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ふと、場所のわりにラフな格好をしている征士の背中を突く手があった。
振り返ると、そこには勝太郎は会ったことのある天狗がいて、征士を見上げていた。
実は、蒼龍を代表とする高位神獣たちを呼んだのが、何を隠そう、この一つだった。
志之武に再会して、再び式神として契約して、すでに精霊界にいる他の高位神獣たちに知らせていたのだが、今回志之武の危機に際して、助けを求めに走ってくれたのだ。
今生での生活がやっと落ち着いて、そろそろ会いに行ってもいいかな、などと話をしていた矢先のことで、前世で志之助を助けていた高位神獣たちが、全員こちらの世界にやって来ていた。
皆、生まれ変わった後の彼を助けてやりたいと思うくらいに、志之助を好いていたのだ。
そう考えると、志之助という人は、よほどの人格者であったのに違いない。
征士が振り返ったのを受けて、一つはじっと征士を見たが、それから、ちょっと待て、と言うように手を上げた。
志之武と違い、征士には声が伝わらないのを失念していたらしい。
少し考えて、一つは征士の斜め後ろに控えている蒼龍に目を向ける。
促されたように征士も蒼龍を見やった。どうやら通訳に任命されたらしく、蒼龍は苦笑を浮かべる。
『将門殿が悔しがっておられたそうですよ。江戸の守り神とはいえ、お社から離れられないですからね。
志之助……いえ、失礼。志之武は、もう江戸にはいないようですね。東国圏内を出てしまうとそれ以上の意識は探れないそうです』
「そっか。しょうがねぇな」
それが天狗の報告の通訳であるとするならば、一つは征士の代わりに神田明神に助けを求めに行っていたらしい。
少しがっかりしたように、征士は肩を落とした。
怨霊と恐れられた彼に手伝ってもらえたら百人力だったのだが、無理があったようだ。
『それと、将門殿から助言だそうです。天神、菅原道真を頼るように、と』
「天神様? あ、湯島天神。手を回してくれたんだ」
こくこく、と肯定するように天狗が頷く。
心強い味方ができた。菅原道真をいえば、学問の神様であり、平安時代を代表する文化人。当然、陰陽道にも精通している。
さらに、怨霊という立場から、超常現象はお手の物だ。
ありがとう、と労をねぎらうと、一つは翼を一回ばたつかせ、そこから姿を消した。
あんぐりと口をあけたまま人間たちが固まっているのに、そちらに視線を戻して、征士がくすりと笑う。
「そんなに口を開いてると、虫が入ってきちゃいますよ」
軽くからかって、征士は一人、困ったように腕を組む。
問題は、どうやって志之武を救い出すか、そして、どうやって実家の恐怖をなくすか。
助け出すだけならば、そんなに難しくない。志之武を説得して、自分で出てきてもらうのが一番早いだろう。
あれだけ完璧に隠身の術を使える志之武である。部屋さえ出られればこちらのものであるし、窓から逃げ出しても問題はない。
しかし、ただ逃げてくるだけではイタチゴッコで、現在の住所を知られている分、何度でも連れ戻されてしまう。
根本的に、解決しなければ。
征士が麟子に助けを求めたのは、そのせいでもあるのだ。
やがて、正気を取り戻したらしい。松安が眉をしかめた。
「征士、お前、いつの間に式神使いになったのだ」
「いえ、ですから、しのさんのですって。俺は、しのさんのために、手を貸してもらっているだけ」
ねぇ、と蒼龍を見やり、苦笑の返答を得る。それを肯定と判断し、ほら、と師匠に返した。
「でもね、征士くん。他人の式神は、さすがに使えないと思うのよ?」
「でも、麟子様。蒼龍にしても一つにしても、あ、一つってさっきの天狗ですけどね。神獣なんですよ、もともと。自分で判断するタイプで、話も通じるんだから、手伝ってもらえてもおかしくないでしょう?」
藤香や橘といった植物霊は、志之武のいうことしか聞かない。判断能力がないのだ。
しかし、神獣たちは別である。判断能力もあるし、蒼龍にいたっては高度な言語能力も備わっている。
征士と意思の疎通をするのになんら問題はないのだ。
そんなことより、と征士が気を取り直すのに、やっと勝太郎は驚きから立ち直ったらしく、そう、と頷く。
「そんなことより、志之武君をどうやって救出するかです。
父には第一報を入れておきましたが、父親に教育方針に口を出すなと言われては、当主権限も役には立ちません。それで父も私も、長い間悔しい思いをしてきたんですから。
根本的に、あの兄を何とかしないと」
勝太郎としては、京都でも志之武を救い出せずに長い間苦労したというのに、また振り出しに戻ってしまった、といったところだった。
それだけに、そばにいながら守れなかった征士を恨む気持ちも少しある。
ただ、征士が自分の不甲斐なさを悔いているのがわかるから、特に責めることもしないだけである。
勝太郎にそう訴えられて、本来の目的を思い出したのか、そうですね、と麟子も頷いた。
「いずれにしても、志之武さんは土屋家の後継者である身の上です。私が土御門にてその身柄を安堵したとしても、その事実に変わりはない。
とすれば、私たちはどうすれば丸く収まるかを考えなくては」
さて、どうするべきか。
大人たちが三人揃って、別々に悩み始めるのに、征士は蒼龍と顔を見合わせ、苦笑する。
「しのさんに、次期継承権を与えてしまえば良いんでしょう? 父親を飛び越して」
そうすれば、確かに、父親の脅威はなくなるだろう。
今は、結局、父親の権力に逆らえないのだ。
ならば、父親から権力を剥奪してしまえば良い。
幸い、まだ当主ではないのだし。
それは確かにその通りで、全員の頭の中にぼんやりとはあったものの、言葉にしていなかったせいで形にはなっていなかった、方針であった。
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