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 一つの季節を越え、秋も深まった頃。

 神田明神下の有名小間物屋、中村屋の軒先に、僧服の男が二人、姿をみせた。

 一人は店主とほとんど同じ年齢を思わせ、もう一人は幾分若い。

 ちょうど出稽古もなく、店の手伝いをしていた征士郎は、現れた二人の着物に嫌悪感を表して眉を寄せたが、彼らの用件を聞かずに、落ち葉を掃いていたほうきを片手に、店の中を覗き込んだ。ようやく結えるようになった髷が、月代を作らない頭の上に乗っている。それは、昔の征士郎を知っていれば驚いただろう変化なのだが、客人たちには自然に受け止められている。

「しのさん。客だ」

 店内では、夏の頃より少し髪が短くなった志之助が、落ち着いた表情で絵筆を走らせていた。ろうそくの絵付けを行っていたらしい。顔を上げて客を見、その手を休める。絵筆を置いて、立ち上がった。

「円権殿。珍香さん」

 名を呼ばれて、二人は揃って頭を下げた。

 客を板の間に上げて円座をすすめ、志之助は茶を振舞う。店番は、志之助の代わりに征士郎が座った。いつの間にか、身分の枠を超えて、征士郎も店の一員になっているらしい。安物の屏風で仕切られた裏に座った客人の二人は、武士である征士郎が店番を普通にこなしていることに、素直に驚いている。

 振舞ったものと同じ茶を自分にも旦那にも汲んできて、志之助はそれをすすりながらにこりと笑った。

「ちょうど、先日手に入った京玉露なんです。美味しいですよ」

 そりゃ、殿中献上品なのだから美味いに決まっている、と征士郎は傍でぼそりと突っ込む。どうやら、将軍からの貰い物であるらしい。志之助はくすくすと楽しそうに笑うばかりだ。

 それから、ようやく客に向き直った。

「それで、このたびはどのような御用向きで?」

「はい。上野寛永寺にて厄介になることになりましたので、ご挨拶にと伺いました」

 それは、若い僧、珍香が答えた言葉だった。そういうことだ、と、隣の円権も頷いた。へぇ、と相槌を打って、志之助は茶をすする。

「またどうして? 法力僧なら、山にいた方が修行にもなるし、仕事もあるのに」

「比叡山へは、もう戻るつもりはありません」

「おや。呆れちゃった?」

 明らかに、志之助のその言葉は、人を喰った物言いなのだが。円権も珍香も、なぜかその志之助の台詞よりも前に苦虫を噛み潰したような表情を見せていて、志之助の言葉には苦笑で返した。珍香は円権を見やり、円権はゆっくりと首を振る。

「実は、な。あの後、祥春……いや、志之助殿が帰られてから、山では志之助殿を呼び戻そうという動きがあったのだ。蛟と竜と天狗を自在に操り、あれだけの結界を張りなおしてしまったそなたの力を、手放すのは惜しいと。だが、そなた、山へ帰るつもりなどなかろう? 無理に連れ戻そうと画策しているのを知って、放ってはおけなんだ」

「私たちの力で、どれほどの抵抗ができるかはわかりません。ですが、江戸の叡山、寛永寺に身を置くことで、何とか水際で押し留めようと思っています」

「これは、比叡山の問題だ。すでに還俗したそなたには、本来、関わりのないこと。とはいえ、抵抗するつもりがあるのは、どうやら俺とこの珍香だけのようなのでな。現場に近い場所に移動してきた、っちゅうわけや」

 どうも、志之助を前にすると地が出るらしく、結局取り繕いきれずに関西弁で締めくくって、円権は情けなさそうに眉尻を下げた。事情を聞いて、そう、と志之助は軽く相槌を打つ。一方、そう広くもない店内なので、征士郎にも聞こえていたらしく、深いため息が返ってくる。

「結局、師匠が死のうと、しのさんの気が休まることはないわけか」

「近くに味方がいてくれるなら、今までよりは楽だよ」

 何より、寛永寺に怯えなくて済むことは、実にありがたい。上野と明神下では、距離もそんなにない。何かと足が向く場所なのだ。それに何より、そこは江戸城の鬼門に当たる。将軍を守る立場の志之助がその場所に近づけなかった今まで、無事に過ごして来られたこと自体が、奇跡に近い。

「今後とも、末永くお付き合いくださいませ」

「こちらこそ。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします」

 とにかく、彼らのありがたい申し出を受けて、礼を尽くして志之助が深く頭を下げれば、珍香はそれ以上に深く頭を下げて返す。

 傍らで、円権はなぜか、にんまりと笑うのだが。

「せやけど、志之助よ。あんたも隅に置けないなぁ。道理で、あの夜叉小僧祥春が妙に落ち着いてたわけや。どこで見つけて来たんや? こないなイイ男」

「うるさいな。ほっとけや」

 これはどうやら、志之助が懐かしいお国言葉で軽口を叩ける友人が、一人できたということでもあったようだ。志之助が発した実に久しぶりの京言葉を聞きつけて、征士郎は嬉しがって良いやら嫉妬したら良いやらと首を捻っていた。



おわり





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