12
と、志之武と堀野の間に、突進してくる影があった。
無理やり腕をつかんでいた手を振り解き、堀野を押さえつける。
「しのさんっ! 逃げろ!」
迷っている場合ではないだろう、と。
征士に目で叱咤され、志之武はやっと、後ずさりする。
「行けっ」
それが、合図だった。
振り返り、ベランダを乗り越える。追いかけた5人の陰陽師も間に合わないうちに。
ベランダを乗り越えるのに躊躇しなかったということは、落ちて助かる自信があったはずだ。
追え、という堀野の指示に、全員が玄関を飛び出した。
「お前は無事では返さん。一緒に来てもらうぞ、霊剣術師。志之武様をたぶらかした罪は重い」
「何言ってやがる。あいつをあそこまで追い詰めておいて、まだ苦しめる気か」
「苦しめる? 何を見当違いなことを言っておる。将来は土屋家を背負って立つお方だぞ。口を慎め」
来い。
命令口調でそう言って、征士を羽交い絞めにし、引きずって部屋を出ようとする。
征士は殴られたみぞおちを庇いながらも、力いっぱいに抵抗を試みるが、何しろ急所を一度攻撃されている。抵抗しきれるはずもない。
結局引きずられて玄関へ進んでいき、キッチンを過ぎたところで堀野が立ち止まった。
何事かと顔を上げ。
「藤香。橘」
そこに、志之武の式神が二人、悲しそうな表情で立っていた。
一人は小袿姿の平安美女、一人は弓矢を背負った戦国期くらいの武士である。
さらに、背後にも気配を感じて、振り返った。
そこにいるのは、江戸時代頃の姿の剣士であった。
「橙?」
それも、志之武の式神だ。
征士を守るために、残して行ってくれたのだ。自分が危ないというのに。
本来言葉を話せないはずの植物霊の式神、橙が、声を発する。
それは、志之武の声だった。
「堀野さん。その人は関係ないはずです。手を出さないでください。その人を傷つけたりしたら、本気で怒りますよ」
「ならば、交換条件にしましょう。あなたを探しに土屋の陰陽師たちが追っていきました。この霊剣術師と交換です。あなたが素直に出てきてくれれば、彼には手を出しません」
「応じるな!しのさんっ」
すかさず征士が叫ぶ。
それは、きっと応じてしまうことがわかるから。
それこそ、祈る気持ちだった。
自分を想ってくれるなら、応じてはいけない。自分は大丈夫だから、と。
いったいどこまで通じるかは定かではないのだが。
いや、おそらくは出てきてしまうのだろうが。
「本当に? 彼には、何もしないって、誓ってくれますか?」
その声は、式神を通さない、生の声だった。ベランダの方から聞こえる。
どうやら、飛び降りたと見えたのがフェイクだったらしい。
にやり、と堀野が笑った。
所詮、堀野にしてみれば志之武は教え子であり、まだまだひよっ子なのだ。
ここまでおびき寄せてしまえば、その後は何とでもなる。
「誓いましょう。だから、出ていらっしゃい。そこにいるのでしょう?」
しばらく、反応はなかった。
30秒ほど経って、志之武がそこに姿を見せる。
暗い夜空に、志之武の白い肌が驚くぐらい綺麗に映えた。
それは、見慣れている堀野でも、生唾を飲み込んでしまうに足る艶かしさで。
「しのさん……」
「ごめんね、せいさん。やっぱり、せいさん置いて逃げられなかった」
ふわり、と微笑んだそれは、まるで天使か菩薩のようで。慈愛に溢れていて。
涙目なのが、きっと志之武の心を表しているのだ。
「藤香、橘、橙。せいさんを頼むね」
主人に命じられて、3人は深く頭を下げる。そして、その場から掻き消えた。
志之武が、裸足のままぺたぺたと足音を立ててそちらへ近寄っていく。
征士と入れ替わりに堀野に捕まれて、痛そうに眉を寄せた。
それから、堀野の目を盗んで、征士に何かを渡す。
「行きましょうか」
丁寧ながら有無を言わせない口調でそう言うと、堀野は今度こそ、志之武を連れて部屋を出て行った。
姿が見えなくなるまでずっと征士を見つめていた志之武が、見えなくなる直前に「ごめんね」と口を動かす。
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