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時は鎌倉幕府末期にまでさかのぼる。時の将軍は名ばかりのお飾り物で、実質世の中の施政をとっていたのは執権職である北条家一門であった。
元弘三年、相次ぐ元寇に諸将の不満が頂点に達し、朝廷の号令のもと、倒幕の軍勢が鎌倉に押し寄せた。当時の執権は北条高時。天然の城塞とうたわれた鎌倉の山々の内側にまで攻め込まれ、もはやこれまでと覚悟を決めた北条高時は、一族郎等を率いて東勝寺に立てこもり、寺に火をつけ自害した。
その高時の霊を慰めるために後醍醐天皇が建てさせたという寺が、この宝戒寺なのである。この場所は、北条氏の屋敷が建っていた跡地であるということだった。
高時の霊を慰めるため、という役柄上、東勝寺跡の管理も宝戒寺が行なっている。和尚が異変に気づいたのは二年前のことだった。
月に三回ほど、定期的に寺の子坊主のうちの誰かが東勝寺跡の石塔の世話をしに行くことは、ここ二百年ほど続いている決まりごとである。
その日は、小坊主の中でも年長の洞珍という小坊主が当番にあたっていた。その洞珍が、仕事をしに寺を出て少しもしないうちに、血相を変えて戻ってきたのである。
何事かと問うても、洞珍は「ろくろ首が出た」と繰り返すだけで要領を得ない。仕方なく和尚が東勝寺跡にいってみたが、何事もなかったという。
しかし、その後も仕事に出掛けた子坊主たちは毎回逃げ帰ってきて、和尚は困り果てて比叡山に応援を頼んだ、ということだった。
ろくろ首。
そう呟いたまま、志之助は目を閉じてじっとしていた。征士郎はいつのまにか、傍らに置いた愛刀の鞘を握り締めている。
「そう言いはしても、実際私が見たわけではありませんからな。本当にろくろ首がいるのか、小坊主たちのついた嘘なのか、はっきりはしなかったのですよ。しかし、嘘にしては東勝寺跡周辺の気が乱れているので、疑う余地はあるだろうと思いましてな。ここ一年は、誰もあの場所に近づこうとしません」
話を聞いて、征士郎は柄にもなく逃げ腰になってしまっている自分を感じた。志之助はというと、僧正に持たされた文を握り締めたまま、ぴくりとも動かない。
「志之助殿。どうされますか?」
和尚にそう声をかけられて、志之助はようやく大きな溜息を一つついた。
「つまり、僧正様は俺に、先祖の霊は子孫が慰めるように、と言いたいわけだね」
は? 征士郎と和尚が揃って首を傾げる。志之助は文を見やって、呆れた顔をした。びりっという音に和尚と征士郎がその音の発生元に目を向ける。志之助が、僧正の文を破っていた。
「ったく、人を何だと思ってるんだろうね、あの人は。弟を少しは見習えってんだ」
すっと立ち上がった志之助に、征士郎は今までに見たこともない気迫を感じて、身体が震えたのを自覚していた。
東勝寺跡といわれるその場所は、かなり不気味なところだった。
森を抜けた先にある切り立った岩山にぽっかりと空いた洞窟。高時が自害した場所という、腹切りやぐらの前に立って、志之助は征士郎の前では一度も使ったことのない数珠を懐から取り出す。
「出てらっしゃい、ろくろ首さん」
ここまで来る途中、志之助はずっと黙ったまま、和尚の後をしっかりとした足取りで歩いていた。寺を出る前に志之助が征士郎にささやいたのが、おそらく最後だ。それは、ろくろ首の胴体を斬れ、というもので、いつもの軽口はどこからも出てこない。
和尚は志之助の格式も何もあったものではない言葉に驚いて志之助を見つめている。征士郎はもう慣れたもので、腰の刀に手をかけて臨戦態勢に入っていた。が、ろくろ首の正体が何かわからないままでは、まともな戦力になれるかどうかかなり疑問ではある。
相変わらず、志之助は口の中で何かブツブツと唱えている。
「俺が笑ってるうちに出てこないと、引きずり出すよっ」
ああ、やっぱり怒ってるんだ。
志之助が突然声を荒げたことで、征士郎はしみじみとそう感じていた。極度に落胆してしまっているか、怒っているか、そのどちらかだろうとは想像していたのだが、どうやら後者だったらしい。
八つ当りされているろくろ首に、少し同情してしまった征士郎である。何しろ、あやかしをねちねちいたぶるのが志之助の趣味だったりするのだ。
「出てこいって言ってるのがわからないのかよ、この大馬鹿先祖ども!」
癇癪を起こしたように手を振って、持っていた数珠がジャラリと音をたてる。
パンッと空気が割れたような不思議な音がして、洞窟の中から頭蓋骨が二、三個転がり出てくる。
次いで、洞窟の入り口あたりにある卒塔婆のそばの砂利を踏む音が聞こえてきた。下駄では絶対に出ない音だ。裸足か、草履だろう。そのあたりは、ちょうど洞窟の影になっていて、姿を見ることができない。
「姿を、見せてもらえないの?」
『ぬしはわしの子孫か?』
問い掛けてきたその声が、頭に直接聞こえてくる声で、征士郎はそれが霊の声なのだとわかった。話から察すると、どうやら北条高時のようである。
影から出てきたその姿に、征士郎は悲鳴をあげかけてあわてて口をつぐんだ。和尚はとうに悲鳴も出せずに卒倒している。
その姿は、かなり残酷なものだった。身体は刀傷を受けたらしくあちこち切り裂かれ血塗れになっている。首は、小脇に抱えられていた。首と胴体が完全に離れてしまっている。そして、その首がまるで生きているかのように口を動かしているのだ。不気味なことこの上ない。
どうやら、この胴と頭が離れてしまっている状態から、ろくろ首といわれたらしい。
「さあ、自信はないけど。話ではそうらしいね」
『ほう、おもしろいことを言う。そうか、そなた松姫の子孫じゃな』
志之助は、相手の姿にまったく驚いていないらしく、平然と高時の霊と話をしている。高時の方も、未練を残して死んだ怨霊とはとても思えない、気さくなことを言う霊だ。
「それにしても、ひどい格好。そのまま何百年もいたんじゃ、苦しいでしょう?」
『いや、つい最近何者かに叩き起こされたばかりじゃからな。そう苦しくもない。この姿は、わしの罪に対する当然の罰じゃろう』
つかに手をかけ今にも刀を抜こうとしていた征士郎は、高時の言葉に驚いて手を引いた。高時自身が望んでその姿になっているわけでもなければ、自分で望んでこの世に残っているわけでもない。高時の言葉を解釈すると、そういうことになるのである。
どういうことだかわからず、しかし志之助に説明を求めている場合でもないので、征士郎は困って立ち尽くしてしまった。
志之助の怒りはどうやら少しおさまったらしい。表情が優しくなっている。利用されている気の毒な霊には志之助は物凄く優しいのである。
「浄化は望まれていないんですか?」
『成仏させてもらえるかね? どうやら見たところ、僧侶のようじゃ』
はい、と頷いて、志之助は征士郎を振り返り軽く首を横に振ると、数珠を握り締め手を合わせた。征士郎も、刀から完全に手を離して、手を合わせ、目を閉じた。高時の表情は、非常に穏やかだった。
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