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 日も暮れて。

 二人は石垣山にいた。

 壊されてしまったのか、自然の力に負けたのか、有名な一夜城は石垣のみになっていた。

 その一番高いところに立って、志之助は感心したようにへぇと言った。

 そこからは小田原城下が一望できた。なるほど、これは豊臣側の圧倒的勝利だったろう。圧倒的な兵力の差に、地の利まで克服してしまったのだ。

 征士郎はというと、呆れたようにそこに残った呪術の跡を眺めていた。地に書かれたそれはどうやら曼陀羅らしい。他に、蝋燭やら何やら、いかがわしい道具が散乱している。

「ここで北条氏政公を操っていたというわけか。悪趣味な野郎だ」

「でも、いいとこ見つけたね。なるほどこの見晴らしならどこにだって術を落とせる」

 言って、くすくすと余裕げな笑みを見せた。ふと後を振り返る。何かいるのか、とつられて征士郎もそちらを見やった。

「せっかく誉めてやってるんだから、姿を見せたらどう?」

「何もかもお見通し、ということですか」

 返ってきた声は意外に若かった。見せたその姿は、征士郎が見た氏政そのものである。どういうことだ、と征士郎は目を見張り、ついで志之助を見やった。

「つまり、投念、というわけだ。氏政公の霊など、もともといなかったということさ」

「ああ。それで、あの言葉遣いを……」

 納得して、征士郎はきっと若者を眺めやった。

 征士郎の感想が理解できていないらしく、男が不思議そうに首を傾げる。志之助もそれは理解できずに征士郎を見上げた。ああ、と征士郎が頷く。

 志之助は偽の北条氏政の霊が言った言葉を聞いていないのだから、わからないのも無理はなく、征士郎からからかう言葉は出てこない。

「まず名乗りがおかしい。北条氏政公がどんな位を持っていたか知らないが、姓と名の間に位を入れるのは常識だ。それに、貰い受けるなんて言葉も使わないだろう、仮にも一国一城の主人が」

 生まれは田舎の卑賎の身だが、これでもかなり高貴な武家の血を引いている征士郎である。たたき込まれていれば、このくらいの違いは聞き分けられるらしい。

「しかし、何故武家ばかりを襲うのだ。何かわけありなのであろう?」

「地元の武家は狙っていないっ!」

 征士郎が優しげな声で尋ねたのに、若者は物凄い形相で言い募った。外から来たもののみを狙ったのだ、という口振りに、征士郎は志之助と顔を見合わせる。

「お前、このあたりの武家の子か?」

「太田総十郎氏定。北条氏政公が三男氏房様の子孫にあたる者だっ! 御先祖様が身をもって守った地を余所者に荒らされて、黙っておれるわけがなかろうっ」

 ほぅ。征士郎が思わず感嘆の溜息をつく。血だけ見れば、何とも立派な家柄だ。なるほど、と思わなくもない。

 しかし、だ。

「だからといって、人殺しは良くない。然るべき所に訴え出るという手は使えなかったのか。今このあたりを治めているのはお前ではないのだし、人を殺しては良くなるものも良くならん」

「氏政公の霊が、怒るよ。勝手に人の名を騙って人殺しなどしては。ほら、そこにももう来ているし」

 え?

 志之助が空を指差し、征士郎はそちらを見やった。何か、ぼんやりと光るものが近づいてくる。

 志之助が肩に触れると、ぼんやりしていたものが人の形をとり始めた。霊力を貸してくれているらしい。

 それは、今とは少し違う戦国期の羽織袴を着た壮年の男の姿だった。そばにもう一つ、袈裟掛けの坊主の姿が見える。

 氏政公、と若者は呟いた。

『お前、氏房の子孫の者だな?』

 氏政の霊が声を出す。空気を伝わって聞こえた声でないことに、征士郎は違和感を感じた。確かに、霊のようだ。

 志之助が何かしたのだろうか、と確かめるように隣の志之助を見やれば、視線を受けて片目をつぶって返された。

『もうやめなさい。人を殺しても何も解決などしない。上告の文を持て奉行所にでも赴いたほうがよほど利があるというもの。人殺しに北条の名を騙っては後々北条の名が汚れよう。良いな』

 威厳ある声に、征士郎はぶるっと身震いした。これが戦国大名の声なのだ。なんと深く力のある声だろう。

 そこに膝をついていた若者は、ははあっと答えながら土下座し深々と頭を下げた。

 氏政の霊はそばにいる僧侶に何事か言うと、すうっと消えていった。そばにいた僧侶も、志之助に目礼して消えていった。




 小田原の先に、うまいと評判の茶屋がある。二人はそこで一休みしていた。

「氏政公をしのさんが呼んだんだろうな、ということは想像もついたのだが、あのそばにいた僧侶はいったい何だったのだ?」

 串に刺してある三色だんごを頬張って、志之助は、ん?と聞き返す。

 この三色だんごがまた絶品だった。遠く上方まで噂が流れてくる有名な団子である。これは、志之助も楽しみにしていたらしい。

「あのお坊さま? 幻庵様だよ。北条幻庵。北条早雲の三男で、出家したり世俗に戻ったりって忙しかった人でね。亡くなってからは北条家の守護僧として現世に残っている人。氏政様の霊を呼んでもらうのに、俺がお呼び出しした相手さ。あの人を介さないと、北条の霊には接触できないからね」

 北条家一の良識家とも言われた人物で、今でも珍しい享年九十六才という長寿でもあった。守護僧になるだけの霊力を生前から備えた人物であったのだという。

「守護僧って、ちなみに、なんだい?」

「ある一族郎等のすべての霊を守護している僧霊のこと。徳川将軍家にもいるんだよ。だいたい有名どころにはみんな一人はいる。北条は二人いるっていうんで比叡では結構有名だったんだけど、結局会えなかったなあ」

 残念、と志之助は残念そうでもなくそう言って笑った。死んでも結局統率者はいるのだと知って、征士郎はがっかりしたように肩を落としてしまった。

 江戸までの道程。先はまだ長い。

 東海道を東に向かって歩き始めた二人を二人の僧霊が見送っていたのだが、志之助は珍しく気づかなかったらしい。





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