2




 川崎大師。真言宗智山派に位置し、大本山金剛山金乗院平間寺との正式名称があるが、たいていは川崎大師で通っている。成田山新勝寺、高尾山薬王院と並び、関東三山として名を知られている寺である。真言宗開祖、弘法大師が祀られている。

 というようなことをさも当然のようにすらすらと諳んじる志之助の隣を歩いて、征士郎は呆れたような目を向けた。

「しのさん、たびたび確認するようで悪いのだが、天台僧ではなかったか?」

「この程度、真言宗の僧侶でなくたって、誰でも知ってるよ。仏様にお仕えする身ならなおさら」

 言ってから、征士郎のからかうような顔に気づいて、肩をすくめる。

「こないだ話したじゃない。天台僧ではあるけど、陰陽道とか真言密教の力の方が長けてるんだって」

 何度言わせるのさ、と志之助が笑った。

 表参道は名物の飴を切る音が響き、活気にあふれていた。この二人のまわりだけなんだか空気が異質なのだが、彼らは気にしていないらしい。

 絶対おかしい、と征士郎は志之助に若干不審の目を向けている。

「何故そのようなことができるのだ。いくら唐国から渡ってきた仏教だからと言って、対立しているのだろう? 高野山の真言宗と比叡山の天台宗は」

「せいさんって、結構いろんなこと知ってるよね。普通の浪人者じゃないよ、その知識量」

「人のことで誤魔化すな。この間、しのさんが自分で俺に教えたのだろう?」

 怒られて、志之助がくすくすと笑う。

 もしかしたら、まだまだ隠している秘密があるのかもしれない、そんな笑い方で、征士郎は少し不機嫌になる。秘密があるということは、まだ志之助は征士郎のことを信用していないとも取れるのだ。

 まあ、征士郎の反応がわかっていてからかった志之助も志之助だろうが。

「ともかく、川崎大師に弘法様が祀られているのは、天台宗でも常識なんだよ。でね、少し考えてみたんだけど、もしかしたら御大師様の周りに何か、特別なものをさえぎる力のある地場ができてるんじゃないかと思うんだ。たとえば、結界とかね。その区切り線より先に入ることができないというなら、そういうことを肌で感じられる人というものは限られてくるからね。せいさんや俺だけが入れないというのもおかしな話じゃないわけさ」

「俺は鈍感だぞ。それはしのさんがよく知っているではないか」

「視力がないだけだよ、せいさんは。その証拠に、せいさんずっと俺のことを助けてきてくれただろう?」

 答えて、にっこりと笑う。なるほど、志之助がやたらと征士郎にくっついて自分の法力を高めていたのはそういうわけらしい。見えないだけで、本当は志之助の言うように潜在能力はあるのだろう。

「せいさん、手を貸して。中に入ろう」

 うむ、と答えた征士郎は、何の違和感もなく志之助の手を取った。男同士で手をつないでいるとまわりからは少々不気味に見えるかもしれないが、気にしていない。


 門の敷居をまたいだとき、征士郎は体中に静電気のようなパチパチとした感覚を感じて、ぶるっと震えた。横を見ると、志之助もふるふると頭を振っている。長い髪がそれに合わせて揺れた。

 横顔で見る志之助は、何やら真剣な表情だ。

「せいさん、頼みがあるんだけど」

「……何だ、改まって」

「側にいて俺の話すことを全部覚えてくれる?」

「それはかまわないが、何をするのだ?」

「御大師様を降ろす」

「ああ、なるほど。……何?」

「……せいさんって、ほんと反応がおもしろい」

 くすくすと楽しそうに笑って、志之助は境内の片隅にある岩の上に座った。何が何だか、という顔の征士郎がそのすぐ側に立っている。

 降ろす、つまり降霊を行なうということである。箱根の竜神を降ろしたように、巫の力を持つ志之助だからこそ、こうして軽く言ってのけるが、実際はかなり難しい業だ。降霊といえば有名なのは恐山の巫女たちだろうが、比叡山にはもともと降霊の術はない。独自に学んで習得した者も、山全体で数人しかいないというものなのだ。

