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 空中では境内から人を追い払ったらしく、五十八匹の天狗が等間隔に並んで輪を描いている。結界が成った。

「はじめるよ」

「おう」

 まずは守護結界としての結びの線を切る。つまり、守護結界の一点としての力を隠してしまうことである。消してしまっては、後で付け直すときに志之助が困るのだ。だから、隠す。この隠し方がまた巧妙で、その場から密教の気がすっかり消えてなくなってしまった。

 志之助はただ、境内の真ん中に陣を張って座り、口の中で何事か唱えただけだ。長々と祈念していたわけではないのだから、結界点としての力が弱いのか、志之助が強すぎるだけなのか。

 気が完全に消えたことを確認して、志之助は胸の前で手を合わせる。背中合わせに座っている征士郎の体温を背中で感じながら、合わせた手をゆっくりと離し、荼吉尼天の印を結んだ。

 珍しく、両の手が離れた印で、右手を軽く握り、左手をその上にかざした形だ。口の中で早口に呪文を唱えるのは、もはや志之助の癖のようである。

 さすがに高位の霊や神仏を降ろすのには形式を外れることはできないらしい。相手が荼吉尼という鬼神なだけに、出来てもやらないだけなのかもしれないが。機嫌を損ねて身体を乗っ取られてしまっては、さすがに困る。

 突然、征士郎は背中に寒気を感じて、ぶるっと震えた。

 振り返ると、志之助は別の印を結んで本殿の上空を睨んでいる。征士郎は知らなかったが、それは大日如来の印だった。全てのものを救う、最高位の仏様の力だ。そこには、生者も死者も区別がない。大日如来はこの宇宙そのものといっても良い。

「出ておいで、平将門。わらわが相手じゃ。そなたの恨み辛み、わらわにぶつけてみるが良い」

 いつのまにか、荼吉尼天が降りていた。そもそも怨霊と神では格が違うのだろう。堂々と怨霊をにらみつけている。

 志之助からは話にしか聞いていなかった存在は、征士郎に不安を与えていたものだが。偉そうな中にも何やら優しさが見えて、征士郎は荼吉尼天に対する評価を改めることにした。さすがは神仏に属するだけある。慈悲の心をしっかり持ち合わせた女神様だ。

 荼吉尼天が降りたことを感じてほっとした征士郎は、ふとまわりの様子が変わっているのに気がついた。

 密教的な気が消えてしまったせいもあるだろう。だが、それだけではない。

 空が薄暗くなっている。まるで突然暗雲が立ちこめたような暗さだ。空を見ても雲はなく、ただ普通は青い空が暗灰色に濁っている。濁りはどんどん濃くなっていき、やがて月明かりのある夜といった、不自然な暗さになってしまった。太陽が丸く、まるで月のように見えている。見上げても眩しくない。

 空が暗くなると、今度は雲もないのに雷が鳴りはじめた。青白い稲妻が空中を走っている。ばしばしっと音がした。放電しているのだ。媒介もないのに。

 この不気味な現象に、征士郎は思わず志之助の背にしがみついてしまった。着物の緩みを握り締める。背中をひっぱられているのに気づいて、荼吉尼は一瞬征士郎を振り返ると、それが志之助の相棒であるという認識があるらしく、にっこりと微笑んでみせた。

「従いなさい、将門。そうすれば、志之助がそなたを縛り付けている力を緩めてくれよう。そなたがそう暴れようとするから、押さえ付けられるのだ。わからぬか」

 荼吉尼が見上げている空に目をやって、征士郎は驚いた。

 大きな大きな顔が、宙に浮いている。しわだらけの、中年の男の顔だ。怨霊なのだろう、憤怒の表情を浮かべている。平将門の霊である。

 よく観察してみれば、その表情は悲しげにさえ見えた。もしかしたら、今までこの地を守ってやっていたのに、なぜ押さえ付けられなければならないのか、という悲憤の表情なのかもしれない。

「もう押さえ付けたりはせぬ。わらわがそのようなことはさせぬ。だから、そなたも少し協力しておくれ。そなたが我を張るなら、志之助もまた、そなたを力で押さえ付けなければならぬ。そなたを助けにきたのじゃ。力を貸してやっても良かろう。のう、将門」

 あいかわらず、空中には電気が走り、太陽の光は遮られたままだ。が、荼吉尼はうっすらと微笑んでいた。

「そなた、江戸の守護神になっておくれ。ならば良かろう? どうせなら、自分を利用しようとしたものを逆に利用してやれば良い。そうは思わぬか、将門。そなたになら出来よう?」

 江戸の守護神? 征士郎は荼吉尼の言葉に驚いてしまった。

 神格化されてはいるが、将門の霊はこの通り怨霊なのだ。守護神になどなるはずがないではないか。いくら何でも、それは無理な相談だ。

 だが、荼吉尼はいい提案だ、というように上機嫌で将門の反応を待っている。

 しばらく征士郎も将門の反応を待っていたが、やがて空が晴れていったのにまたびっくりしてしまった。荼吉尼の提案を受け入れたということだ。空にくっきりと浮かんでいた将門の顔が消えていく。

 放電がなくなり、空に青さが戻ってきた。太陽がまた、その光を取り戻す。

「征士郎。志之助に伝えておくれ。将門に結界の全てを任せるようにと」

「全てって……将門公は怨霊だろう? いいのか?」

「わらわも元は悪神と名高かったものじゃ。ゆえに、将門の気持ちもわかる。だからこそ、志之助もわらわを呼んだのだろう? 無理に押さえ付けず、大事な役目を任せてやるのも、あの手の怨霊を大人しくさせるには良い方法よ。志之助の判断も、そういうことなのだろう。そう言ってやりなさい。わらわが志之助を誉めることなどめったにないのだからな」

 照れ臭そうにそう言って、荼吉尼は目を閉じる。すうっと荼吉尼の気配が消えていき、同時に志之助の顔にあらわれていた狐目が元に戻っていった。

 完全に消えてしまって、無意識なのか、荼吉尼がそう仕向けたのか、体を起こしている力が抜けた志之助の身体は、征士郎に身を預けるように倒れてきた。





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