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待っているように言って勝太郎が玄関先に応対に出る。
玄関の向こうでぺこりと頭を下げたのは、もう70歳近い女中頭の二三子だった。
そこに志之武がいてそちらをうかがっているのに、二三子はどうやら気がついたらしい。途端に涙ぐむ。
「志之武坊ちゃまのお荷物をお持ちしました。大体の必要なものは揃っているはずです。何か足りなければお申し付けくださればお送りいたします。
それから、これを持って行くようにと、大旦那様のお言いつけです。どうぞお持ちください」
はい、と勝太郎に押し付けたのは、結構大きなスポーツバッグいっぱいに詰め込まれた荷物と、携帯電話だった。
時々連絡をしなさい、という意味だろう。電話帳を確認すると、この二三子か執事の利三しか取らないことになっている、当主への直通電話の番号が入っていた。
勝太郎が携帯電話を確認している間に、二三子は勝太郎の案外大きい身体の脇から顔をのぞかせて、志之武に声をかける。
「お家のことはご心配なさらず、ゆっくり休んでらしてください。勝太郎坊ちゃまが守ってくださいますから。
それと、何かありましたらお電話くださいませ。私でお力になれることでしたら何でもいたします」
早くに母親と引き離されて、二三子を母か祖母のように育った志之武である。
久しぶりに周りに優しい声をかけられて、涙腺がゆるくなっているのかもしれない。
頷きながら泣き出してしまった志之武に、勝太郎も二三子もおろおろとしてしまう。
「ありがとう……」
「何をおっしゃいます。私どもの方こそ、志之武坊ちゃまをお助けできなくて何度歯痒い思いをしてきたか。
幸せになってくださいましね。それだけを、ふみは願っております」
そんなことを、強い口調で言っておきながら、どうやらもらい泣きしたらしい。二三子もそこで泣き出してしまった。
泣き出した二人に挟まれて、勝太郎が困ったようにため息をつく。
「さ。もう行かないと」
「えぇ、えぇ。そうでしたね。この場所を紘之助坊ちゃまに知られては大変」
それは、おそらく、勝太郎と二三子の間ですでに話が決まっていたことだったのだろう。
女中であるとはいえ、二三子も土屋家に所属する陰陽師の一人だ。隠密行動もわけはない。
ただ、欺く相手も陰陽師であるから、用心するに越したことはないのだ。
父、紘之助とこの勝太郎を坊ちゃま呼ばわりする唯一の人である二三子が帰っていき、勝太郎はその大荷物をリビングに下ろす。
荷物の大きさは二三子の思い入れの大きさだ。重いのには閉口するが、そうは言ってももう帰ってこない分、必要な荷物である。
かばんを開けると、そこに一通の手紙が入っていた。
陰陽師の基本セットと着替えがたくさん。それに、歯ブラシや洗面道具といった生活必需品も入っている。
勝太郎がかばんの中身を点検する間に、志之武は忍ばせるように入れられていた手紙を開いた。
それはなんと、祖父にあたる当主からの、直筆のものであった。
内容は、全部で三点。
一つは、持たされたという携帯電話のことで、支払いは祖父が秘密で志之武のために貯めておいた銀行口座から引き落とすようになっているから気兼ねなく使うように、ということ。
もう一つは、その銀行口座のことで、通帳はかばんの一番下に入れてあるということ。見ると、毎年定額ずつ振り込まれていた金額の合計が、なんと1千万円近い。
もう一つは、家の相続のことであった。
「なになに? 土屋家の相続権を一時剥奪しておくから、自由に生きろ、だぁ?
あの親父、かなり丸くなったなぁ」
その措置は、実際勝太郎にした措置と同じで、違う点といえば、剥奪の前に「一時」という言葉がついただけである。
それを見て、志之武は目を丸くした。手紙はさらに続く。
『父親に振り回されるお前を、見ているしか出来なかった不甲斐ない祖父を許して欲しい。
土屋の家から離れ、自由に、お前の思うままに生きてみなさい。
世の中を知って、裏ばかりを見ていたお前だから幻滅しているかもしれないが、人間も捨てたものではないと感じることが出来たなら、一度、今後のことを考えてほしい。
もし、土屋家を継いでくれる意志が持てたなら、その時は帰ってきてくれたら嬉しい。
無理はしなくて良い。まずは、思うままに生きなさい。
聡明なお前のことだから、きっと最善の道を見つけてくれると、信じている』
「志之武君が、自分を押し殺していることを、ちゃんと分かってるみたいだな」
志之武の手元を覗き込んで、それを読んでいた勝太郎が、穏やかな声でそんな感想を述べた。
それは、志之武の涙腺をまた緩めるのに十分すぎる一言で。勝太郎にしがみついて泣き出した志之武を、彼はそっと抱きしめ、背中を撫でてやっていた。
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