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 征士郎は、神田明神本殿の前に立って、溜息をついた。

 異様な空気に当てられてしまった、わけではない。先ほどちらりと寄ってきた、兄夫婦のことである。

 弟思いの兄、甲斐甲斐しく世話をしてくれる義姉と久しぶりに会った事で、どこかほっとしてしまったのと同時に、やはりこの平和な空間は息苦しいのだ。

 いつまでものんびりしたいとも思うし、だからといって兄夫婦のお邪魔虫にはなりたくないし、ずっと暇をもてあましていると騒動に巻き込まれてみたくもなる。何もない生活が耐えられないのもその通りだが、どうも志之助との旅に味をしめてしまったようだ。

 だが、志之助は自分と違い、使命を帯びての旅だった。また一緒に旅に出ることは、できそうもない。志之助が誘ってくれるなら、二つ返事でついていくのだが。

「しのさんとの共同生活というのも、悪い話ではないな。いや、しかし。僧侶と武士が共同生活などできるはずがないか」

 はあ。また溜息が出る。今度は、自分のこの先の身の振り方について。

 悶々と無駄に考え事をめぐらせているうちに、志之助はやってきた。境内の片隅でしゃがみこんで悩んでいる征士郎を見つけて、思わず笑みをこぼす。

「せいさん。若いうちからそんなに悩んでると、さっさと禿げてしまうよ?」

「ああ、しのさん。援軍は……無理だったようだな」

「修業僧の世迷言に誰がついていくものか、だって」

 長々としゃべった言葉を勝手に要約して、志之助は皮肉も込めてそう言った。だろうな、と征士郎は落胆するでもなく答える。もともと期待していなかったのだし、想像どおりというところだ。

「始めようか」

「まわりに、被害が出るのだろう?」

「天狗たちに守らせるよ。神の使いだもの、結界くらい張れる」

 懐から短冊を取り出す。密教で使う仏具ではない。陰陽師であるという告白も、それを見ると信じられた。

 烏天狗を式神のように扱ってしまっているのだろう。考えようによっては恐ろしいことだ。いや、恐ろしいことだけに、志之助が天狗を使役するのに使う法力もただ事ではない。

 だからこそ、出来ることなら東叡山に協力してほしかったのだ。天狗を使わなくてもすむように。

 古代日本語らしい言葉を呟いて、志之助はその札を宙に投げ打った。と、短冊がひとりでに燃え上がり、その火の粉から箱根山にいた烏天狗たちが飛びだしてくる。

 鳥のようなくちばし、黒い翼、修験者らしいその格好。総勢五十八匹。江戸の空を覆い尽くすように、天狗たちは二人の上空を飛び回る。

「お前たち、この境内にいる人間たちを追い出して、まわりに結界を張って」

 志之助の命令に、天狗たちは四方に飛び立っていく。箱根忍軍でも手をこまねいていた天狗たちを、それも一度にこの量を、見事使役してしまっている志之助に、頭が下がるばかりだ。

「俺はどうしたら良い?」

「そばにいて。自分から荼吉尼天を呼びだすのは、初めてなんだ。心細いから」

 最後の一言に、征士郎はびっくりしてしまった。初めてだった。志之助が征士郎の前で心細いなどと言ったのは。

 川崎から江戸に入るまでの道中、志之助は征士郎に、荼吉尼天に手伝ってもらうのだとこの件の解決方法を語っていた。

 そもそも、志之助の巫体質を気付かせた原点が、その鬼神の存在であったのだ。荼吉尼天と呼ばれる印度の鬼神。狐を眷族とし、人の死期を読み、その肝を食らうといわれる。

 幼い頃から勝手に志之助の身体に降りては、良きにつけ悪しきにつけ、何かしらの影響を及ぼして去っていく、幼い頃は迷惑としか思っていなかった存在だった。これに対抗するために、志之助は無節操に自らの能力を開発してきたのだ。

 しかし、志之助に降りた弘法大師の言葉から、志之助が狐の血を引く存在であるとわかると、それはどうやら、自らの眷属と同属である志之助の巫体質を守るために降りてくれていたのだとわかる。そんな相手ならば、きっと守護神として信用しても良いのだろう。

 もちろん、相手は鬼神だ。多少は、身体を乗っ取られてしまうのではないかという、恐怖心もある。が、志之助の精神と法力を補助してくれる存在が、ここにいるのだ。自らの手には負えない、将門という怨霊を相手にするのであれば、その力を借りてみようという発想は自然なものだろう。

 荼吉尼天が鬼神であるというのなら、将門とも気が合うのではないかと志之助は笑って言ったものだ。それに、荼吉尼天ならば呼ばなくても降りてきてしまうほど志之助の身体とは相性がいい。そこに賭けようというのである。





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