10
約束の日。
宥めすかされて仕方なく連れてこられた志之武は、やる気のなさそうな、覇気のない青年だった。
出てきたばかりでスーツを持っていないのだろう、襟付きシャツにスラックスといういでたちだが、それでもこの部屋に違和感がないのは、おそらく松安のだぶだぶシャツにGパンという格好のせいだろう。
長いさらさらの髪を一つに束ねているのが、男にしては珍しいが、それ以外はどこにでもいる二十代前半の青年である。ただし、性別不肖な美貌が少し目を引く。
先に、辛い思いをして感情が消えているから、怒らないでやって欲しい、と勝太郎に言われていなければ、麟子も松安も落胆の色を隠し切れなかっただろう。
面を上げることを許された志之武は、まっすぐ前を見てはいたが、誰とも視線を交わすことがなかった。
征士の話を信じるならば、前世の相棒であるはずの征士とさえ。
「土屋志之武殿、ですね?」
「お呼びと伺い参上いたしました。何の御用でしょう」
自分には用がない、そう言いたげな口調で、麟子は少し眉を寄せる。
勝太郎がああまで頭を下げるから堪えてもいるが、本当ならば今ごろ怒って席を立っている。
「貴方に会わせたい人がいます。中村さん。どうぞ」
こっちへいらっしゃい、と手招きされて、征士は麟子の右斜め前に座った。正座の両腿に軽く握った手を乗せて、まっすぐに志之武を見つめる。
「中村征士です。覚えてますか? 子供の頃に、不忍池で会った」
そこまで具体的に言われて、それでも志之武は戸惑いさえ見せない。征士を冷めた目で見返して、それから、軽く伏せた。
「そうでしたっけ?」
勝太郎は、志之武の覇気のなさに、反対に驚いていた。
確かに嫌がってはいたが、それにしても、何もここで自分を押し殺す必要はないのに。
土屋家にいると聞いていた、自分の前では見せない仮面を、きっちり被っている。
「あのね、しのさん。この人たちは、味方だよ? 隠さなくて、いいんだよ?」
ぐっと砕けて、征士は畳に両手をつき、俯く志之武の顔を覗き込む。
何も聞こえていないかのようにしばらく黙り込んでいた志之武は、それから、また征士を見返した。やはり、その目に熱が感じられない。
「気安く呼ばないで下さい」
それは、征士をショックで落ち込ませるのに十分すぎるほどの一言だった。
その様子を見ている松安が、弟子の落ち込んだ様子に驚く。
何しろ、こんな暗い顔を、はじめて見た。いつも、何か辛いことがあっても無表情で通してきた征士である。それだけ、ショックだったのだ。
反対に、志之武の表情からは、感情がまったく感じられなかった。
ついでに、噂に聞いていた力も、どこにも見当たらない。陰陽師であるからには、少しは何か見えるはずなのだが。
「何故、そんなに力を殺すのです? 貴方からはまったく力が感じられない。それは、土屋家の、ひいては土御門家の血を引く人間として、不自然です。何か、理由があるのでしょう?」
それは、土御門家の直系の血を引く人間であるからこそ、麟子になら言える台詞で。
後ろに控える勝太郎も、この屋敷に入ったときから気になっていた。
しかし、志之武はただ、首を振る。
「それを、話す義務がありますか?」
「貴方の自由ですよ。でも、気になります」
この子、けっこうやるじゃない。
実は、その一言が、麟子に志之武を見直させることになった。それは、本人にとっては実に不本意なのだろうが。
何か、あるのだ。彼をここまでかたくなにさせる理由が。
しかし、なにしろ訳知りのはずの勝太郎も征士も、具体的な言葉をひたすら濁してしまうため、なかなかその真実に辿り着けない。
そして、そのもどかしさが、反対に、この青年をもっと知りたい、という好奇心につながってしまった。
「いいでしょう。今はこれ以上追及しないでおきます。
ただし、一つ引き受けてください。呪術返しの依頼が来ています。これを、そこにいる中村さんと協力して片付けること。
そのくらいの仕事ができると分かれば、私たちも貴方を土御門の力で守って差し上げましょう。交換条件ですよ。いかがです?」
驚いたのは、勝太郎だ。
本来なら、出来ればしばらく、一年位は何もさせたくない。それを、麟子にも訴えたはずなのに。
しかし、何か思うところがあるのだろう。今の自分の立場では、そこに口出しする権利もない。
当の志之武は、しばらく麟子を見つめていたが、それからふと叔父を振り返り、首を傾げる。
叔父が苦々しい表情ながら何も答えないのに何を思ったか、深く頭を下げた。
「お引き受けいたします」
「よろしい。詳細は中村さんに説明しておきます。明日、十時、新宿駅東口で待ち合わせてください。
征士君、携帯の番号、教えてあげて」
それは、それを聞いたら下がりなさい、と同義語で、志之武はそれを平伏したままで受けたのだった。
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