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 やばいっ、というように、人魚はあわてて岩場の影に隠れる。何も身に着けていないせいであろうし、きっとその足と尾びれを見られないためにだろう。

 志之助は征士郎の知り合いらしいと知って、首を傾げた。

 征士郎が驚いた顔をしているということは、征士郎は彼女が人魚だとは知らなかったということである。しかし、そのようなことがありえるのだろうか。

 人魚の足は、魚のそれと同じなのである。わからないはずがない。

「いったい、どういうことなんだ?」

 眉をしかめて、征士郎は人魚に近づいていく。

 人間以外のものであることに抵抗はあるものの、それが知り合いならばあっさり受け入れてしまう征士郎である。きっと志之助が狐でも何でも、征士郎はあっさり受け入れることだろう。

 そんな征士郎であるから、人魚も自分の正体が見られたと知って、溜息を一つつくと、岩陰から姿を現した。長い髪で裸体である身体を隠して、もう一度大きな溜息をつく。

「まさか、せいちゃんに見られちゃうとはねえ。夜中と思って油断していたわ」

「人魚、なのか?」

「他に、何に見える? 半魚人は嫌よ、何か言い方が汚らしいから」

 茶化して返してくるところからみて、かなり闊達な性格らしい。ふふっと笑って、しかし人魚の目は困ったように揺れていた。

「これも運命かしらね。今ここで、せいちゃんに会うなんて」

 何か悲しげなおまさの表情に、征士郎は怪訝そうな表情を浮かべ、おまさを見つめた。志之助はさらに怪訝な顔で征士郎を見やる。

「せいさん、紹介してくれないの?」

 くいくいと征士郎の袖をひっぱって、志之助は不機嫌そうな声を出した。

 不機嫌というよりも、志之助はかなり心細いのである。もしかしたらここで征士郎と別れることになるのではないかと、気が気ではない。

 そばに連れがいたことを今まで忘れていたらしく、征士郎ははっと志之助を見下ろした。

「すまん、忘れていた」

「ひどい、せいさん、薄情者」

 ぷっとふくれて見せて、それからポンポンと征士郎の肩を叩く。そばに見守っていてくれる人がいるのといないのとでは、ずいぶん違うのである。身をもって知っているらしく、征士郎の動揺を少しでも緩和してあげようと思ったらしい。

 志之助の気持ちが伝わったのがどうか。征士郎は横にいた志之助を自分の前にひっぱりだす。

「おまささん。これ、俺の相棒」

「これ、はないでしょう?」

 ひどいんだから、と口の中で呟いて、志之助は征士郎を見上げる。おまさはくすくすと笑っていた。

「しのさん。彼女、うちのおとなりさんの、おまささん」

 初めまして、とお辞儀の交換。それが終わったことを確かめて、征士郎は大きく息を吐きだした。

「それで、運命ってのはいったい何のことなのか、話してもらおうかい?」

 すっかり忘れてもらえていると思っていたのか、おまさは困ったような溜息をまたついて、長い髪をかきあげた。

「服着るから、ちょっと待っとくれ」

 着物は、岩場の上にかけてあったらしい。立ち上がったとき足が魚のものでなく人間の足だったことに、志之助は目を見張った。どうやら、自分で足の形を変えられるようだった。

 羽織るように軽く肩に着物をかけて帯で留めたおまさは、また岩の上に座ると、征士郎に手招きをした。近づいていった征士郎の頭を撫でて、大きくなったねえ、と母親のような笑みを浮かべる。

「おみつさんが人間の子を産んだときにゃ、ちゃんと人間になれるかどうかって心配だったけど、杞憂だったみたいだね。こんなに立派になって」

 頭を撫でられて子供に戻ったような安らかな表情になった征士郎は、その言葉に隠された意味に気づいて、突然立ち上がった。征士郎の表情に、おまさはけらけらと笑っている。

「おみつさんもね、私と同じなんだよ。おみつさんや私だけじゃない。この村のもんはみんな、人魚なんだ。村にあんた以外に子供がいなかったのも、みんな海の中で育ってたからさ。子供のうちから人間に化ける練習はするけど、赤ちゃんだけは化けられないからねえ。せいちゃんは人間だから、出来れば村の秘密は秘密のままにしておきたかったのさ。村の外に出るのに、秘密は邪魔なだけだしね」

