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父と祖父が、あまりの驚きに口を開けっ放しにしているのを確認して、志之武はため息をつく。
「まだ時期じゃなかったんだけど……」
『何を言うておるのじゃ、志之武。わらわたちにはそなたの身体の方が何より大事じゃ。もっと大切にしてくれねば困る』
『父御がどうだというのじゃ。その男の性格では、そなたに悪いなどと考える余地はこれっぽちもありはせぬ。いい加減、見切りをつけることじゃ』
麒麟と蛟が口々にそう言うのに、他の二人が苦笑したのがわかった。
そうして無駄口を叩きながらも、皆、志之武の命令を待っていた。
振り返ってにこりと志之武が笑うのに、全員が気を引き締める。
「蒼龍。せいさん呼んできて。鳳佳、紅麟。お屋敷を守って。蛟は見張り」
『御意』
短く答えて、散り散りに散っていく。その反応の早さは、それこそ阿吽の呼吸というにふさわしい早さだ。
皆を見送って、志之武は父と祖父のいるその場所へ戻っていく。
「父上。自信がおありでなければ代わりましょうか?」
つい先ほどの、おどおどした様子が、まるで嘘のようになりを潜める。
どちらが本物の志之武なのか、今目の前にいる志之武は、あまりにも堂々といて、恐いものなど何もない、と言わんばかりなのだ。
しばらく驚いていた父、紘之助であったが、それから、とんでもなく失礼なことを言われていたことに気がついた。
自信がなければ代わろうか、ということは、自分は父よりも力がある、と同義である。
つい最近まで、仕事も失敗続きで先が思いやられたほどであったのに。
「何を申す。管公はそなたの手に負える相手ではないっ」
さがっておれ、と命じられて、志之武はまた、祖父の背後に逃げ込む。そうして、軽く肩をすくめた。雄一郎は、そんな親子を見比べ、ため息をつく。
「紘之助。そなた、この志之武に敵うと思うておるのか?」
わしは無理じゃぞ。そんな情けない台詞を吐く父親を、紘之助はじっと見つめた。それから、ふん、と鼻で笑い飛ばす。
志之武が自分に敵うはずがないのだ。自分の力の過信などではなく、今までの実績がそれを物語っている。
強そうな式神を使役しているように見えても、所詮はこけおどし。それが、紘之助の判断であった。
しばらく人間たちが右往左往しているのを眺めていた菅原道真の怨霊が、とうとう実力行使に出る。
ゴロゴロ、と空が鳴り始めた。黒い雲が上空を覆い始める。
それは、道真を中心に広がっていくように見えた。雲が渦を巻く。
さすがは天神様。天気を操るのもお手の物らしい。
志之武を下がらせた紘之助であったが、さてどうするべきか、実は判断がついていなかった。
陰陽師にできる手は、祈祷をするくらいのものである。
それで引き下がってくれれば良いが、まったく効果がなければ打つ手がない。
とりあえず、祈祷を始める父親を、志之武は冷めた目で見つめた。
その祭壇を用意したのは志之武の指示であるし、屋敷の守りも志之武の式神でやっている。
そもそも、そんな祈祷で敵う相手ではない。そのくらいの判断は、次期当主を自称するからにはできなくてはいけない。
この場合、1対1では、普通、無理だ。
「志之武。放っておくのか?」
「管公は、本気ではいらっしゃいませんよ。何故今頃、こんな管公に縁も所縁もない場所に、現れるんです?
何か理由があるはずです。とりあえずは父上にお任せして、様子を見た方が良い」
祖父の問いかけに、答えて返す。その冷静な物言いに、祖父は満足そうに頷いた。
やがて、待ち人が現れる。
龍の背中に人の姿があった。ゆっくりと降りてきたそこから飛び降りてくる。
「何だよ。もうバレたか」
悪びれもせずに、征士はそう言って笑って見せた。
一晩ぶりの恋人の姿に、つい数時間前の記憶が甦る。
父親に弄ばれたその記憶は、今更ながらショックを受けるに十分すぎた。
祖父の目前であるというのはわかっていて、感情を抑えきれず、征士に抱きつく。
剣道で鍛えられた厚い胸板に涙を押し付けた。
「悪かったな。守ってやれなくて」
それだけで、何が起こったのか、察してくれた。よしよし、と頭をなでてくれる。
「しのさん。あれ、何とかできるだろ? 手加減しようか、って言ってくれたのを断ったから、よろしくな」
「って、せいさん。俺で無理だったらどうするつもりだったの」
「そのときは、将門公にお出まし願うさ。ま、有り得ないとは思うけどな。あの将門公が、しのさんには敵わないってお墨付きだぜ。自信持て」
えへん、と、何故か征士の方が自慢げである。悲しみにふける余裕ももらえずに、志之武はそんな恋人の心遣いに、苦笑で返した。
悲しまなくて良いんだ、自分はここにいるから。そう、抱きしめてくれる腕が言っている。
それが、嬉しい。この人には、自分をすべてさらけ出してもかまわない。そう、思える。
「さっさと片付けて、東京に帰ろうぜ。みんな、待ってるぞ」
「うん」
頷く志之武の背を、勇気付けるように軽く叩いた。
しばらくは、まだ征士の胸にすがり付いていた志之武だったが、やがて、顔を上げる。その表情は、何かを吹っ切ったような、力強いものだった。
「もう、大丈夫だな?」
「後で、ちゃんと抱いてくれる?」
「嫌と言われても離してやらねぇぞ」
そんな、普通の状態で聞いたら赤面モノの殺し文句を囁かれて、志之武は恥ずかしそうにくすりと笑った。
そうして、自分を征士から突き放す。
「サポート、お願い」
「おう」
くるりと振り返った志之武に、征士が応じる。
多くを語る必要はない。本気になった志之武の呼吸に、合わせられるのは征士だけだ。自負もある。
後は、志之武が全力を傾けられるようにサポートするだけ。今回はおそらく、身内からの無意識の妨害作戦を阻止するのが征士の仕事だろう。
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