第壱章 再会 1
日本には、古来より伝わる独自の呪術文化がある。
陰陽道。
この世の陰と陽を使い分け、呪術をもって未来を切り開く、そんな文化だ。
呪術といっても、人を呪い、呪いを返す、それだけのものではない。
星の運行から人の世の運勢を占い、季節の移り変わりを敏感に感じ取り、適時適材適所を正しく導く、日本国全体を支える大きな力である。
今現在の世まで生き残っている陰陽道の大家として有名なのが、土御門家である。日本陰陽道の統括を担っている。
地方には、その土地の文化と結びついた独自の流派を守るところもあるようだが、宮中陰陽寮本流の流れを汲む正統派陰陽道を引き継いだのが、土御門家であり、地方各流派を把握、管理してもいた。
とはいえ、平安の世から脈々と伝わる陰陽道を、土御門家が一手に引き受けているわけではない。
土御門家が陽であれば、当然陰の部分を引き受けた家柄が存在するのだ。
土御門家は、本家は京都に置きつつ、東京に遷都されると同時に機能を東京に移した。
そして、京都に残ったのが、裏御門、土屋家であった。
土屋家は、現在もって三代目。
現在当主の祖父が、当時土御門家当主であった兄の元を去って興したのが始まりだった。
実際、初代の術の力は相当のものであったらしい。
土御門家はこの土屋家の存在を公式に認め、時折仕事を頼むほどの間柄であった。
仲が悪くなり、裏御門などと呼ばれるようになったのは、二代目の頃である。
従兄弟に当たる当時の土御門家当主と折り合い悪く、本人の商魂逞しい性格も手伝ってか、どちらかと言えば陰に当たる仕事を進んで引き受けるようになり、今に至る。
おかげで、占いは土御門へ、呪いは土屋へ、が常識になりつつある昨今であった。
現在の当主には、息子が二人、孫が一人いる。息子も孫も、さすが直系、並大抵以上の呪力を持っていた。
ただし、次男はどうやら土屋家の体質に嫌気がさしたらしく、自主勘当同然に家を飛び出していった。
しかし、長男の方が土屋家に貢献しているので、将来に不安はない、といったところか。
その上、先代に似て商魂逞しく、頼まれればなんでもやる、頼もしい存在であった。
対する孫の方は、その父親に嫌気がさしたのかもしれない、幼い頃はあった力を、最近はほとんど使っていないようで、当主としてはそれだけが頭の痛い話であった。
孫の名を、志之武という。
志之武の過去を知る人は、皆同じように彼をこき下ろす。
子供のときは天才でも、大人になればただの人。
大学は当主の命令で経営学に進んだが、特にそれでこれといった知識を身に付けてきたわけでもない。
幼少の頃には見せていた天才的な呪術の才能も、高校生になった頃からだんだんと衰え、今では一般的な構成員と変わらない程度にまで落ちぶれている。
仕事をさせても失敗ばかり。
一人には任せられず、必ず誰か幹部クラスの呪術者を付けなければ心配で仕方がない。
ただの人、というよりは、役立たずですらあった。
その日も、志之武はまたもや失敗して途中で付き人に代わってもらい、落胆して帰って来ていた。
いつものことで、もう父親も怒る気すら失せたらしい。深くため息をつき、付き人の労を労う。
それから、これもまたいつものように、息子を厳しい口調で自室に呼びつけるのだ。
実際、志之武がそれでも仕事をさせてもらえるのは、父親の性癖のおかげであり、すでに公然の秘密となっていた。
父親のお稚児さん、などという言葉も、すでに陰口ですらない。当然の事実を確かめるだけなのだ。
それには、長めに残して一つに結ったさらさらの髪と、その髪が良く似合う女性っぽい性別不肖の美貌、華奢な体つき、そしてそれらをさらに助長してしまう穏やかな雰囲気が、影響しているのは誰の目にも明らかだった。
志之武がそんな生活を始めたのは、中学卒業間際のころからだった。志之武の能力が下がったのとほぼ同時である。
それは、長年土屋家に仕える女中頭の二三子の証言であり、もちろん、それが志之武の能力低下の原因であることは想像に難くなかった。
最初の頃は、二三子から当主へ告げ口され、志之武をつぶしたくなければやめさせろ、と脅迫まがいのことまでしたのである。
当主もまた、息子に対して、再三注意している。だが、未だに問題は何ら解決しなかった。
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