3
「最近は、どうだね? 兄貴は、あいかわらずか?」
「どうでしょう。なんかもう、どうでも良くなっちゃって。最近、何も感じないんです。感覚、麻痺しちゃったのかな。どうせ逃げられないから、ありがたい話なんですけど」
そんな自己分析をする甥に、勝太郎は驚いて目を見開いた。
すでに、そこまで精神が病んでいるのだ。
何も感じない。つまり、自己保身のために感情を殺してしまった。
この前に会った時には、もう嫌だ、とここで泣いてくれたのに。
助けるなら、もうリミットが近い。これ以上病が進行すると、今度は精神が死んでしまう。廃人になってしまう。こんなに良い子なのに、こんなに能力があるのに。
そんなことは、叔父として、いや、人間として、許せなかった。
「逃げようか」
「え?」
この叔父に、一体何て言われたのか、一瞬理解が出来なかった。
逃げる、などという言葉は、志之武の行動選択肢から排除されている。それは、選択してはいけない通行禁止路だ。
「なんですか?」
「逃げよう。東京に、連れて逃げてあげるよ。
これ以上、我慢することない。もう少しなんだ。もう少しで、志之武君を守ってあげられる。
本当は、来週か再来週にでも迎えに来るつもりだったけど。そんなに待てない。今すぐ、逃げよう」
それは、このとき初めて甥の前にさらけ出した、勝太郎の本心で。
こんなに熱心に自分を誘ってくれるのが、信じられなかった。
ずっと、深入りはしないけれど、守ってくれる人だ、と、そう見ていた相手だから。
「でも、叔父さんに迷惑かけるし」
「迷惑じゃない。私について来てくれ。
本当に、もう少しなんだ。来週、土御門の当主に会える。そうしたら、志之武君を、土御門の力で守ってあげられる。
そこまで来たんだ。信じてくれ」
向かい合わせに座った志之武を、勝太郎はそばまで寄っていって、がしっとその肩をつかみ、胸に抱き寄せる。
それは、志之武が恐がる行為なのは知っていて、それでも抱きしめずにはいられなかった。
自分たちに子供がいない分、まるで自分の子供のように見えて仕方がない。
その子が、これだけ苦労しているのだ。心を病んでしまうくらいに。
放っておけというほうが無理である。
「土御門の?」
「そう。あそこの女性当主に、麟子様にお会いできることになったんだ。もう一息だ」
りんこさま?
呟くように問い返す志之武に、勝太郎は力強く頷く。そして、もう一度駄目押しのように言うのだ。
「一緒に東京へ行こう。そして、一緒に暮らすんだ。
常子も、私が志之武君を連れて帰るのを心待ちにしている。
もう、我慢することはないんだ。逃げてしまおう。私は、志之武君を幸せにしてあげたい」
かき口説くように、勝太郎がそう言い募る。
その勢いに、飲まれてしまった。思わず頷いている志之武である。
それを受けて、勝太郎は、良し、と力強く頷いた。
「そうと決まれば善は急げだ。父上に連絡してしまおう」
「父上、って、当主様?」
「おう。何だ、気づかなかったのか? 結構気にしてくれているぞ」
旅行かばんから携帯電話を取り出しながら、勝太郎がからかうようにそう言う。
勝太郎は、確か、父親である現当主を、裏切るように飛び出してきた人のはずで、そのことを気にしたのだが。
「お、二三子さんか。丁度良かった。父上に繋いでくれ。志之武君の事でといえば取ってくれる」
なるほど、掛け橋は自分であるらしい。そう悟って、同時に驚いた。
仲違いしたはずの親子を結び付けてしまうほど、自分はこの二人に思われていたことに、今の今まで気づいていなかったのだ。申し訳ない話である。
ごめんなさい、と呟くと、取次ぎ待ちをしている叔父に、何を謝ってるんだ?と不思議そうに聞かれてしまった。
「ああ、父上。ご無沙汰して……。あぁ、はいはい。わかってますよ。まったく、孫が可愛かったら自分が助けてやんなさいよ、もう。
そうじゃなくて。志之武君。うちで引き取りますから。
……えぇ、もう、待てません。これ以上待ったら、志之武君が壊れちゃう。……そうですよ、気づいてなかったんですか? せっかく近くにいるのに。
とにかく、預かりますから。家の将来が心配なら、兄貴を何とかしてください。今のままでは返しませんよ」
そんじゃ、と一方的に話を打ち切って、電話を切ってしまう。
それは、つまりそういう間柄なのだが、この叔父もなかなか強気な人だ。一大家の当主相手にこの態度なのだから。
[ 164/253 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]戻る