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しばらく空中散歩を楽しんだ後、ついたのは山賊が隠れていそうな山の中だった。
ついたというよりも、あわてて隠れたという言葉が正しい。
そこにいたのは、山の斜面に木よりも高くそそり立つ、赤ら顔の巨人の姿だった。歩くたびにまわりの木々が騒めき、巨人の通った後に何本か木が倒れている。
ざんばらに刈られた髪、大きな体躯、しかもふんどし一つらしい。赤ら顔といっても、長崎は出島で見かけるような白人によくある血の赤さだ。モデルは白人か、もち肌自慢の北陸人か、どちらかだろう。
「どの辺が、身の丈十尺、だろうねえ」
「十間はありそうだな」
いやいや恐れ入った、と巨人を見上げた征士郎の感想。感心している場合ではないのだが、聞いていた以上の大きさにただただ呆れてしまったらしい。
志之助はというと、どうやってこれの相手をしようか思案中であった。
「天狗たちに任せるか、こないだ捕まえた蛟を使ってみるか」
「巨人は無視する、って手もあるぞ」
「ああ、それもいいねえ」
そういうわけにもいかないだろう。
志之助は天狗たちを呪符に戻すと、懐から別の呪符を取り出した。蛟と書かれた呪符である。
烏天狗の時と同じく、早口に呪文を唱えて空中に投げ打つ。出てきたのは、竜と蛇の合いの子、だった。手足のついた蛇である。全長にすると、巨人と同じくらいの大きさはある。
二人はその背に乗って、さらに巨人に近づいた。
巨人の足元に、三十人ほどのみすぼらしい格好をした一団がいる。それが山賊だろう。中に修験者っぽい男が含まれていた。
「行くよ、せいさん」
「おう。……って、飛び降りるのか」
「恐かったら、蛟にしがみついてたら?」
「冗談だろう」
うりゃ、と掛け声かけて、蛟の背を離れる。
征士郎は地面に叩きつけられる前に受け身をとって衝撃をやわらげ、すぐさま起き上がった。志之助は木の枝に手をかけて落下の勢いを止め、それから地面に下りる。
二人の降りた場所は、見事山賊集団のど真ん中だ。征士郎はすぐさま刀を鞘走らせた。志之助も愛用の短刀を懐から抜く。
「な、何もんだ、てめえらっ!」
お決まりの台詞を吐く彼らに、二人は余裕で顔を見合わせ、くすっと笑った。そうだなあ、と征士郎は少し考える素振りを見せる。
「正義の味方、というところか」
「仏の御使い、でしょ」
「かなり乱暴な、だな」
結論づけて、ぐるりとご丁寧にも円陣に囲んでくださった山賊たちを見回す。それから、志之助はにっこり笑った。
「どうしても麓の村を襲いたいなら、俺たちを倒していくことだね。蛟っ! 遠慮しないでやっちゃいなさいっ」
どーんっと、巨人が尻餅をついた衝撃が合図だった。わっという喚声とともに、山賊三十人が全員で襲ってくる。自らの刀を一振るいして、征士郎は志之助を振り返った。
「天狗たちに任せれば楽だったろうに」
「こんな楽しいこと、天狗たちに譲ってなるものか」
「まぁ、そうだろうな」
何となくわかっていた答えだけに、征士郎もただ呆れるだけだ。
志之助は、自らの言葉を証明するかのように、にこにことうれしそうに笑って、宙に飛び上がった。古武術の使い手であり、忍びの者と張り合う運動能力を持つ志之助だ。地面に足をつけているよりも、敵から敵に渡り歩く戦術を得意とする。
外円は志之助に任せて、征士郎は手近な敵から着実に葬っていくことにした。森の上空では、蛟対巨人の壮絶な戦いが繰り広げられている。何となく、絡み付いてくる生き物を追い払う人、のイメージだったが。
大乱闘が繰り広げられている中、征士郎は目の端に、この団体から少し離れて見ていた修験者風の男が逃げ出したのを見つけ、声を張り上げた。
「しのさんっ、逃がすな!」
「ここ任せるよっ。葵、橘、手伝っておやり」
以前から志之助にしたがっている式神たちが、志之助の声に導かれて飛び出してくる。二人の平安武者だ。片方は槍を、片方は剣を携えている。数は半分ほどに減った山賊たちを相手に、志之助の代わりを務めはじめた。
志之助は二人の活躍など目にも留めず、駆け出した修験者を追いかける。追いついて、飛びかかった。修験者もろとも地面に倒れる。
「あんたには何の恨みもないけどね、悪いけど、死んでもらうよ」
「や、やめ……っ! お前も仏に仕える身だろうっ!」
見逃してくれ、と懇願する男の首に、一瞬で死ねるよう、短刀を突き立てる。返り血で手が真っ赤に染まった。頬にはねた血を拭い、志之助はつらそうに息絶えた男を見下ろす。
「同じ仏に仕える身だから、許せないんだろう。修験者の掟を破ったら、死あるのみ、だよ」
背を向けた方から、征士郎が呼ぶ声がする。巨人が消えて、蛟も志之助の元へ降りてきた。志之助は、修験者から目をそらすように、そっと目を閉じた。
蛟が見つけてきた近くの滝で身を清め、志之助はほうと溜息をつく。征士郎は滝壷から少し離れた川へ入り、魚を追っている。今夜の食事はこの川の魚だ。
「人、殺したのって、はじめてなんだよねえ」
「俺に任せれば良かったろうに」
俺は何人か斬ってるから慣れているぞ、と征士郎が答える。
塞ぎ込んでしまった志之助を、元気づけるべきか放っておくべきか、判断をつけられずにいた。はじめて人を殺したときは、誰だって動揺するものなのだ。征士郎だってそうだった。だから、変になぐさめても意味がないと知っている。
「水が冷たくなってきたな。そろそろ初雪が降るか?」
「雪の山道は困るね。降りだす前に、江戸に戻ろうか」
ふっきれたわけではなかろうが、志之助はそう言って滝の下から出てきた。ついと泳ぐと長い髪が水面に広がる。
「奥の細道は日本海に抜けたけどさ、あれは夏の旅行記だし、冬の日本海は旅をする道じゃないよ。ここから米沢藩に抜けて、会津を通って戻ろう」
「ああ、そうだな」
任せるよ、と征士郎は顔をあげて答えた。さっきから、魚がおもしろいように捕まえられていく。今も一匹手につかんでいた。
「しのさん、火を起こしてくれ」
「あいよ」
式神の葵と橘を走らせて薪を集めさせ、火打ち石も使わずに火を起こすのは、志之助だからできること。着物を身にまといながら火を起こして、ふと思い出す。
「そういえば、立石寺の麓の玉こんにゃく。食べそこなった」
「……あ」
せっかく捕まえた魚を取り逃がして、征士郎は身体を起こし、志之助と目を合わせる。それから、悔しそうに眉を寄せ、ぷっと吹き出した。志之助もつられて笑いだす。やがて、二人の笑い声はどんどん大きくなり、獣たちの楽園である山の中にこだましていった。
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