「降ろすのはいいんだけど、俺自身は何がどうなったのかまったくわからないんだ。俺はただの依憑だからね。感覚は降りてきた霊と共有できるから、感覚的には色々悟ることもあるんだけど、声は聞こえないし、姿も見られないから。この地場なら、別の霊が降りてくる心配だけはないしね」

 だから、征士郎に側にいてもらって、できることなら何が起こっているのか聞きだしてほしいということだった。そういうことなら、と征士郎は当然のように頷いた。

「はじめるよ」

 座禅を組んで、そっと目を閉じる。征士郎はじっとただ座っている相棒を見つめた。

 志之助は、おそらく精神体となって弘法大師の霊を探しているのだろう。いつになく、まったくの無防備である。

 やがて、志之助の身体に意識が戻ってきた。

 それが、なんと普段よりも威圧感のある雰囲気をまとっている。

 志之助もそれなりに気圧されるようなところがあるのだが、これは桁違いだ。弘法大師。さすが、唐国まで行って見事そこの仏教を会得し帰国した男だけのことはある。その存在感にはただただ圧倒される。

「わしを呼んだのはそなたか?」

 閉じていた目を開けて、弘法大師は征士郎を見上げた。征士郎は軽く首を横に振る。

「志之助だ。その身体の持ち主。俺は、あなたから話を聞いてくれと頼まれただけだ」

「ほう。この身体か。体調は良くないようだな。だが、驚くべき法力の持ち主よ。このようなものが、人として存在しているとは、この世も恐ろしいものだ。して、何の用じゃ?」

 声は志之助のもの。身体も志之助のもの。だが、中にいる意識は志之助ではない。目のあたりにするたびに、征士郎は志之助の特異な身体に同情してしまう。自ら望んだ能力ではないと知っているだけに、気の毒でならない。

「この場所が、何故このようなことになっているのか、ということだ。あなたが仕組んでいることか?」

「このような? おお、この結界のことか。このあたり一帯を守ってやるには、これだけの結界が必要だったということだよ。普通の人間には何の害もないはずだが、どうかしたか?」

「入れないのだ。何かに拒まれる」

「ん?そうか? ……おお、そなた。その身体では入れまいな。自分で知らぬのか? その身体に、妖物の血が流れておる。それは、おそらく人魚じゃな。怪異を起こすものではない、安心いたせ。この者の側にいれば、何の問題もなかろうて」

 それからふと黙り込んで、やがて、ほう、と感心の声を上げる。

「この者も、妖物の血を流しておるではないか。狐じゃ。しかも、古九尾狐の子だな。道理で人間離れておる。おもしろい連れを持ったの、そなた。九尾狐は人の守護獣。大事にすることだ」

 そなたも人ではないがの。そう言って笑った弘法大師を、征士郎は呆然とした目で見つめた。

 自分が、人魚の血を引いているなど、どうして信じられようか。志之助が狐だということにはさして驚かないが、自分が人間ではないということには、かなりショックを受けた。人間離れしたところがないだけに、まったく寝耳に水だ。

 そんな征士郎にはお構いなく、弘法大師は勝手に話を進める。

「そなた、この者に伝えてくれような。神田明神、あれが落ち着けばこの地場も少しは緩められよう。江戸結界を作り出したのは最澄の一門の者。同じ一門に属するおぬしが、荒らぶる霊を鎮めよ、と」

 頼んだぞ、と言い残し、圧倒的な存在感は一瞬でどこかへ去っていった。

 意識の抜けた志之助の身体が、こてん、と横に倒れる。自分のショックが抜けきれない征士郎は、その身体を支えてやることもできずに立ち尽くしていた。





[ 142/253 ]

[*prev] [next#]

[mokuji]

[しおりを挟む]


戻る



Copyright(C) 2004-2017 KYMDREAM All Rights Reserved
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -