招き猫




 その日も私はいつものように、志之助に「手伝って♪」と呼び出されて、そこに顕現していた。

 志之助と出会って、すでに五年の月日が流れていた。志之助がここを永住場所に決めてからは、ちょうど三年になるか。

 千年近く昔に死んだ怨霊、平将門が祀られている神社のすぐそばで、この土地の名を神田明神下というらしい。この将門とも、私はすでに顔馴染みだ。向こうは私を、志之助の付属物とでも思っているのだろうし、こちらもアレをただの人間霊として見下しているから、まぁおあいこなのだろう。

 私の名は、一つ、という。

 そも、烏天狗というものは、一定の主に集団で仕え、個々に名を持つことはほとんどない生き物である。私の名も、生まれもってつけられていた名ではない。今の主に「呼び名がないと呼びにくい」と要望されて、その主によって命名された名だった。

 本来、我らは天上の世界において、帝釈天に仕える由緒正しい烏天狗であった。しかし、その頃はろくに仕事もせず遊び呆けていたため、とうとう堪忍袋の尾が切れた帝釈天によって天界を追放されてしまった。その、野良状態だった我らを拾ったのが、たかが人間であるはずの、志之助だったわけだ。

 最初の頃は、無理やり我らを式神として使役した志之助に、当然のように我らは抵抗していた。とはいえ、式神として契約した以上は命令を遂行しなければならず、サボろうものなら世にも恐ろしい制裁が待っていることは常識として身に焼きついていたから、結局は大人しく従うしかなかったわけで。

 今では、志之助は我らの主であると、全員が一致して認めている。志之助は、人間でありながら獣の血を引き、人間離れした妖力と育て上げられた強力な霊力を持ち合わせ、仏をもその身に下すほどの巫女体質で、それらの力をすべて自らの意思で制御できるほどに安定した、力強い精神力を持ち合わせていた。それに加えて、あまりに過酷な過去を持ちながら、相手が人であろうと獣であろうと、その身を投げ出しても助けようとする、心の優しさをも持っていたのだ。

 こんなに魅力的な人間を、いや、仏を加えて比べても、今までに見たことがない。その志之助に、自らの意思ではないとはいえ、仕えることになった我らの運命に、今は感謝している。

 ちなみに、私の名である「一つ」の由来は、この額に残る向こう傷だそうだ。この傷は、大昔に帝釈天を守って付けた傷であり、私の唯一の誇りであるから、その名を私はいたく気に入っている。

 この日の仕事は、店の手伝いだ。

 開店から三年が経ち、その店の人気は右肩上がりの状態が続いている。店主である志之助の人望と、妖怪退治の噂も、その理由には数えられるのだろうが、それ以上に、仕入れる品の質の良さと手入れの具合が、客の購買意欲を煽っているようだ。それと、この店の屋根に以前から居座っている、白蛇のおかげもあるのだろう。

 そんなわけで、店には需要に応える為に品物が多めに用意されていて、それらを店に並べるために、束で仕入れた品を小分けにする作業が発生するわけで。

 この日の私の仕事は、麻縄の小分け作業だった。いつもなら主の伴侶である征士郎がやるのだが、ちょうど出稽古で出掛けているらしい。それで、私に仕事が回ってきたわけだった。


 季節は夏。裏の神社の境内から聞こえてくる蝉の声が、気温より余計に暑さを感じさせる。あの小うるさい鳴き声はどうにかならないものか。

「こんにちは」

 聞き慣れた若く張りのある女の声でそう挨拶するのは、征士郎の兄嫁だ。清涼感ある夏着の留袖で、その持ち前の晴れやかな笑顔が、暑苦しい店内に涼気をもたらしてくれる。若い女の力というのは、いつの時代も偉大だ。

「おつねさん。いらっしゃい」

 私のそばで客の相手をしていた志之助が、彼女に答えている。その視線は、彼女ではなく、彼女の足元に向いていたが。

 私もつられて、それに目を向けてしまった。ついでに、志之助が相手をしていた買い物客も同様に。

「あらぁ、カワイイ猫ちゃん。どうしたの?おつねちゃん」

 その買い物客は、近くの長屋に住む主婦で、この店の開店当初からの常連客だったから、おつねとも顔見知りで、なれなれしく彼女をちゃん付けで呼んだ。今のおつねは、中村つね、という名前の、れっきとした武家の嫁なのだが。

