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先導する一つを追って、二人は境内の奥へと足を踏み入れた。
問題の堂の前には、まだ若い僧が一人、居眠りしながら見張りに立っていた。
もちろん、志之武にはたいした問題ではない。麟子すら気付かなかった隠身の術がある。このくらいの僧侶なら、気付かれずに入ることもわけはない。
封印のつもりで貼られた封緘札を剥がして、中に入る。
堂の中には、気丈にも堂の中央で座禅を組む法力僧の姿があった。
隠身の術を解いた途端に、気配に気付いたらしい。
「(誰だっ! ……!?)」
大声を出したつもりで、喉もばっちり震えているのに、彼の声はここまで届いてこなかった。
それはもちろん、志之武の仕業だ。征士が先に近づいていって、彼の正面にしゃがみ、口元に人差し指を立てる。
「土御門の者です。大声を出されないように。よろしいですか?」
征士の真面目な忠告に、僧侶はこくこくと頷いた。
案外若い僧侶である。征士にも分かるくらいはっきりと、法力が目に見えた。かなりの能力者ではあるようだ。
顔が、頭のてっぺんまで真っ赤になっているのは、それだけの高熱を発症しているからで、失礼、と声をかけて熱を測ると、触診で38、9度くらい。
本来ならば、横になって楽にしていないと苦しいはずだ。
「お強いですね。普通ならとっくに倒れてる」
相手の強さを誉めてやる。それは、今よりも辛いことを耐えなければならない人間に、リラックスさせるためにかけてやる、最良の言葉だ。
精神論に関わる人間なら覚えておくべき話術である。征士も、師匠にそう教わった。
何も教えていないなどと言って落ち込んでいる師匠だが、これでも結構いろいろと教授を受けているのである。
征士がそう声をかけている間に、僧侶の背後では天狗たちが飛び回っていた。
部屋の隅に積まれていた座布団を並べて、どこからかかっぱらってきた白い布をかけ、簡易の敷布団を作る。
終わったぞ、と志之武の元に報告に来る頃には、なかなかフカフカそうに見える敷布団が完成していた。
持って来た道具を並べていた志之武が、天狗たちの完了報告を受けて、顔を上げる。
「せいさん。急いで片付けるよ。堀野さんが起きる前に、返しきっておかなくちゃ」
「おう」
答えて、立ち上がった。入れ替わりに、志之武がやってくる。
「こちらのご本尊は?」
「千手千眼観世音菩薩様です」
何故陰陽師に本尊を尋ねられるのか、不思議そうにしながらも答えたその名を、志之武が口元に合わせた手を近づけて繰り返す。
それからそっとその手を広げると、手の上に、神々しいまでの千手千眼観世音菩薩が現れた。
「なんですか? それ」
さすがに興味が湧いたらしい。
そもそも、陰陽道に神仏は絡んでこない。それは、まったく関係がないからだ。
大気の力を借りて、大気のいたずらを滅する、これが最初の目的で生まれた術であり、宗教的になんら関わりないのである。
だからこそ、陰陽師である彼の手に仏の姿が現れることが、不思議で仕方がない。
「木端神ですよ。お寺の法力僧の方ならよく使われるでしょう?」
そう言われて、それが陰陽道ではなく、寺院側の法術によるものであることがわかった。
征士が軽く呆れたため息をついた。
「また、力がごちゃ混ぜだな。しのさん」
「大昔に修行した分の知識があるからね。
でも、これは、僕ほどの術者になれば誰でもやるよ?
今回の場合、一回呪詛返しを試みてるでしょう? その場合、最初にかけた力に反発して二回目をかけると、失敗率が極端に高くなるわけよ。
術に届く前に、そこに残った術返しの力と反発しちゃうからね。だから、素直に通すためには、最初の力をそのまま使うのが吉、ってこと」
簡単に、だが、事細かに説明して、志之武はそれを床に降ろした。
「せいさんは、この観音様を斬って。観音様に、呪詛を移します。御坊、そこに横になっていただけますか」
それは、それこそ志之武はあっさりと言うが、大変なことである。
そもそも、坊主であれば、普通はそんな罰当たりなことはしない。仏様に、しかもご本尊の化身というべきこの小さな観音像に、呪詛を移すなど。
しかし、志之武はそれを、何でもないことのように言うのである。驚くべきことだ。
寺に属していないから、というだけの問題ではないはずだが。
いろいろと疑問は残るものの、軽く指示を出すわりに志之武が大真面目なので、二人とも素直に従った。
僧侶はそこに横になり、征士は彼の足元に置かれた観音像の前に移動する。
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