 人間との間の子は身体の中で育てなければいけないために人間の子が出来る。人魚の子は普通、海の中で卵から生まれてくるのだという。征士郎は、人間との間に出来たため、人間の子供として生まれてきたというわけだった。

 人間と人魚の見分け方は、へその有る無しだという。よく思い返してみると、たしかに征士郎の母、おみつにはへそがなかった。

「そうか。……俺は、本当に、人魚の子だったのか」

 落胆したわけでもなく、征士郎はしみじみと納得してしまっていた。何しろ、以前、この近くにある川崎大師で、弘法大師自身から明かされたことがあるのだ。信用していなかったわけではないが、これで裏づけも取れた。

 片方が妙に納得している横で、そのつれもまた妙に納得していた。胸の前で腕を組んで、ふむふむと頷いている。

「なるほどね。本人に自覚のない妖怪などいるのかと思ってたけど、正体を隠されたまま育った二世ではそれも仕方ないだろうしな」

 その言葉に、征士郎は思いっきり脱力してしまっていた。

「俺の正体を、どんな風に思っていたのだ……」

「いや。ちょっと不思議だっただけだよ。せいさんってば、本当に自覚ないんだもの」

 ふら、と倒れかけた征士郎を支えてやって、志之助は遠慮なく笑ってやっていた。そんな志之助の反応に、おまさはさも楽しげに笑いだす。

「あんた、見たところ法力持ってるようだけど、水の中で息をする術か何か持っていないかい? できそうなら、竜宮城に案内してやるよ?」

「仲間じゃなくても、いいんですか?」

「せいちゃんが気を許してる時点で、十分仲間さ。ばらしちまった事も長老様に報告しなきゃあいけないしね。ついといで」

 ぽちゃん、とおまさは着物を着たまま水の中に飛び込む。

 どうする?と志之助は征士郎を見やった。水の中で呼吸する術はあるらしい。できるのなら招待を受けよう、という征士郎に志之助はにっこりと笑って見せた。




 人魚の里だという竜宮城は、浦島太郎の昔話にもあるように絵にも描けない美しさだった。

 鯛や平目が舞い踊り、タコとイカがそのたくさんの足で二人に酌をしてくれる。

 このあたりの海の生き物を統括しているのがこの人魚たちのようだった。みなが楽しそうで、何故人魚たちが人間に化けてまで陸で生活するのかよくわからない。まさに理想郷である。

 長老ほどの歳にもなると海に戻って最期を迎えるらしいが、若者は陸の上で生活しているという。ずっと海の中で生活していられない何かがあるらしかったが、来訪者というだけの彼らには教えてはもらえなかった。

 大ガメに乗って、送られたのは多摩川の反対岸。日数から言うと、丸一昼夜が経っていた。

 おまさが、人魚の里、竜宮城の長老から預かった小箱を開けて征士郎の手の上に乗せてくれる。中には手におさまるくらいの、きれいな絵が描かれた漆塗りの小箱が一つ入っていた。人魚の里に伝わる傷薬だという。かなり効くらしい。

「また、遊びにいらっしゃい。いつでも大歓迎だから」

「ありがとう、おまささん」

 おまさは、にっこり笑って征士郎の頭をなでると、二匹の大ガメをつれて海底へと帰っていった。

 征士郎が傷薬を懐にしまうのを待って、志之助はさて、と背伸びをする。

「そろそろ、江戸に向かおう。もう少しだ」

「なんだ。まだ夜明け前ではないか」

「今から行けば、昼には江戸に着く。勝太郎さんも、待ってるよ」

 征士郎の知られざる故郷に触発されて、家族同然の扱いをしてくれる勝太郎が恋しくなったらしい。

 昨年、妻を亡くした勝太郎は、その分の愛情を征士郎とその相棒である志之助に向けてくれていて、家族を持っていない志之助には、その愛情表現が恋しいくらいであるらしいのだ。

 実際血のつながった征士郎にとっては、少し煙たいほどなのだが。

「兄上にあまり懐くな。離してもらえなくなるぞ」

「あれ? やきもち?」

 どちらに対してなのかは言及せずにからかう志之助に、征士郎はようやく肩をすくめ、江戸に向かって歩き出す。

 ちょうど昇ってきた太陽に背を押され、自らの影を正面にして、二人は帰路を辿り始めた。





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