13
仕事先は、とある大会社社長の家だった。ターゲットはその家の一人娘。どうやら、狐憑きであるらしい。
なるほど、霊剣術師だけで事が足りる仕事だ。
家にはお手伝いさんが一人と奥さん、それに問題の娘がいて、約束の時間をじっと待っていた。
訪ねて行ったとき、娘は両手両腕を動かないようにさらしでぐるぐる巻きに固定され、見るからに気の毒な格好だった。
これは、依頼人である父親が指示したのだという。そうしないと周りのものを手当たり次第撒き散らし、それがないと周りの人間を、それもないと自分の身体を鋭い爪で引っ掻き回すらしい。
なるほど、放置していては確かに危険だ。
仕事先に到着して、真っ先に二人がしたことは、まったく同じ事であった。場所の移動である。
最初は客間に通されたのだが、何にしろ、陰陽師の仕事は早くに始めるに越したことはない。
移動先は、仏間。その指示も、まったく同じだった。
それには、もちろん、根拠がある。
家の中でもっとも霊的圧力が強く、もっとも空気が清浄な場所。それが、仏間である。
それはもちろん一般論なのだが、まずはセオリーに従うのはどの世界も同じだ。
次の作業は、と考えてふと征士は志之武を見やった。
霊剣術師は、立場的には陰陽師の助手である。勝手に作業をするわけには行かない。
ましてや、今回の仕事は、志之武の実力を判断することが第一目的である。それは、自然な行動であった。
志之武を見やって、征士は少し戸惑った。
かばんの中に仕事道具一式を持ってきているのは間違いないのだから、それをその場に揃えることから始めるはずなのだが、志之武は問題の彼女と向かい合わせに座り、じっと見つめているのである。
「どうしました?」
客先では敬語。これは、師匠に口が酸っぱくなるくらいに繰り返された言葉だから、志之武に対しても敬語を使う。
声をかけられて、志之武は征士を見上げ、首を傾げた。
それから、じっと彼女を見つめる。
「まず、貴女のお名前を聞いても良いですか?」
もちろん、ターゲットの名前は資料に書いてあるし、ここに来る間に一通りの資料に目を通させたはずだ。それを、志之武は覚えたはずなのだが。
答えようと口を開いた母親を、すっと手を上げて制し、彼女の目を見つめている。
「名前。教えてください」
もう一度、促す。
彼女は、今はどうやら正常な様子であるらしい。視線がちゃんと志之武を見返しているのがその証拠だ。
「磯村祐美子、です」
「祐美子さん。貴女に憑いている女性の霊の、名前はわかりますか?」
え?
驚いたのは、本人もそうだが、征士もだった。
陰陽師は呪術占術はお手の物だが、霊魂相手となると専門外だ。
霊力も兼ね備えた術師でなければ、それが霊による憑依現象であると見分けることはなかなか難しい。それを、どうやら憑依現象中でないにも関わらず、見抜いたらしい。
まぁ、それは、志之武が征士の前世の相棒であれば、わけもないことなのだが。
それよりも、それが本当であれば、霊剣術師の征士だけでは手に余る仕事だ。麟子の判断ミスか?
「女性の霊、ですか?」
本人も気付いていない。
それが、答えだったらしい。志之武は少し申し訳なさそうに目を伏せる。
「申し訳ありません。私では貴女を助けて差し上げるには力不足です。
無理に除霊しても、失敗したら今以上に辛い目にあってしまいます。
上に掛け合って早急に対応できる術者を派遣いたしますので、もう少し頑張っていただけますか」
そんなはずはない。
これが霊だと見抜いたほどだ。助けてあげられるはずなのに。
何故ここで断ってしまうのか。征士は思わず志之武に非難の目を向けてしまった。
助けられるのに、困っている人がここにいるのに、何故断るんだ。
それを、口に出さなかったのは、征士の最大の自制によるものだ。
そんな志之武の言葉に、大変なショックを受けた奥さんが、ふら、とその場に崩れ落ち、お手伝いさんが大慌てで助けおこす。
祐美子も、さすがにショックだった。そんな、と呟き、そのまま目に涙を浮かべて固まってしまう。
と、その表情が見る見るうちに憤怒の表情に変わっていった。
目が釣りあがり、顔色が青ざめる。
『あたしを助けに来たんじゃないのか。こんな弱い身体、へし折ってやっても良いんだぞ』
「征士さん、助けを呼んでください。僕の手には負えない」
身体を縛られているせいで動けない彼女が、身体の移動だけで志之武に攻め寄っていく。
部屋の柱がミシミシと音を立て始め、母親とお手伝いの女性が互いに抱き合った。
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