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 聞くところによれば、天狗がこの箱根にやってきたのはちょうど一月前の事だったらしい。

 この箱根には、もともと天狗は棲んでいない。何しろ天狗というのは神の使いである。竜神の棲む湖のそばに、天狗がやってくること自体が不自然だった。

 それでもまだ、そこに棲みついただけなら問題はなかったのだ。

 問題は、その天狗があまりにもいたずらを働きすぎるというところにあった。

 人々を脅かして金品を巻き上げ、宿泊客を追いだし、山賊と一緒になって追剥ぎの真似事をする。しかし、箱根山に天狗が棲むとは、普通の人間たちは知る由もない。自然とその疑いは風魔忍軍に向いた。忍者の行動が天狗のそれと酷似していたためだった。

 そんな濡れ衣を着せられてはかなわない。風魔の忍びたちは、なんとか天狗を追い出せないものかと八方手を尽くしたのだが、結局脅すどころか掠り傷ひとつつけることは出来なかったのである。

 神がかったものならば、もしかしたら神がかったものがなんとかできるかもしれない。

 そう考えた風魔忍軍の長老たちは、さっそく日本仏教界の総本山である比叡山に応援を要請したということだった。

 なんとかなりませぬか、と長老たちに訴えるような目を向けられて、志之助は平然とその仕事を請け負った。

「ただし、条件があります」

「なんでござるか?」

「天狗を追い払った後、くれぐれも風魔の皆さんは追剥ぎの真似事などなさらぬ事。それから、もし出来るならば私と連れの宿泊場所を提供していただきたい」

 もちろんとばかりに頷いて、長老たちは二人をかなり格の高い旅館へと案内した。

「これは我ら風魔一族が経営している宿。ここでごゆるりとお過ごしください」

 忍者が宿屋をして働くとは、どうにも因果な世の中になったものである。征士郎は嫌味半分感心半分で唸っていた。それを横目で見て志之助はいつものように笑っていた。




 すべては明日人のいない昼間に話すことにして、二人はようやく床についた。

 すでに空は白んできている。起きたらきっと日は頂点より傾いてしまっているだろう。征士郎はまたも盛大に溜息をついて、布団を頭までかぶった。

 しばらくして、ふと志之助が連れの名を呼んだ。うとうとと眠りの綱を手繰っていた征士郎が、不機嫌そうに唸る。くすっと志之助が笑ったのが聞こえた。

「今回ばかりは、本気で頼むよ。せいさんの手を借りたい」

「何かを斬れというのだな?」

「俺の身体を、ばっさりとね」

 ふーんと返しかけて、耳を疑った。今何といった?

「お、おい、しのさん!」

「大丈夫、死にゃしない。ただ、せいさんほどの太刀筋を持った人でないと無理、ということをしなけりゃあいけないから。躊躇しないでばっさりやってほしい。戸惑うと逆に助からないからね」

 珍しく、切羽詰まった口調で志之助は言葉を次々と紡いでいく。その口調で、今回ばかりはと言った理由がわかった。

 いつも勝手に人を利用する志之助が、征士郎の意志を尋ねたということなのである。

 征士郎はその口調にいつものような強引さが欠けていることに気づいて首を傾げた。

 こんなことこそ、いつものような強引さで攻めなければならないのではないだろうか。斬り付ける相手本人にこんなことを頼まれて、了承する者などそうはいない。

「お前さん、いつもと比べてやけに弱気だな」

「そりゃ、恐いからさ。下手したら死んじゃうもの。さすがにこれは俺も自信がない。何しろ、やろうとしてるのって比叡山の禁呪だからね」

 何、と聞き返して、征士郎は目を見張った。

 禁呪が扱えるほどの能力者だったということにも驚くが、そんなものを使うほどの事態ということも逆に言えたのだ。

 禁呪ということは、そうあっさりと使えるものではなく、したがって練習などもしていないはず。一か八かの大勝負だ。ここまで志之助があっさりしていることに、妙な不安を覚えてしまう。

「しのさん、命は惜しくないのか?」

「惜しい。だから、手伝ってもらえませんか?」

 いきなり敬語を使われて、征士郎はその志之助の覚悟を悟らされてしまう。嫌だというなら志之助はあきらめるのだろう。だが、嫌だと言ってほしくないらしい事もその言葉から読み取れる。

「先ほどの話から察するに、比叡山に箱根から話を持っていったのは、多く見ても一月前だろう? しのさんは確か西園寺にいたな。何故比叡からの使者と?」

「伝令が来たのは、つい二日前。箱根より先に行っていたとしても引き返せとの事だったから、よほどのことなのだろうと思った。箱根を歩くのに夜中を選んだのは、箱根の山賊は夜には絶対に出ないから。誰も通らないからね。相手がいなければ追剥ぎは出来ないだろう?」

 二日前。

 ちょい、と首を捻ってみる。確か二日前は千本松でのんびり観光などをしていたはずだ。

 志之助と旅を始めてから、ほとんど日常茶飯事のように何かしらのあやかしに道を阻まれての道行きであったから、当然のように、あやかし騒動に巻き込まれての観光だったが。

 その時だろうか。まったく気付かなかった。

 この志之助、軽く気配を断ってくれるうえに何事もなかったようにいつのまにか隣にいるのだから困ったものである。おかげでいつふらりといなくなったのかまったくわからないのだ。





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