弐の7




 志之助の天狗は、今でこそ式神として扱われているが、もともとは神に仕える由緒正しい天狗たちだった。修験者のような風体にカラスのくちばしと翼を持つ、烏天狗である。

 仕えていた神に見捨てられて箱根の山で暴れていたところを、志之助に成敗されて式として使われている。今ではかなり志之助に信頼を寄せていて、それこそツーカーの仲にも等しい存在だった。

 この天狗たちの呼び出し方も、随分独特である。『天』の字が書かれた短冊をかかげて呪を唱えると、その短冊がひとりでに燃えだし、そこから天狗たちが飛びだしてくる。志之助の式神の呼び出し方は、ほとんどこれである。はっきり言ってこれでも型破りなのだが、さらに式神の格と仲の良さでこの手順すら略される。式神たちも、よく怒らないものだ。

「みんなで手分けして、今日作ってきた結界を壊してきて。前と後は寛永寺の動きを見てて。一つ、お前はこれを神田明神に」

 前、後、一つ、というのは天狗の名前。全部で五十八いる中でも、ひときわ身体が大きく長として全体を取り仕切っていたものらしい。一つという天狗に渡したのは、手紙のようである。

 天狗たちがそれぞれ散っていったのを見送って、志之助は征士郎を振り返った。

「まだ、どうやって片つけるか話してなかったよね?」

 言われて、一瞬戸惑った征士郎は、ああ、と頷く。志之助はにっこりと微笑んだ。

「近江屋の大旦那さん。最重要課題は、この人を救いだすことにあるわけでしょう?」

「まあ、そうだな。事の発端がそうだからな」

「というわけで、救い出します。どうするかと申しますと、ここで予定外の大騒ぎを起こしてやろうと、そういうわけだよ」

 予定外の大騒ぎ? 征士郎はその言葉に嫌な予感を覚えて眉を寄せた。そ、とあっさり志之助は頷く。

「せいさん言ったよね? 江戸の町に百鬼夜行、江戸城内には流行り病って」

「しのさんがそう言えと言ったからな」

「それを、こっちで起こしてやろうじゃないかと、そういうわけさ」

 土壌はあちらさんが作っておいてくれたからね、といって、志之助は何か悪戯っぽく笑った。征士郎にとっては嫌な予感的中というところである。

「というのはね。相手が誰かはわからないけど、その人たちが作ったこの計画って、一回やったら跡が残らないで消えてしまうように作られてるんだよ。だからね、俺がここで彼らが作った霊的場を利用して百鬼夜行を起こしたら、その後彼らが百鬼夜行を起こすには今までかけた時間をまたかけなきゃいけなくなるのさ。もともと目晦ましで作ってあったものを壊されたとしたら、せいさんだったらどうする?」

「俺だったら、と? もう一度作り直すのは時間がかかるのならば……まだ準備が完全でなくても、本来の計画を推し進める、か?」

「ってこと。未完成のまま上様を襲わせれば、こっちでも十分対処できるというわけ」

 つまり、相手が作った計画で自爆してもらおうということらしい。因果応報。志之助が一番好む方法だ。

 だがしかし。

「近江屋の旦那はどうするのだ?」

「ずっと一貫して同じ事をしていると、場所を変えてもその間に道のような痕跡が残るって、知ってる?」

 ある地点で行なっていた呪咀を、何らかの理由で別の地点へ移動して行なわなければならなくなった場合、その地点間に共通する地場が発生し、互いに引き合って道を作る。

「俺にはその道は読めないんだけど、同じ江戸市中なら何だってわかる神様が一人だけいるんだよね」

「将門公、か」

 そういうこと、と嬉しそうに笑ってみせた。

 神田明神に祭られている、平将門という関東の平安時代の武将の霊。この霊とも二人は顔見知りだった。以前、江戸の守護結界が弱まったときに暴れだしかけて、志之助の身体を借りた荼吉尼天の説得により江戸の守護神となったという縁があった。その縁を頼ろうというのである。

「しかし、奴らの今のねぐらを見つけたとして、どうやって近江屋を助けるのだ?」

「それは、これから」

 これを口にくわえてて、と言って渡されたのは、何も書かれていない白い短冊だった。不思議そうに、それでも言われたとおりに短冊を口にくわえたのを確かめて、志之助は持っていた錫杖を持ち上げる。横にして目の前に掲げ、それを一気にぶんと振って、先の方を地面に向けた。

