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林の周囲を一周回って、時折立ち止まり足元から紙切れを回収して、元の位置でもう一度林を見上げる。
手に集まったのは、八枚の短冊状の紙切れだ。何かみみずののたくったような字の書かれている。比較的新しいものであるらしく、土を被っていたものの、さして汚れた様子もなく、張りも残っている。
今度は何をするのか、と見守っている征士郎にニヤリと人の悪い笑みを見せ、志之助は八枚の紙を広げて宙に掲げた。
「秘技、呪術返し!」
何か術をかけるのかと身構えれば、こんな言葉である。征士郎が脱力するのも無理のない話しだ。
まぁ、こんな言葉を選んだのは、征士郎をからかうためだったのだろうけれど。先ほどのニヤリは、おそらくそれだ。
それでも、不思議なもので志之助の術は完璧なのである。その証拠に、今まで森の中に淀んでいた空気が征士郎にも感じ取れるほど勢い良く上空へ離れていったのだ。同時に、志之助の持っていた紙も燃えてしまう。
見てご覧、というように志之助が指差した先に、黒く濁った空気が見えた。風に飛ばされるように早く、それは山を越えて東の空へ飛んでいく。
「……どうなっているのだ?」
疑問をそのまま志之助に投げかける。それを受けて、一仕事終えて力を抜いた志之助は、比較的真剣な面持ちで説明を返してきた。
「呪術というのはね、返されると術者そのものに返っていくんだ。つまり、呪術をかけるのも命懸けなわけ。まあ、天下の徳川将軍家を狙ったんだから、それなりの覚悟はできてたんだろうけどね」
もう不死人も出ない、と志之助は勝手に太鼓判を押す。その返った呪術が先ほどの黒く濁った塊だとすれば、確かにその通りだろう。そもそも不可思議な力など体感できない征士郎には、否定の言葉も見つからない。
その代わり、疑問を解消するべく、さらなる質問を投げかけた。
「三つほど、聞いて良いか?」
「一つずつね」
「ならば、一つ目だ。不死人とは、何なのだ?」
「死なない人。もう死んじゃってるのに動いている死体。時を止められてしまって浄化できなくなってしまった死者の魂。あとは、復活した霊、とか。せいさんの足をつかまえてた、あれがそう。日の光を嫌うから、昼間は全身は見られないよ」
つまり、死んだ肉体のことらしい。死んでしまえば身体は腐るだけなのだが、時間を止められてしまったことにより身体は腐らずに動き続ける、しかもすでに死んでいるため、もう殺しても死ぬことはないということだった。志之助の曰く「死にぞこない」というものである。
「将軍家を狙った、というのは?」
「登呂の村じゃなくて、駿府城の方へ向かっていったろう? 術によって方向も定められていたんだ。不死人には考える能力がないからね、与えられた方向にひたすら歩き続ける。その方向が駿府城ってわけだ。駿府城はその昔徳川初代将軍家康公がお住まいになっていたところだろう?」
「それなら別に、ここでなくても良かったのではないか?」
「土地的にちょうど便利なところだったんだ。大昔の集落の跡地でね。昔から色々な念がたまっている場所。たまりすぎて、他には何にも使えなくなってしまった場所。呪いには最適の場所。呪術にしか使えない霊地場」
わかる?と志之助は首を傾げる。
「突き詰めると、俺みたいに節操なしになるよ。仏は一人じゃない。神も一人じゃない。でも、仏も神もたくさんの名前を持っている。それこそ、土地によって宗派によってかわってくるから物凄い量。どの名前も一人を指している、ということも珍しくない。南蛮渡来の禁教基督教の唯一神も、実は仏と同じかも、ってものなんだ。……って宗教論すると、果てしなくなっちゃうけどね。霊的な事は何だって一緒だと思えば間違いないよ」
くすくすと志之助は笑って、次の質問は?と促した。征士郎は絶句したまま声も出ないでいる。
「一度に考えたら、常識が先に立ってつっかえるよ。そういう考え方もあるんだ、ってことで聞き流した方がいい」
「……お前は、過激だな」
「よく言われる」
先程から声を出さない笑い方でずっと笑っている志之助は、ふと空を見上げた。
それから、今までの飛躍論理からさらに飛躍したことを呟いた。
「俺って、ホントは人間じゃないのかもね」
「狐でも蛇でも仏でも神でも、俺はもう驚かないぞ」
「それはどうも、ありがとう」
脱力感に見舞われながら、征士郎は突然歩きだした志之助を追い掛けた。だから、志之助がとても嬉しそうに表情を綻ばせたのを、残念ながら征士郎は見ていなかった。見せないように、突然歩きだしたのだが。
不満そうに征士郎の声が追い掛けてくる。
「昔の集落だからといって、何故呪術以外に使えなくなるのだ? 元は人の住まっていた場所なのだろう」
「だから、だよ。大和朝廷のよりも大昔の、政治を呪術で行なってた頃の集落だからね。この土地に、呪術の力が固まって残っちゃってるんだよ。こんなとこに人間が住んだら、発狂しちゃうよ。作物だって、奇形が生まれるし」
だから、呪術にしか使えないんだよ。
くすくすっと笑って、志之助は結った髪を揺らした。征士郎はまだ納得いかないように大声をあげながら志之助を追い掛けていった。
後にしてきたそこで、今までそよとも吹かなかった風が林の木々をさわさわと揺らした。
風も時間が止まったことによって吹けなかったようで、そのことについてはいいことをしたと征士郎も実感したのだった。
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