17
帰り道。
志之武が昔懐かしい場所に行きたいというので、神田まで寄り道をすることにした。
麟子には、任務完了の一報を入れたから、その後は自由だ。
御茶ノ水まで出る電車の中で、志之武はずっと、すぐそばに寄り添っていて、征士が何を言うにもくすくすと楽しそうに笑っていた。
行きの時とは大違いだが、反対に行きの道中ではこれをぐっと堪えていたのだと思うと、征士は思うだけで辛くて、涙ぐんでしまう。
きっと今こうして笑っている間も、征士に知られたくなかったその事実を、いつ知られるか、とびくびくしているのに違いない。
もう、うすうす感づいてはいるのだから、早く楽にしてあげたいのに、タイミングがうまく見つけられない。
昔の家は、神田明神のすぐ下にある。
御茶ノ水の駅を降りて、神田川の橋を渡った先だ。
近所には湯島天神や昌平坂学問所などがあり、湯島側は武士の街、神田側は町人の街の、丁度境目あたりである。
今では信号機の地名看板にのみその名を残す、神田明神下、と呼ばれる場所だ。
東京の大空襲も、皇居よりこちら側ではほとんど影響がなかったようで、道筋も古い建物も、そのまま残っている。
さすがに住んでいた長屋は跡形もないが、大家であった呉服屋はいまだ健在で、店の場所こそ変わったものの、昔の雰囲気を多少残している。
その呉服屋の店構えを懐かしく眺めて、二人は神田明神へ向かった。
明神下という場所柄、土地神は神田明神の御祭神、平将門で、征士も志之武も、大昔の顔なじみである。
せっかく再会したのだから、挨拶に行こう、というわけだ。
神田明神は、周りを急斜面に囲まれた高台にある。
裏参道にあたる急な階段を上って境内に出ると、案外狭い神社内がすべて見回せた。
昔はもう少し広かった気がするのだが、時代の流れにはさすがの将門公も抵抗できないらしい。
その狭い境内を見回して、二人は同時に、あ、と声をあげた。
顔を見合わせ、苦笑する。
そこに、古風な狩衣姿の壮年の男が、ぼんやりと座っていた。
神社社殿の欄干に身体をもたれて、実際に万人の目に触れれば絶対に怒られるはずの場所格好で。
現代の若者で言えば、その態度はまさに「かったりぃ」である。それは、二人ともかなり見慣れた相手だ。
「将門公。お久しぶりです」
「なんて格好してるんですか。御祭神様でしょう? もっとしゃきっとしてください、しゃきっと」
とりあえず再会の挨拶をする征士と、突然かなり強い口調で注意の声をあげる志之武。
そんな二人の声にはっと顔を上げた将門は、まじまじとはじめて見る顔の二人を見つめ、それから驚いた。
『志之助と征士郎ではないか。久しいのう。二人とも、息災であったか』
「何言ってんですか、将門公。あれから何年経ってます?」
息災、なわけがない。つい二十数年前まではこの世にいなかったのだから、言葉の用法が間違っている。
そんな風に憎まれ口を叩く志之武に、怨霊と恐れられる立場の将門は、ほっほっと楽しそうに笑った。
それだけ、将門とこの二人は仲が良い。
『相変わらずじゃのう、志之助。その毒舌ぶりがいっそ心地良いわ。で、そなたたち、今生ではもう夫婦の契りは交わしたのか? まだなら、今度こそ、わしが仲人を務めてやるぞ』
それはつまり、言い換えると、今度こそ仲人をやらせろ、という意味だ。
以前は知らない間にただの相棒が夫婦になっていたから、それだけはいつまでも根に持っていたのだが、まだ忘れていないらしい。
そんな風に言われて、志之武は困ったように征士を見やる。
征士は、そんな将門の言葉に、内心舌を巻いていた。かなりなナイスタイミングだ。
まさか、今日やっと志之武が心を開いてくれたことを、知っているわけではないのだろうが。
何も反応しない征士とは対照的に、志之武は恥ずかしそうに苦笑を浮かべた。
「この間再会したばかりだもの。まだ、これからのことなんてわからないよ」
『何を言うておる。そなたたちはどうせ切っても切れぬ仲じゃ。諦めて一緒になってしまえ。
そなたたちは二人で一つ。互いが影響しあうことで、一人では足りない力も出せる。そんなことは、そなたが一番良く知っておろう、志之助。
征士郎はそのつもりでおるようじゃし。のう?征士郎』
「何でそう、人がどうやって切り出そうか悩んでるところを、簡単に持ってっちゃうかなぁ。これでも結構憧れてたんだぞ。プロポーズ、ってやつ」
『おう、それはすまなんだ。なんじゃ、おぬし、けっこう性格が変わったのう。前は寡黙な奴じゃった気がするが』
それがいやだ、というわけではないらしく、将門はにやにやと人の悪い笑みを浮かべながら、そう感想を述べる。
その感想は、志之武もまた同意見であるらしい。少し驚いたように征士を見つめていた。
変わったと言えば、志之武もかなり大人しくなってしまったのでおあいこである。
それを嫌だと思うこともない。性格は変わっても、基本的な人格は変わらない。
それは、今日志之武を見ていて実感していることだ。何がどうとは具体的に言えないが。
[ 178/253 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]戻る