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 と。

「一つ、前、後っ!」

 ばさっ、と。大昔に聞きなれた音。
 それは、「しのさん」が操った、天狗たちの翼の音。

 いつまで経っても襲ってこない痛みに、征士は恐る恐る宙を振り返る。
 そこにいたのは、黒い翼を持つ、身の丈1メートルに満たないずんぐりむっくり体型の、烏のくちばしの修験者。烏天狗だった。
 それも、2匹は征士を守るように羽を広げ、1匹は勢いの衰えない刀の柄をつかんで、必死に抑えている。その額にある向こう傷に、征士は見覚えがあった。

「一つ、か。お前」

 その征士の声に、反応して視線を向けてくれる。それは肯定のようで、征士は現在のこの状況に関わらず、ほっとしてしまった。
 続いて、志之武の声が聞こえる。

「右翼、左翼。他のみんなを連れて、呪者を探って。見つけたら手出ししないで連絡すること。見張りを忘れないで。
 藤香。結界張るから手伝って。
 せいさん、彼女、しっかり押さえててよ」

 せいさん。そう、言った。
 はっと征士は顔を上げた。
 再会して、初めて呼んでくれた。それも、昔の呼び方で。昔の口調で。何事もなかったかのように。
 それはきっと、天狗を呼んでしまったからにはとぼけられないと観念したせいなのだろうが、征士には感動してしまうくらいの出来事で。

「おう」

 昔の口調で答えるのに、今度は志之武が目を見張る番だった。そして、くすっと笑って見せる。
 つい先ほどまでは見られなかった、「しのさん」独特の頼りがいある笑みで。

「鎮護結界っ」

 いつの間に呪文を唱えたのやら、それ以前に、いつの間に式神に手伝わせたのか、ぱっと手を上げて宣言した途端に、彼女を中心に円を描いて結界が出来上がる。
 それと同時に、彼女の身体がもがくことを止め、襲い掛かっていた刀から力が抜けた。
 本来の重みが重力にしたがって下へ落ち、ついでに一つも道ずれに、そのまま落下して畳に突き刺さる。
 彼女の身体から力が抜けたことで、征士も覆い被さったまま力を緩め、志之武を振り返る。頷きを受けてその手を解いた。
 ついで、彼女を促して体を起こす。

「あゆみさん。まだそこにいるよね?」

 確認の口調に、征士は瞬間、身体を固くした。
 が、抵抗する様子を見せないのに、再び力を緩める。彼女は、こくりと静かに頷いた。

「貴女の自殺の原因は、多分その身体、祐美子さんのイジメに間違いないでしょう。
 あんまり苦しくて、心が負けちゃったんだよね?
 でも、それとこれとは話が別。祐美子さんに取り憑いたのは、貴女の意志ではない。違う?」

『そう。別に、恨むつもりなんてこれっぽっちも。何で私はここにいるの? 地獄に行ったのではないの?』

 自殺霊は地獄行き。それは、少しでもオカルト趣味がある人ならば誰でも知っていることだから、そんな彼女の発想も特に外れてはいない。
 が、志之武は首を振る。

「あゆみさんは天国行きだよ。
 でも、あの世に上る前に、呪術に利用されちゃったんだ。
 今楽にしてあげるから。もうちょっと待って。呪力を解かなくちゃ、本当に地獄行きになっちゃう」

 その口調が、訪ねて来たときの彼とまったく別人で、この家の奥さんもお手伝いも顔を見合わせる。
 そして、落ち着いた様子のお嬢さんに近づこうとした。
 待て、と制したのは征士だ。彼女の肩に手を置いて、結界の中で大人しく待っている。

「結界内に入らないでください。お嬢さんがまた暴れだしますよ」

 かどうかは知らないが。そう脅しておけば間違いないだろう。それが征士の判断だ。
 そして、その判断は、志之武に概ね認められたらしい。否定しないどころか、満足げに微笑む。
 そして、ふと表側を見やると、窓を開けた。

「どうだった?」

 そこにいたのは、志之武のそばに付き従って寛いでいる烏天狗たちと同じ格好の天狗たちで。
 窓の向こうに、全部で一体何匹いるのか、見える限り庭が真っ黒だ。
 3匹の烏天狗にはさして驚かなかった女性陣が、そろって悲鳴をあげる。志之武も征士も、そんな反応はまるっきり無視だ。

「そう。やっぱり。そこは報告書通りだね。じゃ、三倍返しといきますか」

「三倍といわず、十倍くらいでいいんじゃねぇの?」

 烏天狗の声の聞こえない報告に感想を述べた志之武に、征士が軽口を挟む。
 その言葉に、少しは驚いたようで、志之武が彼を振り返った。

「十倍返し、出来ると思うの?」

「しのさんなら、二十倍くらいにして返すと思うがね、俺は」

 これでも表現を控えたぞ、という意味だったらしい。志之武がその言葉に吹き出してしまう。

「無理でしょ?」

「何でさ。しのさん、前より強くなってない? 俺が分かるようになっただけじゃないだろ。
 なぁ、一つ。強くなってるよなぁ?」

 話を振られて、ふと征士を見上げた、額の向こう傷の烏天狗は、ちょこっと首を傾げ、それから頷いた。
 その両隣では、一緒に呼び出された前と後も、首ふり人形のごとく何度も頷いている。
 お前たちまで、と志之武は少し困ったように笑った。

「で、呪い元は?」

「ライバル会社の重役、と言いたいところだけど。社内の人だよ。山中さんって表札が見える」

「山中!? 山中常務が?」

 名前を言った途端に、母親が驚いた声をあげた。
 お手伝いの人は会社の内部事情までは知らないらしく、突然声をあげた奥様を驚いた目で見つめている。
 まだあゆみが表層意識に出ていて、娘からの反応はない。

「あぁ、本人は呪場にいないなぁ。術者は裏御門の結構上役の人。っていうか、あれ、溝口さんじゃない。あのまま家にいたら、この仕事、俺がしてたかも。あとは……」

 どうやら、見張りに残っている天狗の意識から、その現場を見ているらしいのだが、征士はそんなことが出来る志之武を少し驚いた目で見つめていた。
 征士が驚くということは、彼が言う昔には、志之武はそんなことはしなかったようだ。出来なかったのか、しなかったのかは、定かではない。





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