「我が願いを聞き届け、我が前に姿を見せよ。汝、我に従うものなり。汝、我に服従せよ。我が力量りて、我が前に集え」

 神獣たちよ。そう言った言葉に、征士郎は驚いて目を見開いた。

 いくら志之助でも、神獣を呼び出して操ろうとは、身のほど知らずもいいところだ。神獣といえば、神にも等しい存在である。それを、服従しろとは一体どういう了見だ。

 ごおーっという音が、空の彼方から近づいてきたのがわかった。どんどん近づいてくる。それが突然止まったかと思うと、志之助の目の前に風の壁ができた。夜中で何も見えない庭の真ん中で、なぜか風で壁ができたとわかる。

「いらっしゃいませ」

 志之助がそう言ってお辞儀をした。深く深く。敬うように。

「御呼び立ていたしまして」

『お前だな、我らを呼んだのは』

 頭の上から身体の奥底に響くような重低音の声が聞こえてきて、征士郎は顔をあげた。そこにいたのは、その通り、神獣と呼ばれる聖なる生きものだった。赤い麒麟、金色に輝く鳳凰、青い竜。

 あまりの驚きに征士郎は口を開け、短冊を離しかけてしまう。取り返しのつかないことになる前に、くわえ直した。もしかしたら、この短冊をくわえていることによって、征士郎の姿がこの神獣たちには見えていないのかもしれない。神獣たちは征士郎に見向きもしていないのだ。

『望みは何だ?』

「お一方には百鬼夜行を。地は整えられてございます。もうお一方には人間を一人連れてきていただきたい。もうお一方には、この屋敷の守護を」

『承知した』

 神獣たちがあっさり承知したことに、征士郎はまたも驚いた。ということは、志之助は神獣すらも従わせる力を内に秘めているということなのだ。志之助はというと、神獣を見つめて真剣な表情をしている。

 その直後、またまた征士郎の度胆を抜く現象が起こった。三匹の神獣がそれぞれ赤、金、青の光の玉になったかと思うと、志之助の身体にむかって飛んできたのである。そして、志之助の胸に吸い込まれ、背から飛び出してきた。飛び込まれるたびに、志之助は苦しそうに眉を寄せたが、とうとう一度も苦悶の声を上げなかった。志之助の身体を通り抜けた三つの玉は、それぞれ空に飛び去っていく。

 見送って、志之助は大きく溜息をつくと、とたんに身体の力が抜けたように座り込んでしまった。まるでかなりの距離を全力疾走したような荒い息をついている。

「大丈夫か? しのさん」

「ん。平気。……せいさん、その紙くわえたままで、屋根の上、見てくれる?」

 息が苦しくて、自分では確認できないらしい。言われたとおり、また紙をくわえ直し、屋根の上が見えるように屋敷から遠ざかる。そうして上空を見上げて、征士郎はそのまま固まってしまった。

 屋根の上に、赤い麒麟が鎮座しているのである。ちょうど先ほど乗ってきた馬くらいの大きさの麒麟が、散歩の途中そこで休憩することにした、というような態度で、屋根の上にうずくまっていたのだ。

 いくら不思議なものは見慣れている征士郎でも、これには驚くだろう。麒麟とは、国王に仕える神獣。それが、日本の国王とも言うべき征夷大将軍の頭上に腰を据えているのだ。

 音をたてて唾を飲み込んで、征士郎はあわてて志之助のもとに駆け寄っていった。

「し、しのさんっ。い、い、いったい、何をしたのだっ?」

「うん。いちいち契約するの面倒だったから、式神になってもらった。上様と顔見知りになった時点で、これからも厄介なことになるのは目に見えてるから。で、何がいた?」

「……麒麟」

「そ。じゃ、ちゃんと伝わったんだ。良かった」

 短冊を受け取って、志之助はそれを燃やしてしまった。あっさりと今までとは比べものにならないほどのことを言ってのける志之助を凝視して、征士郎は開いた口が塞がらず、ただ呆然と立ち尽くす。

「さてと。作戦会議をしよう。せいさん、悪いんだけど、俺、おぶってくれる?」

「……立てないのか?」

「まだちょっときついかな。足の感覚、ないんだ」

 平然と言ってのけ、両手を差し出す。背中を出せ、と無言の催促をする志之助を見やって、征士郎は深く溜息をついた。





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