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 結局、今夜の宿は西園寺という名のこの寺になったらしい。部屋数がないからと、征士郎は志之助と同じ部屋に寝ることになった。

 志之助は、この宿場にやってきてようやく一月というところだった。

 宿場にやってきた当初は金もなくこの寺の軒下で野宿をしていたのだが、和尚に見つけられてからは無償でこの部屋を借り受けているのだという。その礼に、寺の掃除や炊事洗濯を引き受けていた。この宿場から旅立つ資金を稼ぐため、寺の仕事に慣れてきた最近は宿場の人々から小間使いの用事を引き受けて少しずつ金を貯めていた。

 目的地は、征士郎と同じく、江戸。用事はあるものの急ぐ旅でもない、と嘯く志之助だが、実際一月もこの宿場に留まっていることからも、急いでいないことはよくわかる。

 それにしても、志之助はまったく謎な人物だった。

 見た感じは十八、九かと思われるが、時折覗く大人びた表情が三十代にも見せてくる、まさしく年齢不詳。

 長い髪は手入れをしているのかしていないのか妙にサラサラと綺麗で、それを太い紐で括っているだけの髪型は、職業もまったく不詳だ。

 多少女性的な色気も見えるが、それよりも纏う空気が高潔な印象を与えてくる。

 喧嘩をしていた荒くれ者どもが一喝を受けたのみで尻尾を巻いて逃げ出したところをみると、腕っ節は強いのだろうが、柔らかい体格は筋骨の強さをまったく感じさせない、喩えるならば柳のよう。

 しかも、聞き上手な性質らしく、人の話を引き出してくるのが上手い。軽口を叩くときもさらりと流して不快感を与えず、征士郎の下手くそな冗談にも反応が早い。そうかと思えば、静かに風の音に耳を澄ませ、月を眺めるだけの情緒を知っている。

 宿場で女を抱いていないなど珍しい、と正直に話した征士郎に、だったら夜伽の相手でもしようか、とからかってきた志之助は、幼い頃に祇園で舞妓見習いなどしていた経験をあっさりと告白してきた。どうやら、志之助にとってその過去は恥ずべきものではないらしい。

 そんな志之助に聞かれるままに、征士郎は隠す必要もない自らの過去を語る。

 征士郎の生まれは江戸のすぐ近く、川崎だ。父は直参旗本の家柄であったが、母が妾でもない本当の行きずりであったため、相続権も得られず、父にも年に一度会えるだけという状況におかれていた。武士になれただけでもめっけもんという事である。したがって、暮らしは決して楽なものではなかった。

 父が死に、母にも先立たれた征士郎は、父の跡目を継いだ兄と連絡を取りつつ、諸国漫遊の旅に出た。この兄が理解のある人でなければ、こんな悠々とした旅はしていられなかっただろう。腹違いの弟を、実の弟と同じように見てくれるその兄は、征士郎にとって恩人でさえあったわけだ。

 大して珍しくもない身の上話を、志之助は興味深そうに聞いて、やがて、ニコリと微笑んだ。

「中村様も、江戸の方までいらっしゃるのでしょう? せっかくですから一緒にまいりませんか? 何かと便利ですよ、俺を連れていくと」

 それはどういう意味だ、と訝しげな征士郎に、志之助はただ笑うだけだった。




 次の朝早く、征士郎はふと目を覚ました。

 漁師や農村の百姓でもなければ起きないであろうくらいに早朝である。外も薄暗い。征士郎はもう一度眠ろうと寝返りを打って、すっと眉を寄せた。

 隣に寝ているはずの志之助がいなかった。それどころか、布団も仕舞われている。

 こんな朝早くから外出するという予定は、昨夜聞いたかぎりではなかった。それどころか、朝は弱いと昨夜苦笑していた志之助である。いったい何処へ行ったというのか。

 征士郎は布団を仕舞い、そっと寺を出た。志之助を探しに。

 考えられることは限られている。

 この宿場から和尚に挨拶もなく旅立つとは思えない。となれば、誘拐されたか呼び出されたかどちらかだ。

 誘拐されたという選択肢はこの際無視した。何しろ相手は、喧嘩していた荒くれどもが今までしていた喧嘩を中止して逃げ出していくほど強いらしい志之助である。それに、仮にも某道場で免許皆伝された剣客たる征士郎が目を覚まさなかったのだ。ありえようもない。

 腰の刀を支え持って、征士郎は勘を頼りに志之助を探し歩いた。宿場とは反対の林の方に入っていく。獣道を探して、この方向に間違いないとの確信を得た。林の入り口に志之助の髪を結っていた紐が落ちていたのだ。争った跡もある。

 征士郎は林の中から何か聞こえはしないかと耳を澄ました。がさがさと何かが走る音が聞こえる。頭上で木々が騒めいて、征士郎はそれを見上げた。

 ざざっ、という音とともに、何か影が木の上から落ちてきた。人らしいその影は危なげもなく音もなく征士郎のそばに着地して、髪を掻き上げる。

 顔を確認して、絶句した。志之助だった。

「あ、中村様。お早ようございます」

 ぺこりと頭を下げ、征士郎の腕をつかんで引きずりしゃがみこむ。その頭上を石が飛んでいった。

「危ないですから、お寺の方へ帰っていてください」

 ね、と微笑んで、志之助は立ち上がると寺とは反対に駆け出した。四、五人の男がそれを追いかけて林から飛び出してくる。

 男の一人が征士郎に気づき、脚を止めた。

「あんた、志之助の仲間だな」

 喉元に短刀を突き付け、凄んでくる。まったく、とんだとばっちりだ。昨夜一晩同室で過ごした程度の相手を、ちょっと心配して探しに来ただけだというのに。

 しかし、征士郎はその男を見やって腹を決めた。素人が相手なら、征士郎の剣技で十分のはずだ。ぱしっと音を立てて短刀を払い除け首筋を払って気絶させると、征士郎は素早く立ち上がり志之助が駆けていったほうへ走りだした。





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