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 道真相手にまったく効かない祈祷を続ける父親に向かっていく志之武を、征士は頼もしそうに見送った。
 不安げな雄一郎の横に立つ。

「心配は要りませんよ、ご当主。あいつに任せて置けば、間違いはない」

「何故、そんなに悠長にしておられる。そなたが、志之武が言っておった『好きな人』なのじゃろう? 心配ではないのか」

 志之武の男の恋人を悟ったその洞察力には感服するが、やはりまだ、孫の真の実力には気づいていないらしい。
 そう怒られて、征士は少し恐縮してみせ、それからくすりと笑った。

「心配するだけなら、誰にでも出来ます。でも、相手を信頼して任せてやるのも、大事なことなんです。
 特に志之武は、自分のためだとほとんど何もしないくせに、人のためとなると俄然やる気を出すタイプですから」

 それは、志之武を理解し、信頼している人間が言えるセリフで、一朝一夕の関係で言えるようなレベルを軽々と超えていた。
 血縁であり、つい1ヶ月前まで同じ屋根の下に暮らしていた雄一郎でさえ、そんな風には言えない。
 それは、志之武が本当の力を見せていなかった、というだけの問題ではない。きっと本気を出していないだろう、とは雄一郎もわかっていたのだ。
 それでも、そんな風には信用しきれない。

 一方、志之武から見れば珍しくまともに祈祷に励んでいる父親の隣に立った志之武は、そこで、父親と同じように上空を見上げた。

「父上。代わってください。その程度の祈祷、さっぱり効いていないのはお分かりでしょう?」

 俺がやります。そう、志之武の雰囲気が宣言している。
 それが、父親の神経を逆なでしてしまうのだが。

「ふん。そなたに何ができるというのだ。役に立たぬものは下がっておれ」

「同じ言葉を、そっくりお返しします。下がっててください」

 びしっと言い放ったその言葉に、紘之助は驚愕のあまり、身動きが取れなくなってしまった。
 反応しなくなった父親を横目で見て、志之武はまた空を見上げる。そして、祭壇を無視してさらに前へと進んだ。

「管公。私とお手合わせ願えますか」

 別に声を張り上げたわけでもない。ただ、落ち着いた声で、相手の注意を自分に向けた。
 そもそも、大きな声など必要ない。空に浮かぶ大怨霊に、聞こえてさえいればそれで良い。
 まして、相手は霊である。姿がそこに見えるからと言って、本当にそこにいるとは限らないのだ。

 返答は、雷で返ってきた。志之武のすぐ脇に、雷が落ちる。
 そこにあった小石が爆ぜた。親指と人差し指でつまむほどの大きさの小石が、見事に真っ二つに割れている。
 そうして反応を返したということは、手合わせに応じる、との意思表示だ。

 手合わせ、とはいえ、怨霊対陰陽師である。
 畑違いの対決は、やはり、陰陽師の祈祷に怨霊が耐え切れるかどうかで勝敗を決するしかない。
 祈祷の力に屈すれば陰陽師の勝ち、陰陽師が力尽きるまで耐え切るか、あるいは陰陽師自体を呪い倒せれば、怨霊の勝ちである。
 単純明快ながら、力のあるものにしか、その勝敗は見定められないだろう。

 本来、陰陽師の祈祷にはいろいろな道具が必要である。
 大概の必要物品は祭壇にそろえられているはずだ。
 魔除けに効果抜群な食物や呪術用品などが、白い布をかぶせられた祭壇上に整然と並んでいる。

 だが、これは一般的な場合である。志之武には、一般論は通用しない。
 唯一つ、祭壇上からいつの間にやら拾い上げていた、短刀だけを携えている。そして、それを自分の目の前に掲げた。

「蛟。乗せて」

 呟いた途端に、志之武の身体が浮き上がった。
 いや、地面の下から出来たように、蛇と竜を混ぜ合わせたような姿をした生き物、蛟が、その頭に志之武を載せて宙に浮き上がったのである。
 志之武が浮いたように見えたのは、蛟が、地面から身体が離れる直前まで、その姿を消していたからだった。
 リアルにその姿を確認できるようになった蛟は、志之武を乗せたまま、道真の霊と向き合った。

 志之武と道真の怨霊が対峙していた時間は、実に五分にも及んだ。
 その間、志之武は、ただ道真の霊を睨むように見続けていただけである。何の変化もない。
 いや、志之武を乗せた蛟が、道真の落とす雷から、身体をくねらせて避けていた、という違いを除けば、だ。
 人間たちがうようよする地上へは、その雷が落ちることはなかった。
 特に実害もないせいで、皆呆然と空の様子を眺めている。




 状況が変わったのは、志之武が空を飛んで、きっちり五分後であった。

 屋敷の上空を覆っていた雲が、急速に晴れていく。

 その様は、空を覆ったときと同じように、道真の怨霊を中心として、まるで巻き戻し映像を見ているかのようであった。
 五月晴れの太陽は、午前10時ともなれば結構高い位置に昇っている。その太陽が、再び眩しい光を取り戻した。
 雲をすべて吸い込んで、道真の霊が姿を隠す。

 蛟の頭に乗った志之武が、飛び立った位置に再び戻ってきた。屋敷の二階と同程度の高さまで降りてきて、そこから飛び降りる。
 それは、飛び降りる高さとしては高すぎる、恐怖感を煽る高さなのだが、志之武はまったく躊躇した様子がなかった。
 志之武の重さを失って、蛟がすぐに姿を隠す。

「おかえり」

「あぁ、志之武。無事で何よりじゃ」

 征士と祖父雄一郎がそろって駆け寄ってきて、口々にそんな言葉をかける。
 祭壇の前に立ち尽くしている紘之助は、さっぱり動く気配がない。
 呆けた表情そのままに、志之武を見つめて固まってしまっている。

 祖父に心配したそうな声をかけられて、志之武はその祖父を安心させるように、優しい笑顔を見せた。

「ただいま戻りました。ごめんなさい。少し手間取ってしまいました」

『何が「手間取ってしまった」だ。そなた、もしや、強力な相手ほどいたぶる癖でも持っておるのではないのか』

 それは、重厚な雰囲気を持つ、初めて聞く声で、雄一郎がはっと顔を上げる。そして、あまりの驚きに声を失った。
 それは、つい先ほどまでこの屋敷の上空で雷による攻撃をかけていた、まさにその人。菅原道真の霊だったのだ。
 志之武の背後に、先ほどとは打って変わった穏やかな表情で、立っている。

 振り返った志之武に、優しい目で笑って見せる。

『そなたの気性、実に面白い。将門殿が気に入るのも無理のない話じゃ。
 江戸では将門殿がそなたを可愛がっておるようじゃから、手出しはすまい。
 その代わり、この京で手が必要なときには何なりと言うと良い。
 この京は我が膝元じゃ。手伝ってやろう』
 それだけ言ってのけると、今度こそ、本当にその姿を消した。
 志之武の返事を待たないということは、その好意を押し売りするつもりであるらしい。
 将門並の大人物の知り合いが、また一人増えたわけだ。
 それも、ないがしろにすれば拗ねて暴れだしそうな、将門並に危険な相手で。

 志之武は、先ほどまで道真がいた場所に本当にいなくなってしまったのを確かめ、征士を見やって、軽くため息をつくとともに苦笑を浮かべるのだった。





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