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 問題の若い忍び者の言うことには、小田原の城や奉行所、武家屋敷などで、もののけに襲われるという現象が起きているのだという。今のところ、その相手に庶民を巻き込んでいないが、いつ害を為すかわからない以上、放置はできないらしい。

 ただ、不思議なことに、刀を差さない人間に被害者は一人も出ていないのである。一度など、道端で武士が襲われるということがあったが、そこに集まった野次馬に負傷者は一人もでなかった。その野次馬の証言から、何か高貴な家柄の武将の怨霊である、と知れたのだということだった。

「しかし、何故それが北条氏政だと?」

 小田原城下町のそば屋に入って、征士郎は首を傾げていた。

 山を下りて、二人は腹ごなしのために一番近いそば屋に入っていた。問題の現場に行く前に、事態を征士郎が知りたがったというのが一番の理由だろう。一休み、という理由もある。

「さあ、俺は何とも。又聞きの又聞きの又聞きくらいの信憑性だからね」

「あんたたち、お坊さんかい?」

 注文のそばを持ってきた女将が、どんぶりを置きながら声をかけてきた。話の内容から、外部の人間なのに事態に詳しいところを見ると、そうではないか、とあたりをつけたのだろう。

 いいや、と首を振ったのは征士郎で、頷いたのは志之助だ。

「何か知ってるのかい、女将さん」

 珍しい。藁にもすがりそうな面持ちで、志之助は女将を見上げた。この女将ならば、その方が話を引き出しやすいと判断したのだろう。

 知ってるも何も、と女将はちょっとまわりを見回し声を潜める。

「この辺りじゃ北条様の幽霊はちょっとした噂でね。突然現われて突然消えちまうんだけどさ。自分で名乗るのさ、我こそは北条氏政なり、ってね」

「そうそう。北条様に祟られる奴らみんな、わしら庶民を痛めつけるしか能のない連中でね。みんな北条様の霊を崇め奉ってるよ。我らの救世主だってね」

 隣に座っていたどう見ても大工の男が横から口を出した。気がつくと、まわりにいる声が聞こえそうな範囲の人々がみんな、聞耳を立てて頷いている。

「女将は見たことがあるのか?」

 ずずず、とそばをすすりながら、征士郎が尋ねる。もちろんさ、というように、女将は大仰に頷いた。

「そりゃあ、こないだはうちの店の真前に出たしねえ。小田原の人間で知らないもんなんていないんじゃないかい」

「でも、何でまた、いまさら北条氏政が?」

 おかしくないか?と征士郎が首を傾げた。

 北条氏が滅びて、すでに百年が経っている。確かに、いまさら怨霊が暴れるというのも変である。

 とすると、ますます操られているという線が有力だ。

「北条様はね、いつだって民の味方さ。豊臣公の小田原征伐の時も、我ら庶民の生活を案じてくださった。奉行所の連中などは北条様のことを時期の読めない馬鹿者などと蔑むが、我らにとっては神様にも等しいお方だよ」

 だから無理遣りには成仏させないでくれ、と女将は志之助を見やった。周りの人々もすがるような目で志之助に注目している。

 志之助は頷くしかなかった。悪いことだとはわかっているが、自分たちにとっては大事な人間なのだ、という気持ちが伝わってきてしまう。首を振れるものではなかった。




 店を出て城下町の方へ歩いていくと、やがて二人は人だかりにぶつかった。何をしているのか、喧嘩か叩き売りか、離れた場所からは中心で起こっていることがわからない。

「せいさん、霊の気配だ」

「あの人だかりか?」

 こくっと志之助が頷く。よし、と頷き返して、征士郎は志之助にそこにいるように言うと、人だかりの中へ押し入っていった。力仕事は征士郎の出番だが、霊を判別するのは志之助にしかできない。近づくよりも遠巻きに見た方がわかることも多いのだ。

 人の輪の中心に、それはいた。

 その向こう側が透けて見えるということは、確かに霊だ。しかし、かなり存在感のある霊だった。足もしっかりある。

 襲われているのは、きちんとした身形の武士だった。刀を二本差し、きっちり髷を結っている。

 役所の重要人物だろう。美しい生地を使った羽織を着て、腰を抜かしているそばには真っ二つにされた笠が転がっていた。

「我は北条氏政なり。其が命、貰い受ける」

 名乗りを上げたその言葉を聞いて、ふと征士郎は眉を寄せた。何か違う。ふとそう思ったのだ。

 名乗りを上げた瞬間、北条氏政の霊は振り上げていた太刀を振りおろした。ぎゃああ、と武士の悲鳴があがる。

 待て、と止める間もなかった。勢い良く血を吹きだし崩れ落ちたのを確認して、北条氏政の霊は満足気にふいっと消えた。まわりにいた野次馬たちの表情も何とも満足気だった。

 何か釈然としない気持ちのまま、征士郎は志之助の元へ戻っていく。すると、志之助は征士郎を見上げてにこりと笑った。

「北条氏政、帰っていった場所がわかったよ」

「え?」

 どうやら、遠くで見守っていたのが幸いしたらしい。北条氏政が空を飛んでいくのを見たという。

 どこだ、と尋ねた征士郎は、志之助の差した指の先を見て絶句した。それは、小田原征伐の際豊臣秀吉が突貫工事で建てたという、石垣山の一夜城だった。





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