戦国の怨霊 1




 東海道の道行きも、箱根を越えた先では、どれもこれもが目新しく写る。

 何しろ、前回この道を通った際には、志之助の体調は最悪で、志之助を気遣いながらの旅であったから、周囲の景色になど目を向ける余裕はなかったのだ。

 珍しく不精髭もないすっきりした征士郎は、意気揚々と先に立って歩いていた。

 時折ある崖の上からは、遥か前方に海が見える。円く弧を描く海岸線の内側に目を遣ると、威風堂々たる城もうかがえた。難攻不落の誉れ高い小田原城である。

 徳川の世に入ってだいぶ縮小させられたようだが、それでも海と山に囲まれたその平地に建つ様は見事なものだ。

 山を半分ほど降りてきた頃、少し休憩しよう、と志之助に呼ばれた。

 海の見える崖の道の内側にあたる草の上に座って、二人はぼんやりと、空と海を眺める。随分と景気の良い、快晴だ。

 二人の背後を十人ほど通った頃、不意に志之助が喋りだした。

「せいさん、小田原北条家四代目宗主の名前、知ってる?」

「北条の四代目か? 北条……氏康公か?」

「それは三代目。四代目は氏政公。天才的な父を持ったという責任感に結局耐えられなかった気の毒な人なんだけど……」

 それがどうしたんだ?という顔をして、征士郎は先を促す。

 日はまだ高く、焦らずともなんとか下りられるだろう所まで下りてきているので、征士郎ものんびりしていた。まあ、風魔には以前の貸しがあるから、山賊に襲われても助けてくれるだろうという考えもないわけではない。

「豊臣公の小田原征伐の際、切腹させられたのがね、その氏政公と弟の氏照公。当時の城主だった息子の氏直は山に幽閉されただけですんだんだ。さて、ここで問題。小田原征伐って、なんで起こったか知ってる?」

「全国諸大名が豊臣に降伏する中、一国だけ頑なに拒否し続けた、だな」

「すごい。せいさん、歴史勉強した?」

「いや、すぐ上の兄に叩き込まれた」

 一番上の兄は知っている相手だが、すでに家を出た次兄には志之助は会った事がない。次男が家を出て職についているというのだから、随分と有能な人物なのだろう。志之助自身にはまだ縁がないが、征士郎にとっては悪い仲の相手ではなさそうだ。

 会ってみたいな、と笑って言って、それから志之助はふと悲しそうな目をした。

「その氏政公ね。どうやら怨霊化してしまったらしいんだ。しかも、すっごく分別のある怨霊」

 なんだそれは、と征士郎は眉をひそめた。

 分別のある怨霊など、いるはずがない。怨霊になるということは、その怨みのみが強く残ってしまうことであり、そこに判断力など残るはずがない、それが常識なのだ。いかに常識を無視した志之助であっても、その常識は覆そうもない。

「誰かに操られているのか?」

「たぶんね。本当に正解かどうかは解決してみないとわからないけど」

「……で、それは一体どこからの依頼だ? まさか比叡山ではあるまい」

 以前にこの道を通った時ならば、比叡山の法力僧として、様々に依頼をこなさなければならなかったが、今は自由の身だ。征士郎は今のところ耳にしていない話題だったから、いつの間にそんな話を聞いていたのかと、眉を寄せる。

 そんな征士郎の、志之助の心情を気遣ってもいる問いかけに、志之助は肩をすくめて返した。

「風魔の若い衆に、頼まれたんだよ。さっき御茶屋で甘酒をいただいただろう? あの時さ」

 少し小用で征士郎が席をはずしたときに、見計らったようにやってきた若い忍び者が、志之助に解決を依頼していったのだという。

 それならばそれで、もっと早くに話してくれれば良いものを、と征士郎は少し臍を曲げたが、そもそも志之助は自分の中で解決しないと人に話さない性質だ。必要な推測が完了したのがつい先ほどなのだろう。

 なるほど、普段なら先に立って歩く志之助が後ろをついてきていたわけだ。

 今更のように納得する征士郎である。





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