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 普通、感情があれだけ揺れていれば、太刀筋も狂って当然である。

 うちの弟子は、とんでもない怪物だなぁ。松安は、今更ながらにそう思っていた。

 心は荒れているはずなのだ。
 昨日の今日である。あれだけ、自分を見失いかけるほどに心配する相手の、信じたくない事実を知らされて、内心は大荒れのはずなのだ。
 しかし、そんなときこそ、普通とは反対の現象を見せる。

 剣の道に、迷いが消える。

 今の征士には、師匠の自分ですら勝てる気がしない。

 いつものように、流れ落ちる滝に向かって素振りの稽古に精を出す征士を見つめ、松安はため息をつく。

 征士を弟子に取ったのは、もしかしたら、運命で決められた大正解だったのかもしれない。昨日の話を聞いて、松安はそう思う。
 そして、この押しかけ弟子を、少し満足げなため息とともに、見つめるのである。

 あの日。

 征士はどうやら卒業式の帰りだったらしい。上野にある東照宮に詣でた帰りに、ばったりと出会った。
 そういえば、何故だったのだろう。その時点で、征士は自ら声をかけてきたのだ。それも、弟子にしてください、とはっきり。

 翌日、あまりに熱心な征士をからかうつもりで、入門試験と称して手合わせをしてみた。
 その太刀筋と、独学だという霊剣術に、松安は折れたのだ。

 しばらく経って、気を許したのだろう、征士は、霊剣術を志した理由をぼそりぼそりと語ったことがある。
 そのときに、松安は「土屋志之武」という名を初めて知った。
 彼を探している。彼を守るために、霊剣術が必要なのだ。征士は、まるで自分を鼓舞するように、そう言っていた。

 後に、麟子の前でその名を呟き、彼の正体を知ったときには、はっきり驚いた。
 何しろ、裏御門の直系である。自分の弟子である限り、味方として会うことはまずないはずの、そんな相手だったのだ。

 松安も、そんな事実にはさすがに気を利かせるしかなかった。知らぬ存ぜぬの一点張りで、征士にいらぬ期待を抱かせないように。
 実際、それくらいしか方法はなかった。もし敵味方で会ってしまえば、それは敵対するしかない立場だからだ。

 だから、もしかしたらその志之武に、味方側として会えるかもしれないと、そう知ったときには年甲斐もなくはしゃいだ。
 可愛い弟子に、いい思いをさせられるかもしれないのだ。何もしてやっていない分、何かしたい気になっていた。
 本当に、弟子に対して何一つしていない。霊剣術は、教えていない。教えなくても、自分の修行を傍で見て、勝手に覚えてしまうのだから、そんな必要もない。
 これが、してやれる初めてのことに、なるはずだった。

 事実を知って。

 実は松安は少し後悔している。
 まさか、そこまで深い事情があるとは、考えていなかった。
 何か思い悩むことがあってこんな特殊な環境に身を投じたのだろうということは分かるのだが、そこまでだった。
 こんな事情があるのだったら、もう少し慎重に行動するべきだったのだ。

「なぁ、征士」

「はい、師匠」

 力なく声をかけるのに、征士は自分の修行を中断して近寄ってくる。ぴん、と張り詰めた空気が痛いくらいだ。

「お前、これからどうするつもりだ?」

 え?

 何でそんなことを問い掛けられるのか分からず、征士は聞き返した。これから、も何も、今までと何ら変わったことなどないのに。

「もうそろそろ、俺の元を卒業してもいい頃だろう?」

「お邪魔、ですか?」

 松安からすれば、もうすでに自分を上回るほどの力をつけた相手を、いつまでも弟子扱いするわけには行かないだろう、という意味だったが。
 征士は少し悲しそうに問い返した。そんな弟子に、松安は少し笑う。

「いいや。いつまでもここにいてくれてもいいんだがな。もう、独り立ち、できるだろう?」

「そんなこと、ないですよ。まだまだ若造だし。でも、お許しいただけるなら、そろそろ仕事、したいなぁ」

 言われて、すっと頭をよぎったのが、からかいの言葉だったことに、さらに松安は自己嫌悪する。
 が、そこにからかってこなかったことに、反対に征士はいぶかしんだらしい。

「師匠らしくないですよ。からかって、くれないんですか?」

「いい。どうせ、返ってくる言葉はわかっている。それに、お前だって、そこで俺がなんていうか、分かったんだろう?」

「しのさんの専属、でしょ? そうですね。できるなら、そうしたい。でも、それは、麟子様がお決めになることでしょう?」

 この師匠に一言言えば、どこでも好きなように配属してもらえるだろうが。そんなことは分かっていて、征士はそう言う。
 高校を卒業して、そのまま自分に弟子入りして、今までずっと、ひたすらついてきた弟子は、ただ生意気なガキだった当時が想像できないほどに、逞しく、頼もしくなっていた。

「お前なら、志之武殿を任せられるかもしれないな」

 そう、本気で思った。この男にならば。

 そう。松安は、一人の男として、初めて弟子を認めたのだ。
 それは、もう、自分が何かを言うべきではない、と悟った瞬間でもあった。





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