 その問いかけに対して、特に気にした様子もなく、愛想よく答えを返す彼女も彼女だ。

「この子ねぇ。そこの神田川を渡った辺りから、なんか懐かれちゃって。あの辺りにいる野良だと思うんだけど」

 店に入ってくるおつねの足元を離れて、猫は店の前に立ち止まり、行儀良く座って、な〜ん、と鳴き声を一つ。暑さでだれているのか、なんとも力のない鳴き声だ。

 が、私も志之助も、反応のしように困っていた。まぁ、私の方は普段から特に何の反応もしないので、今回もまた、その事象は無視して、作業を再開する。

 志之助は、買い物客の用事を済ませ、店の前へ自分から出て行った。いつもながら、ああいう弱い生き物に弱いのだ。わが主は。

 猫を抱きかかえ、志之助はこの店を守っている結界をくぐり、店の中に猫を下ろした。

 つまり、猫が立ち止まったのは、その結界に阻まれたせいなのだ。ただの猫になら何の効力もないこの結界は、ただの猫ではないコレには、絶大な威力を発揮する。下手に触れば、感電くらいはするだろう。

 志之助が張った結界だから、志之助に認められたモノの出入りは許されていて、だからこそ我らのような式神も当然普通に出入りできるわけだが。

 その猫は、結局その日一日、部屋の隅に大人しく丸まっていて、おつねからもらった今日の夕飯であるメザシの頭をもらってそれを齧っていた。

 夜になり、征士郎が帰ってくる。店じまいをしているうちに、ここより数倍も大きな屋敷を構えているはずの中村家から、おつねの旦那である勝太郎と、使用人の加助もやってきた。この五人でこの場所で夕食を摂るのが、ここ二年ほどの日課になっている。こんな狭いところに五人固まらずとも、中村家に志之助と征士郎を呼べば良いのに、と私などは思わずにはいられない。

 仕事が終わってからの私の役目は、麻縄の小分けから、猫の世話に変わった。私の神気が心地良いのか、猫は気持ちよさそうに私の胡坐にはまり込んでいる。

「で、あの猫はどうしたのだ?」

 隅の壁に寄りかかっている私の膝に乗っている猫を箸で指差したのは、勝太郎だった。来た当初から気になってはいたのだろうが、奥方の作業が終わって腰が落ち着くまで待っていたらしい。

 問われて、それをこの店につれてきたおつねが、首を傾げるのだが。

「なんか、懐かれちゃったんですよ。野良だと思うんだけど」

 困ったわ、と彼女は心底困ったように呟いた。この店でも中村の屋敷でも、猫を飼えるほどの余裕はないことくらい、わかっているらしい。いや、中村の屋敷でなら、猫の一匹、大した問題でもないだろうが、構ってやれる人がいないのは事実だ。あの屋敷を維持管理しているのは、このおつねと今にもあの世からお迎えが来そうな加助という老人だけなのだから。

 と、そんな夫婦のやり取りを聞いていた征士郎が、私のほうを振り返り、声をかけてきた。

「おい、猫。お前、名前は?」

 その言葉に、私の膝に乗った猫も含めて、全員が驚いて征士郎を見つめた。その視線の意味はそれぞれだが、驚いたのは同じだったらしい。

 そして、少し呆れた口調で問いただすのは、兄である勝太郎だ。

「征士郎。いくらなんでも、猫はしゃべるまいよ」

「いえ。その猫、化け猫ですよ。一つの膝に乗って平気でいるんですから」

 なるほど、判断基準は私だったらしい。確かに、普通の獣であれば、私の神気に恐れおののいて逃げ出してしまうはずだ。おかげで、この家にはネズミが出ない。それを、征士郎は言っているわけだった。

 思わず感心してしまう私である。この男。出会って五年の間に、ずいぶん成長している。さすがは志之助が選んだ男だ。

 そうして感心したのは、私だけではなく、この場にいる全員だったらしい。志之助は実に嬉しそうに口元に笑みを浮かべている。

 しかし、いくら化け猫でも、しゃべることはないだろう。我ら烏天狗のような中位の神獣でさえ、言葉を許されてはいないのだから。

 ところが。私の予測に反して、その化け猫はおもむろに口を開いた。

『化け猫とは失礼な言い種だね。でもまぁ、獣風情と見分けるとは、なかなかやるじゃないか』

 その言葉に、さすがの私も息を呑んだ。私もまた、コレを化け猫だと思ったからだ。そんな内心がわかったのか、猫は私を一瞥し、それから膝を飛び降りた。実に猫らしい、しなやかな仕草で。

 志之助の方へ近づいていくその後姿を見て、私は今度こそ、正確にその正体を理解した。ふっくらと適度に太った三毛猫の、尻から生えた尻尾は二本。足を踏み出すたびに、ふよふよと、別々に動く。

 それは、猫又という生き物であったのだ。それは、志之助の血統である古九尾狐と同じ、神獣の末席に列する生き物で、かつ、妖怪でもあるので、言葉を失わないのである。志之助の叔父である雷椿が征士郎と話ができるのも、彼が妖怪であるからに他ならない。

 その猫又は、志之助のそばまで近寄ると、またおもむろにそこに腰を下ろした。

『あたしをひきつけた神気は、あんたの物だね。あんた、何者だい? ただの人間が放つ気にしては、神聖に過ぎる』

 さすが、猫又ともなると、志之助が持つ微細な神気にも敏感に反応するものであるらしい。

 一方で、問いかけられた志之助は、その問いには直接答えず、反対に問い返していた。

「おつねさんから、俺の気を感じたの?」

『そこな娘の懐に入れた匂い袋。そなたの魔除けの念が籠められているだろう?』

 言われて、おつねが帯の隙間に挟んだ匂い袋を胸元から取り出した。それのことだ、と猫は軽く頷いた。

 その橙の清々しい香りをほのかに感じさせる匂い袋に、私はその正体を納得したものだ。それは、志之助が幼い頃から操っていた式のうちの一つ、橙の霊を封じた匂い袋であったからだ。なるほど確かに、志之助が祈祷を施して魔除けとしたものに間違いない。

 しかし、だとすると、問題が一つ残る。それを、志之助も同様に感じたらしい。私の疑問と同じ質問が、志之助の口から出た。

「なら何故、ここについてきたの? 化け猫として退治されるかも知れないのに」

『明神下の妖怪屋の名は聞き及んでいるのさ。か弱い動物霊や雑鬼たちには好評だぞ、心優しい陰陽師がいる、とな。ならば、この愛らしい猫の身で、問答無用で退治されるようなことはまずないだろう? 一時身を隠すには持って来いの場所だからね』

 志之助よ。お前、いつの間にか有名人だな。

 思わず苦笑を浮かべる私であった。とはいえ、もともと表情筋の発達していない烏の顔、誰にも見破られまい。

「身を隠す……」

『まぁ、いろいろあって、今は追われる身だよ。まったく、迷惑な話さ。とんだとばっちりなんだけど、だからこそ、命を狙われちゃたまったもんじゃない』

 そこまで聞いて、なるほど、と思う。

 明神下の妖怪屋といえば、江戸の城から北側の一帯に広く知られた妖怪退治屋であり、同じ一帯に住む妖怪変化にとっても、災いから救ってくれる駆け込み寺のような知られ方をしている。困ったから、ここに駆け込んできた、ということだ。

『助けておくれでないかい?』

 具体的に何から追われているのか、何が原因なのか、何一つとして明かさないまま、猫は媚を売るように志之助を見上げた。

 そんな礼儀知らずなおねだりには、いくら厄介事好きな志之助とはいえ、応じないはずだ。

 が。

「良いよ。助けてあげよう。で、見返りは?」

 応じるらしい。これは、私も驚いた。何か考えがあってのものだろうが。征士郎はまったく動じていないから、きっと意思の疎通はできているのだろう。というか、いつの間に疎通したのかも不明だ。

「何かをしてやるには、そっちからも見返りが必要だよね?」

『ふん。ただで匿ってもらおうってのは、虫が良かったか。良いよ、なら、この店の繁盛に手を貸そうじゃないか』

「招き猫、って?」

『何だい、知らなかったのかい。招き猫ってぇのは、猫又様の力なんだよ』

 ほう。それは知らなかった。そう素直に感嘆して見せた私だったが、次の志之助の言葉にがっくり来てしまった。

「猫又が人の商売に力を貸すわけがないだろう。戯言は大概にしないと、匿ってやらないよ」

『ち。お前、可愛げないな』

「猫又風情に言われたくない。で? 名前は?」

『好きなように呼びな。あたしの名前は、あたしが慕う主以外の人間には呼ばせない』

「そ。じゃ、ミケ」

『安直だな』

「好きなように呼べって言ったくせに」

 おや。この二人、意外に相性が良いかもしれない。志之助と初対面でこれだけテンポ良く掛け合える相手など、なかなかいるものではない。私が知っている限りでは、この国の主と、赤坂の町医者くらいだ。

 どうやら話はまとまったらしいと見て取ったのか、「さて」と声をかけ、征士郎が立ち上がる。何が「さて」なのか、と見送った先は、かまどの前だった。つまり、食後の白湯を取りに行ったらしい。そんな征士郎を見送って、おつねもまた、そうそう、と慌ててそれを追いかけた。

 あれ以来、小間物屋「中村屋」の板間の隅には、尻尾が二本生えた三毛猫の姿が見られるようになり、それがまた、いつのまにやら「中村屋」の看板猫として知られるようになった。つまり、招き猫の役目はしっかり果たしたわけだ。猫の気まぐれにしては珍しいこともあるものだ、と思いつつ、私は今日もまた、麻縄の小分け仕事に精を出している。

 それにしても、志之助よ。そろそろこの店の跡継ぎを考えるべきではないのか? お前の寿命は、我らのように永遠ではないのだから……



おわり





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