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 まわりはみな一面緑輝く田が広がっているというのに、そこだけぽっかりと木が生い茂っていた。

 登呂という村の集落からかなり離れた田圃の真ん中である。登呂の村よりも駿府の城下町の方が近いくらいだ。

 その昔は徳川初代将軍家康の居城だった駿府城のお膝元でなぜ、という疑問を抱えたまま、志之助は目の前の木々を見上げていた。

 隣の征士郎は珍しく強ばった顔の志之助とは対照的に、呆れた顔で志之助を見ている。

「しのさんは、ずっとこの調子で旅をしてきたのか?」

「この調子って?」

 何のことだか本気でわからずに、志之助が首を傾げる。少し考えればわかりそうなものだが、その「少し」も億劫な様子で、ようやく征士郎は眉を寄せた。

「問題のあやかしを退治する代わりに、宿代を半分まけろだなどという無茶を……。本当に何かいるのか?」

「……せいさん。まさかとは思うけど、あやかしって先代女将の話、半分にしか聞いてないのかい?」

 疑問形の肯定に、征士郎はいまさらながらに身体を震わせる。

 道理で志之助が先程から険しい顔をしているわけだ。やっとそのことに気づいたらしい。

 遅いよ、と皮肉でもなく言ってのけ、志之助は大きな木に囲まれたそこへ足を踏みいれていった。

 先代女将の話を要約すると、こういうことだった。

 その宿は駿府の城下町の、海側の入口に建っていた。

 南に面して他の建物もないため日のあたりも良いのだが、その立地条件は夜にはあまり良くない場所でもあった。登呂の村の外れにある大昔の集落の跡という言い伝えのある小さな森の方から、夜毎あやかしがやってくるのだというのだ。

 その小さな森は祟られているという言い伝えもあり、そこを開拓して田を作ろうという勇気ある村人は一人もいなかった。ずっと大昔からそれは語り継がれてきたからだ。

 しかし、夜毎あやかしが出るのはつい最近からなのだという。それもどうやら不死人らしい。

 女将が志之助を僧侶と当てたのは、そのあやかしが前の晩には宿の前に出なかったからだった。

 他の泊まり客は見るからにきっちり髷を結った侍やいいとこのお嬢さん、旅の町娘などで、一番怪しいのが志之助と征士郎だったらしい。征士郎は刀を帯びているのだから、志之助に違いないのだ。

 森の中へ入っていってしまった志之助を追い掛けようとして、征士郎は自分の足が動かなくなっていることに気づいた。

 地に足が埋まっている、というよりも、地の底から生えた手に足を捕まれている感じだった。そんなことあるはずがない、と思いつつも足元を見下ろした征士郎は、それを見て思わず甲高い悲鳴を上げた。悲鳴を聞いて、志之助がはっと振り返る。

 足は、しっかりと地から生えた手に捕まれていた。それどころか、地の中へ引きずり込もうとするように、ぐいぐい引っ張ってくる。

 恐ろしくて、征士郎は腰を抜かしかけた。座り込まなかったのは、座ってしまったら本当に地の中へ吸い込まれてしまうのではないかという恐怖からだった。

 森の中から口の中で何事か唱えつつ志之助が走りよってくる。征士郎は地の中に引きずり込まれないように、懸命に地上を踏みしめた。地上を踏むという意識を持って踏んでいないと、すぐにでも足元がぐらつきそうだった。

「し、しのさんっ!」

「せいさんっ。しっかり踏張ってて!」

 近づくなり、志之助は口元に何か不思議な形を作った手を持っていくと、常人には理解しがたい不思議な言葉を唱えだした。それから、その手を勢い良く振り上げる。

「とっとと去れ、この死にぞこないっ!」

 叫びつつ、志之助は連れの足元に手を振り下ろす。その風圧が光って見えたような錯覚を覚えて、征士郎は目をしばたいた。

 錯覚に見えたその光の波は、深々と土の中へ切り込んでいき、やがて地の底から不気味なうなり声が聞こえてきた。うなり声、というよりは、どうやら悲鳴であったようだった。

 志之助に助けられてからは、肩につかまっているように言われて、征士郎はその言葉にしたがった。志之助は身体を法力で守られているらしい、と征士郎は推測する。昨夜も宿をこのあやかしから守ったらしい志之助である。信用するには十分値した。

 志之助は、征士郎を連れて再び森の中へ入っていった。慎重に、一歩一歩踏みしめる志之助に、征士郎も緊張して爪先立ちになる。

 足元をくすぐられているような感触に、征士郎は地面を見下ろした。そこに見えたのは、林に囲まれた広い空き地にびっしりと生えた手だった。悲鳴を上げかけて、あわてて口をふさぐ。

 あちこちに大きな石が立ててあるところを見ると、ここは墓地として利用されているらしい。名がないということは、無縁墓だろうか。苔の生えた古いものから新品のモノまで幅も広い。それが原因なのか、地から生えた手も、まるで生きているような血色の良い手から、溶けかけた手、骨だけになった手など、様々だ。

 そんな手にはおかまいなしで、志之助は平気でその手を踏み付け前に進んでいく。志之助に踏まれると、そこにあった手が逃げるように引っ込んでいくから不思議だった。やはり志之助は法力で守られているのだろう。

 志之助はきょろきょろとまわりを見回しながら、何か考え込んでいるらしく、顎に手を当てていた。

「……しのさん?」

「……やっぱり」

 不安げな征士郎の呼び掛けは聞こえなかったのか、志之助はぼそりと独り言を呟く。何がやっぱりなのか、さっぱり理解できない征士郎は、当然のように聞き返した。

「何かわかったのか?」

「ここ……時の流れを強制的に止められてる。しかも、術をかけられたのもごく最近だな。誰だろ、こんな強い怨念かけたの」

 怨念?

 征士郎は口の中で反芻しながらぶるっと震えた。怨念で時の流れが止められたとでもいうのか。そんなことができる怨念とは、いったいどのくらい強い念なのだろう。簡単に想像できるものではない。

「怨念というと、殺されたものの怨霊か何かか?」

「いや、ごめん、言葉が違ったね。呪術のことだよ。たぶん、腕のいい陰陽師か力のある密教僧の仕業だ。いずれにしても、術の大元を探さないと……」

 うーん、と一人で悩みながら、志之助は来た道をそのまま戻り、外から林を眺めた。それから、その周囲を慎重に辿っていく。

 呪術だの何だのといったことならば、征士郎にできることなど皆無だ。ただ、その肩に掴まって追いかけていくしかできない。





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