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 引越しといってもスポーツバッグ一つだけの身軽な志之武は、その日のうちに征士の部屋に転がり込んでいた。
 翌日は早朝から仕事に出かけるのだから、その方が効率が良い。

 征士の部屋は、土御門家に程近い、世田谷区内のデザイナーズマンションで、これ自身は麟子の持ち物である。
 征士は管理人という名目で部屋を借りていた。松安の秘蔵っ子で仕事もしていなかったのだから、甘えるしかない。

 翌朝。朝も明けやらぬうちに、二人は部屋を出ていた。
 交通手段は前日のうちに借りておいたレンタカー。費用は必要経費として認められた。
 本来、公共の交通機関を出来るだけ使うように指示されているものなのだが、今回は内容が特殊だ。
 禅寺である円覚寺の朝は早い。その彼らよりも早く動き出さなければならないのだから、近くのホテルに前日泊まるか、こうして早朝から車を走らせるしかない。

 まだ鳥も泣き始めない午前3時。参拝客用駐車場に車を停め、二人はひっそりと静まり返った境内へ入っていった。

「一つ」

 囁くようにそれを呼ぶ。呼ばれた途端、志之武の目の前に烏天狗は姿を見せた。
 名前の由来である額の向こう傷が、暗い境内ではぼんやりと浮かび上がって見える。全体的に黒い身体で、傷だけ白いのだから仕方がない。

「どう?」

 実は、前日のうちに天狗たちを調査に走らせていたのだ。勝太郎の前に一つを呼び出したのが、その作業を命じるためだったのである。
 麟子から預かった調査表に目を通したときに判断していればよかったのだが、勝太郎と話をしているときにふいに思いついてしまったのだから仕方がない。
 前世からそうだったが、基本的に行き当たりばったりな性格なのである。

 今回の仕事は少々厄介である。

 呪詛を受けたのは円覚寺の檀家で、参議院議員を務める政治家である。つまりは権力争いのうちの呪詛で、その程度は別に珍しくもない。
 ただ、その呪詛返しを引き受けた円覚寺でトラブルがあり、参議院議員にかかった呪詛を3倍くらいに濃縮して、円覚寺が被ってしまったのである。
 志之武に言わせれば、下手くそ、の一言で一蹴されてしまうのだが。
 そして、自らの力ではどうしようもなくなった寺側が、恥をしのんで土御門家に助けを求めた。そういう経緯である。

 最初の呪詛は、参議院議員本人に憑いていた。
 高熱を発し、夢の中で妖怪変化に襲われ、うわ言を漏らす。よくある、裏御門にとっては基本中の基本の呪詛だ。
 円覚寺としても、良くある呪詛としてセオリー通りに処理するつもりだったのだろう。

 呪詛返しを、寺院内の小さな堂で行っていたのが不幸中の幸いであった。
 現在、身代わりに呪詛を受けてしまった術師は、現場の堂を立ち入り禁止にして閉じ込められている。
 それなりの法力僧であるから、素人よりはパニックも少ないだろう。
 しかし、その状態も今日で4日目の朝だ。いい加減、僧の体力も限界に近い。

 天狗たちを走らせたのは、問題の堂の様子を探るためと、呪者探しのためだった。

 資料を見る限り、参議院議員にかけられた呪詛は基本中の基本である。
 それは、正しい手順を踏めば、駆け出しの術者でも普通に返せるものだ。だからこそ、円覚寺ほどの寺に所属する法力僧が失敗するなど、よほどのことがない限りありえない。
 その、よほどのこと、を探さなくてはならないのである。ただ失敗しただけ、であれば良いのだが。

「うわ。あかんわ、それ。マジで?」

 思わず出てきた関西弁に、征士は少し驚いたようで志之武をみやった。
 確かに、京都生まれの京都育ち、生粋の京都っ子である志之武だ。京都弁が不意に出てきてもなんらおかしくはないのだが。
 まだまだ今生で付き合い始めて日が浅い。前世の印象が強くても仕方のないことだろう。

「どうした?」

 いくら霊剣術師といえど、天狗の声は聞こえない。それは、天狗と心を通わせる、主人である志之武だけの特権なので、仕方のないことだ。
 だから、天狗の報告が終わった頃を見計らって、何があったのかを志之武に尋ねる。

 声をかけられて、志之武は困ったような表情で征士を振り返った。

「本腰入れてかからないとヤバイかも知れない。術者、堀野さんだって」

「堀野? 誰?」

 志之武の口から名前が出てくるということは、裏の人間であることに間違いはないが。
 表の人もよほど麟子に近い人間しか知らない征士は、裏の人の名前など一人も知らない。
 大体、裏御門本家の子供である志之武に気付かなかったのだから、知っているわけがないのだ。
 
「ん〜。裏の五本指に入る人、かな。僕の教育係さん」

「しのさんの?」

 それは、大物だ。
 本家の後継ぎの教育係といえば、余程の実力者でなければ手も届かない役職である。
 何しろ、未来の本家を支える人間を育てるのだ。並大抵では役に立たない。

「いやだなぁ。堀野さんって、術が二、三回転するから。追いかけにくいし、解きにくいんだよ」

 まいったなぁ、と志之武は頭を掻いた。
 「術が二、三回転する」などという言葉は、通常使わないはずなので、志之武独特の「しのさん語」なのだろうが。
 つまりは、2重3重の仕掛けがかけられている、という意味なのだろう。基本中の基本に見えるその術は、目晦ましだったわけだ。
 それに、円覚寺の法力僧は見事に引っかかってしまった。まぁ、やはり、ドジ、としか言いようがないのだが。

「作戦変更か?」

「ううん。続行。余計な抵抗が入らないうちに済ましちゃおう。一つ。お堂に案内して」

 こくり、と頷き、一つが閉じていた羽を広げる。羽ばたきを一つすると、すーっと浮かび上がった。
 その浮かび上がり方は、羽ばたき必要ないだろ、と突っ込みを入れたくなるのだが。





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