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 本堂の柱に寄りかかるようにして砂利にそのまま座り込み、志之助は懐に入れていた真っ白な短冊を目の前に並べる。守護結界は結界点がすでにできているから、準備すべき点となる呪符は結界一つ分。とはいえ、これだけ大きな山を抑え込むのだから、相当の力が必要なはずだった。

 それを支える力を蒼龍に頼んだことで、志之助は結界に使う力を定めたらしい。蒼龍の力に反発しないよう、どちらかといえば、蒼龍の力を受けてその結界の力も増すように。本人の自己申告によれば、手紙も満足には書けないはずの志之助が、白い短冊に書き付けていくそれは、竜神を祈念する呪符だった。文字を書くよりも難しいはずなのだが、どうやらそれは志之助の頭に絵として記憶されているらしく、見た目どおり器用な手で、まるで判で押したように正確に、何枚も何枚も、呪符を作り出していく。

 そのうちに、座り込んでいる志之助に近づいてくる影があった。悌念である。

 彼の背後では、たくさんの僧侶たちが、砂利敷きのそこに整列していく姿が見える。

「準備はできたが。どうするのだ?」

 声をかけられて、志之助はふっと顔を上げた。書きかけの呪符をそのままに、手を止める。

「これから三日三晩、大日如来の真言を唱え続けてください。結界は、皆さんの御力を借りて、こちらで張ります。最初にもっとも力を必要とします。今晩くらいからなら、交代で休んでいただいてもかまわないでしょう。とにかく、大日如来のお力が途切れないように。できますか?」

「うむ。しかし、本当にそれで、守護結界が張りなおせるのか?」

「ご本尊と座主様の霊にお手伝いいただきます。後は、私がなんとかしますよ。とにかく、雑念を払い、一心に祈念してください。よろしくお願いします」

 そこまで言うと、志之助はまた、自分の作業を再開する。が、すぐにまたその手を止めた。

「珍香さんには、呪符を直すことを優先させてくださいね」

 どうやら、念を押すのを忘れたらしい。また作業に戻っていく。そのまま志之助の意識から悌念が消えたのを見て取って、悌念はそっとそこを離れて行った。

 やがて、二十枚もの呪符を書き終えて、志之助は顔を上げた。

「一つ。これを、これから指示するところに置いて来て。みんな使っていいから、大至急」

 場所はね、と言いながら、志之助は地面に山の地図を書いていく。志之助の指先を見つめる視線は、一つのものだけだが、おそらくそれで事が足りるはずだ。烏天狗たちは、全員が同一の意識を持って動くことができる集団だから。

 やがて、二十箇所の指示をすべて聞き終えて、一つはそこを離れていく。

 飛び立った一つを見送って、志之助は自分の身支度を始める。着ているものが喪服だったおかげで、着物は着替えなくて良いのがありがたい。草鞋を脱いで裸足になり、髪を結っていた紐を解いて紙縒りで結いなおす。

「蒼龍」

『はい』

 呼ばれて答え、蒼龍はひょいと飛び上がると、身を転じた。代わりに現れたのは、蒼い竜の姿だった。つまり、蒼龍をしてもその姿を本来の姿に戻さないとならないほどに、志之助の頼みは力を必要とするものだったのだ。

 長大な身体を本堂の屋根の上に横たえ、蒼龍は志之助の仕事を見守る体勢に入る。

 と。

『志之助。何か来ますよ』

 蒼龍に促されて、志之助も顔を上げた。空の彼方から近づいてくる、まるで夜空の星のような明るい光だ。それは、しばらく山の上をぐるぐる回っていたが、やがて、どうやら志之助を見つけたらしく、まっすぐにこちらに降りてきた。

 目の前に下りてきて姿をみせたのは、直立するイタチだった。

『おう、少年。でかくなったなぁ。元気だったか?』

「せっかく解放されたんだから、戻ってくることないのに」

『いやなに。この山の囲い、弱くなってんの、おいらのせいだろ? 気になってよ』

 へへっと笑って鼻の下をこすってみせる。イタチの姿でそれをすると、なんだか滑稽だ。

『お前、この囲い、直すんだろ? 手伝ってやるよ。こいつ壊すくらいなら、簡単だ』

「……あなた、この結界の人柱でしょう?」

『なんでぇ、わかっちまったかよ。で、戻すかい?』

「別に、必要ないけど。だったらなおさら、何故戻ってきたのさ?」

『だって、この山爆発したら、日本列島真っ二つだぜ? 後味悪いだろ』

「……ま、ね」

 珍しく、志之助から反論が出ず。イタチはふふんと笑った。

『そうと決まりゃあ、長居は無用だ。さっさと片付けようぜ。おいらも嫁さん待たせてるしよ』

 言い放ち、イタチは宙へ飛び上がる。そのまま星となって空へ舞い上がるのを見送って、志之助も懐から、今まで手放さなかった、修行時代から使っている数珠を取り出した。

「蒼龍」

『いつでも』

 ちょうど、烏天狗の一つが戻ってきて、志之助の前に姿を現し、すっと消える。志之助の表情が、まるで神懸ったように荘厳なものに変わった。

「我請竜神、抑止結界。閉!」

 志之助の宣言に導かれ、山を覆う空気が虹色に変化し、どことなく甘い香りが漂った。人々を包む大気が、凛と張り詰める。

 直後、二つの声ならざる声が同時に響いた。

『引き受けましょう』

『くたばれっ』

 バリン。

 それはまるで、ビードロを叩き壊すような硬質な音で。

 山全体に、それは響き渡った。九百年間、比叡山という山を守り、また、内に秘めた霊力を抑え込んできた、守護結界と呼ばれるその結界が壊れる音だ。そして同時に、イタチを九百年間閉じ込めてきた憎き檻の、あっけない最期であった。

 きっと、それで満足したのだろう。イタチの、いつもどおり人を喰ったようなからかい口調で、声が降ってきた。その姿を、空の彼方へと遠ざけながら。

『じゃ、達者でな。少年』

「えぇ。お幸せに」

 本人には聞こえていないことは承知していて、志之助はにこりと微笑み、そう返した。九百年ぶりの逢瀬を果たす恋人たちの幸せを祈って。





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