタッフルームを出て行く。その彼女を見送って、志之武は膝の上の猫を見下ろした。

「紅麟。ちょっと見てきてもらえる?」

『はいな』

 なんと、言葉を発した。ただし、どうやら直接脳に伝えてきた声であるらしく、猫の喉は震えていない。それから、ひょいっと志之武の膝から飛び降り、姿を消す。





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