3




 やっと立ち直った征士郎から弘法大師の話した言葉を聞いて、志之助は申し訳なさそうに頭を下げた。

「何か、申し訳ないこと頼んじゃったみたいだね。ごめんなさい」

「それはかまわん。しのさんが狐だろうと何だろうとどうでもいいのと、そう変わりはしない。それより、神田明神というのは、平将門のことか? 江戸の結界とは、何のことだ?」

 さっぱりわけがわからん、と征士郎は腕を組む。

 霊を降ろすことはかなりの体力を消耗するらしく、志之助はさっきの場所に座ったまま征士郎を見上げた。

 境内にまばらにいる人々は、ここに今さっきまで弘法大師が降りてきていたとも知らずに、思い思いに参拝している。

 実はね、と前置きをして、志之助は江戸に幕府ができた頃の話をし始めた。

 ちょうど大阪の役も決着がつき、政治体制も安定してきた頃。徳川将軍家康、秀忠、家光三代にわたって仕えた比叡山出身の密教僧、天海の指示のもと、江戸を中心とする日本の国を守るための鎮護結界として造られたのが、江戸結界といわれるものだった。

 江戸城を現在の場所に据えたことがまず、結界を作り出す第一段階である。次に、その結界を固めるため、鬼門の方角、つまり北東に寺院を建てる。これが、現在東の比叡山と言われている上野寛永寺である。そして、さらに結界を強化するため、要所要所に結界点を置き、二重三重の結界を張ったのだ。

 神田明神も、その結界点の一つになっていた。

「でもね。神田明神は当然天台宗の寺じゃないでしょ?まず、仏寺ですらない。だから、無理矢理結界点として抑えこんじゃったところがあるわけ。そこの御祭神である将門様は、あの通り気性の激しい人だからね。力で押さえ付けられることを良しとするわけもない」

「暴れだそうとしているってことか?」

「そうだろうね。でも、さすがに江戸の真ん中で暴れられるのは困る。そこで、お大師様が見るに見かねて力を貸した、というわけだと思うよ」

「だがな、しのさん。それと、ここが結界で囲まれているのと、どう関係があるんだ?」

「この結界は、増力結界。つまり、ここを中心にして、円を描いた範囲を霊力的に強くしているものなんだ。点の霊力が強ければ、それだけ円の広さも大きくなる。ここだけでも江戸の半分は覆ってるんじゃないかな。たぶん、成田山と高尾山でも同じ事が起こってると思う。三点の影響範囲をあわせれば、さらに関東全域を覆うことができる。この三点がすべて、真言宗とはいえ密教寺院だから、同じく密教である天台宗の力は増幅してくれるし、将門の力にはほとんど影響なくて、こうやって布陣しているおかげで将門は力が発揮できない、というからくりなんだ。天海和尚は、知ってか知らずか、敵対している側の寺院まで自らの守護結界布陣に利用してしまっていたんだね」

 なかなか強かな人だったようだ。

 それはしかし、当然といえば当然かもしれない。

 戦国時代が終わってまもなくの頃の話だ。織田信長に比叡山を焼き討ちされて、そう月日が経っていない時期である。

 おそらく、その時天海も比叡山にいただろうし、そんな経験をしてなおかつ生き残っていれば、人間、強かにもなろうというものだ。

 ふむ、なるほど。志之助の話を聞いて征士郎は納得したらしく、大きく頷く。それから、急に組んでいた腕を解いて、志之助の目の高さにしゃがんだ。

「弘法大師は、神田明神をなんとかしろと言っていたが、なんとかできるのか?」

「江戸に行ってみないことには何とも言えないな。ただ、せいさんに手伝ってもらえないとなると、たぶん俺一人じゃ、良くて共倒れだろうけど」

「……なぁ、しのさん。何故お前さんは俺を信用しようとせんのだ? ここまで関わって、いまさら後は勝手にしろと言うとでも思うのか?」

「だって、命の保障、できないし」

「いらん、そんなもの」

 ふん、と自らの命を笑い飛ばして、征士郎はまたまた急に立ち上がる。何か決心したような目をしている。表情もいつになくきりりと引き締まった。

「しのさん。寛永寺の僧に助力を頼めないのか?」

「やってみるけど、かえって足手纏いかも」

「役に立つものだけ、選んで連れてこい。足手纏いは俺よりたちが悪い」

「それはいいけど、せいさんは?」

「一度兄の家に顔を出さねばならん。なに、すぐ近くだ。なにせ、神田だからな」

 言って、それからふと大事なことに気づく。

「そういや、しのさん。身体は?」

「お大師様が、治してくれたみたい。嘘みたいに軽くなってる」

「そりゃあ、よかった」

 心底ほっとした顔つきに、志之助はにっこりと微笑んでみせる。立ち上がり、尻についた砂を払い落とした。

「行こう、せいさん」

「おう、行こう」

 一度も本尊に手を合わせることなくそこを立ち去っていく二人を、門に一番近い飴屋の女将が怪訝な顔つきで見送っていた。

 傍目にはかなり怪しい二人組である。誰が見ても、これから国を救いにいくとは、とても想像できない二人なのだった。





[ 143/253 ]

[*prev] [next#]

[mokuji]

[しおりを挟む]


戻る



Copyright(C) 2004-2017 KYMDREAM All Rights Reserved
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -